事も無げに言うジョーカーに、何故だか苛立った。こいつを殺したって面白くも何とも無いのは殺る前からわかっている。
「却下」
「何でだ?」
「ジョーカーが無いトランプゲームなんてつまらない」
ジョーカーが何か言いかけたが、会話はそこで終わる。路地から女が声を掛けてきたからだ。露出の多い服を着て自分の価値を最大限高めているつもりの、その女は一目で娼婦だとわかる雰囲気を身に纏っていた。
「お兄さん達、暇? 今日全然客つかなくって」
べたべたと溶けた飴玉のように不快感を覚える声で娼婦は俺達を値踏みする瞳で見つめる。その言葉はきっと本当で、だから俺達のような明らかに金を持って無さそうな男にも声を掛けたんだろう。
「ねえ、お願い。二人一緒でもいいから。お兄さん達かっこいいし」
女は言いながらジョーカーの腕にまとわりついた。当の本人は何か別のことを考えているような顔で女をやんわりと振り払う。
「悪いが……」
「いくら? 俺一人で」
ジョーカーの言葉を途中で遮って女に声を掛けた。非難がましい視線が横顔に突き刺さるのをありありと感じるが敢えて無視し、女と交渉する。
女は指を三本立てて自分の値段を示した。
「どこかホテル入る?」
「いいよ、その辺で」
俺が暗く細い路地を指差すと娼婦は一瞬嫌そうに眉を寄せた。その一瞬を見逃すわけもない。眉を寄せた表情は生々しく、これは当たりだなと思った。
「いいわ」
「じゃ、よろしく」
女の肩を抱いてジョーカーに目配せをすると、奴はまた溜め息を吐きながら投げやりに手を振った。早くやれということか。
路地に入って女と向き合うと、女の方から抱きついてきた。こいつはどうやろうかな、などと考えながら適当に抱き寄せる。ナイフで首を切り裂くか、銃で額を撃ち抜くか、それとも。
路地は思いのほか暗く、顔を近付けて表情がやっとわかるぐらいだ。女の柔らかい唇に口付けながら滑らかな首筋を指でなぞる。その瞬間決まった。
絞めよう、この細い首を。
ナメクジを連想させる感触の、娼婦の熱い舌を口の中に感じながら俺は頭の芯が痺れるような快感を感じていた。勿論こんなつまらない口付けがもたらす物ではない。これから自分の手がこの女を殺ることを考えるだけで、興奮で全身がぞくぞくする。
女と舌を絡ませながら瞼を開けて視線を横にやると、ジョーカーが路地の入り口で腕組みをして通りを見張っているのが見えた。しばらく見つめていると俺の視線に気付いたようでこちらを振り向き、目が合った途端に不快感を露わにしてすぐに逸らす。
ジョーカーの、その一瞬見せた瞳の色に俺の頭はますます熱くなった。脳味噌に性感帯があるんじゃないかと思うぐらいに刺激され、ズキズキと痺れてくる。これは快楽を超えた快楽だ。気違いじみた大声を出して笑いたい。愉悦と快感と欲情で頭がどんどん加速しておかしくなる。もう何も考えたくない。
早く、早くと俺の中の誰かが急かすが、自分を焦らすようにゆっくりと女の首に両手を掛けた。まだ駄目だ。まだ……。
絶えず動いていた女の舌が止まる。俺は唇を離すと同時に、両手に力を込めて女の首を絞めた。
「く、……」
甲高い悲鳴を上げる間もなく気管を締め付けられ、女の顔が醜く苦悶の表情に歪むのを目と鼻の先で鑑賞する。美しい。命が尽きていくのをこの手のひらで直に感じられるなんて、俺はなんて幸せ者だろう。女の長い爪が俺の手を引っ掻く痛みすら甘美なものでしかない。
しかし大した時間も掛からずに女はぐったりと脱力した。その身体を支えながら、俺はやはり急激に頭が冷えていくのを感じていた。さっきまでの快感の余韻一つとして無い。
いつもそうだ。事を終えると同時に俺の精神は身体から抜け出たように、ただ客観的に自分が作った死体を眺めてしまう。酷い離人感の中で思うことはいつも同じだった。虚しい。
「終わったか」
背後からジョーカーの声がして、俺の意識は通常に戻る。重たい女の死体を抱え直して頷く。
「首絞めたから血は出してない」
「それなら持ち帰りやすいな。いつもそうしてくれると助かるんだが」
ジョーカーが俺の腕から女の死体を受け取り、変色してしまった顔が見えないように隠して抱き上げる。ここからアジトまで距離は無いし、車を盗まないでも大丈夫だろう。
「帰るぞ、キング」
「……ああ」
早足で歩きだした相棒の数歩後を着いて歩きながら、俺は分かりきっている事実を改めて反芻する。
「……キチガイ、か」
アジトに着くと、ジョーカーは早速女をバラす準備をし始めた。いくら女だとは言ってもそれなりに重たい身体を抱えて歩いて来たのに休みもしない。こいつは本当に生真面目というか、死体馬鹿というか。
自分が作った死体を解体させているのだが、俺は少し呆れる思いで肩を竦めて言ってやった。
「急がなくたって死体は逃げないだろ」
「逃げないな。だけど腐りはする」
つまらない応えを聞いたせいで腹が減った。いそいそと浴室に死体を運んでいく後ろ姿に、「飯作ってるから早く済ませろ」と声をかけてキッチンに立つ。
俺は食べることも料理をするのも好きだ。生物の頂点にある脳味噌を持つ人間だって、どんなに格好つけてふんぞり返っていても食べなければ絶対に死ぬ。
いつだったか、1番街に出掛けて飯を食ったとき隣のテーブルで高そうなステーキを喰っている男を見た。そいつの咀嚼する姿を見ていると、何だか泣きたいような笑いたいような、男を抱きしめたくなるような不思議な気分になったのを覚えている。
食べなければ死ぬ。当たり前のことだが人間は皆脆弱な生き物だ。本能に従って黙々と喰っている姿は皆同じように貪欲で哀れで、愛おしく感じる。
だからこそ俺は人間が好きなんだ。そう思いながら、レストランから出たその男を追いかけて殺した。その瞬間はとても愉しかった。好きだと思った物を殺す時、何故あんなにも気持ち良いのだろうか。
多分"好きだから"が理由で、他に理屈は必要ない。探ってみてもどうせ意味のないことだ。抑えきれない食欲や性欲と同じように、本能が指令を下すのに従い殺すだけで、俺自身は悩んじゃいないのだから。
ぼんやりと考えていたら卵が少し焦げてしまった。焦げた方はジョーカーの分にするとして、新しく割って溶いた卵をフライパンの上に落とす。今日の晩飯はオムライスだ。
なかなか綺麗に出来上がった。だがテーブルに二つの皿を並べてもまだジョーカーは戻って来ない。浴室からは時折物音が聞こえるが、それは本当に微かで、奴は慣れた手つきで淡々と解体しているのだろう。
浴室まで覗きに行こうかと廊下に向かって、ふと玄関を見るとドアに付いている新聞受けに紙が突っ込まれているのに気付いた。
何かのチラシだろうかと思い取ってみると、それはB5判ぐらいの大きさの便箋だった。封筒などには入っておらず、三つ折りにされている。
広げるとそこには、《突然の手紙、失礼する。……》の一文から始まる短い文章が手書きで綴られていた。
文字は一つ一つの線を定規で引いたのか真っ直ぐ書かれていて、筆跡を知られたくないという淀んだ意思をかえって明確に示している。
《王とそれに仕える悪魔へ》という一文を見て思わず吹き出した。俺が王でジョーカーが悪魔か。
スペードのエースなんて名前に覚えはない。捨てちまおうかと思った矢先、浴室のドアが開く音がした。そして脱衣所から、悪魔と呼ぶにはおおよそ相応しいとは思えない顔をした男が出てくる。
「手紙が来てた」
「手紙?」
タオルで手を拭いているジョーカーの顔に突き付けるようにして手紙を見せてやると、黙って目を動かし始めた。
そしてすぐに俺の手から便箋を取り上げてじっくり文面を読んだかと思うと、裏返しにひっくり返してみたりして、次いで頭に浮かんだのであろう疑問を口に出して訊いてくる。
「封筒は」
「無かった。それ一枚で新聞受けに入ってた。死体バラし終わったんだろ?」
話している今も俺の胃袋は何か食い物を入れやがれ、と悲鳴を上げている。とにかく腹が減った。
「王とそれに仕える悪魔へ……キングとジョーカーか。俺達の名前と住んでいる場所を知っている奴はそう多くないな」
「そうだな。早く喰わないと冷める」
「必要だとかって何なんだ。この手紙の主は俺達を何処で見たんだろう」
「そんなこと俺が知るわけないだろ。おい、とりあえず飯喰うぞ」
訝しがっているジョーカーを引き摺るようにしてテーブルにつかせる。奴はそれでもまだ手紙を見ているが、俺にはそんなわけのわからない手紙なんかより自分の空腹こそが一大事なのだ。
大体簡単に驚いてしまったら手紙の主の思う壺ではないか。妙な手紙ではあるが悪くて悪戯、良くて本物。出来れば本物であればいいな、と思いながらスプーンを握った。
スペードのエースか。
せいぜい面白いことを起こしてくれればいい。
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