薬を飲んでから1ヶ月、または一週間しか経っていない?
まさか。
真っ先にそう思った。シキのあの目や表情、そして言動行動は長い間薬物乱用をして依存しきっている人間そのものだと、間近に接した俺が感じたのだ。
「……にも関わらずそれはもう異常な言動、迷うことなく手を下すという人間的情緒の欠落。更に手首を撃たれても痛みに呻くどころか怒り狂い新しいナイフを取り出すという、痛覚の麻痺症状。普通の人間は手首足首を同時に銃撃されると出血により失神するか、悪ければショック死します。脳にもそれらの異常は現れていますが、ジョーカーさんの証言で更に真実味が増しましたね。これらは1ヶ月やそこらで陥る症状ではありません。つまりこの薬は、」
「そういう薬ってことか」
いつの間にか煙草に火を点けていたキングが紫煙を吐きながら医師の言葉を引き継ぐ。
「1ヶ月以下で躊躇い無く人を"裁き"たくなる薬ね。そんなもんが出回ったら最悪だわ。私の食べる物が無くなっちゃう」
チカが憤慨して言う。もしもそれが本当だとしたら、異様なスピードでシキのような狂人が続々と現れるのか? 痛みを感じないのならばそう簡単には殺れない。
何より、あの嫌悪感を催す笑顔を思い出すと寒気がした。大きく開いた口、その中の……。
「……蛇」
「あ?」
俺の小さな呟きにキングが反応した。奴は蛇のようだった。その印象はやはり突き出した舌が二つに割れていた事が大きい。
知識として知ってはいたが見るのはあの時が初めてだった。『スプリットタン』と呼ばれるそれは舌に開けたピアスの穴を拡張していき、最終的には舌を縦に裂いて作るという身体改造趣味の一つらしい。
しかしあの男なら徐々に拡張していくなんてまどろっこしいことはせずに最初から裂いたのかもしれない、俺は何となくそう思った。何せ奴は手足を失った痛みを、痛みと感じないのだから。
俺がそれを話すとキングは無表情に深く煙草の煙を吐いて、灰皿にそれをもみ消した。彼はやはり関心が無いのだろうか。さすがにそれは無いだろう。それとも何か思惑があるのか。
キングはやがてゆっくり立ち上がった。顔を俯き加減に伏せた彼は何を考えているのか、ぐるりと病室内を一周する。彼の妙な行動にある程度慣れている俺達は彼がドアの前で足を止めるまでその行進を黙って眺めていた。
「腹減ったから飯食ってくる」
顔を上げたキングは簡潔にそれだけ言うと病室から出ていこうとする。俺は妙な違和感を覚え、彼を呼び止めた。
「待て、キング」
「なんだよ。俺がいなきゃ寂しいのか?」
ふざけて返すキングはいつもと変わりないように見える。だが、それでも俺の中の違和感は拭えなかった。
「馬鹿言え。お前」
……何をしようとしている?
「夜には戻るよ」
尋ねかけた俺を遮って、キングはうるさそうに言い置くと病室から出て行ってしまった。ドアが音を立てて閉まる。
「気まぐれね、あいつ」
チカが興味無さそうにぽつりと呟く声が聞こえた。俺は無意識に、違和感の理由を探っていた。確かにキングはいつも気まぐれに行動する。だが、今のは--何がおかしい?
ふと、ベッド脇の白いサイドテーブルが目に映った。その上にはキングがいつも、それこそ近場へ食事に行くときでも肌身離さず持ち歩いている拳銃が置いてあり、俺はこの違和感の糸口を見つけたような気がした。
キングは武器を持たずに何処へ、何をしに行くつもりだ?
『夜には戻るよ』
その日、夜になってもキングは戻らなかった。
結局俺が医院から動けない間、キングが戻ってくることは無かった。何度か携帯に連絡してもその度に留守番電話に転送され、しまいには電源が切られた。行方が掴めないまま怪我は取りあえず動けるぐらいには回復し、医院から出ることにする。
「あまり動き回るのはおすすめしませんね。完全な状態ではないですから」
キングの銃をホルスターに収納し、いつものジャケットを羽織る俺に医師が苦々しそうな口振りで忠告する。それは俺自身もわかっていた。わけのわからない治療のお陰で普通より早く治ったとはいえ、怪我をした肩や脚は鉛が詰まっているように重い。
しかしだからと言って、体調が万全になるまでただ寝ているのは精神的に良いとは思えなかった。キングは今現在行方不明--この場合こう言ってもいいだろう--で、生きているのか死んでいるのかすらわからない。
死。自分の頭に浮かんだその言葉にぞっとした。あのふてぶてしいキングがそんなあっさりと死ぬわけがない。しかし、十日もの間連絡もせずにいなくなるということは今まで一度も無かった。仕事の連絡もあるし、必ず一日一回の連絡は取っていたのだ。
何かトラブルがあったと思って間違いないだろう。そう考えると、ただ手をこまねいて待機しているわけにはいかない。俺は退院早々、キングの捜索にあたることにした。
「無茶はしない」
「まあ……、無茶して傷口が開いたら私のところに来ていただければ良いんですけどね」
医師はころっと態度を変えて微笑んだ。それはまるで無茶して欲しそうな口調で、俺は苦笑いを堪えきれなかった。
「じゃあ、また」
「今度はキングさんといらしてください。食事でもご馳走します」
キングと、か。そうすることが出来ればいいが……俺は半ば願望混じりに、頷いて医院を後にした。
まずはキングがよく行く店などを聞き込みしてまわることにする。久々に浴びる日光はやたらと眩しく、俺はサングラスを掛けた。組織の人間に顔が割れているかもしれないし、その場しのぎにしかならないが顔を隠すためにもいいだろう。
13番街は相変わらず薄汚い。細い路地を歩くと足元のすぐそばにはボロ布が山になっている。ゴミではなく、布に身体を包んだ浮浪者なのだ。彼らは隙間から目を覗かせると通行人をちらりと見て、気の弱そうな人間だと判断すると僅かな金をたかろうとする。
勿論、俺には見向きすらせずにまたボロ布の中に丸まってしまった。
角を曲がるとネオンの付いた小さなバーの看板が見える。昼間だから看板に電灯はついていないが、中に店主はいるだろう。不用心にも鍵の掛かっていないドアを開けると店内は薄暗く、カウンターに突っ伏している男が一人。
「誰だ……? ああ、君か」
店主であるその男は顔を上げて俺の姿を認めると、だるそうに姿勢を正した。
「悪いが……まだやってないよ。ああ、昨日は飲み過ぎた」
「二日酔いはいつもだろ。俺は飲みに来たんじゃない」
カウンターに寄りかかって煙草に火を点けた。
「ん? そういえば今日はキングがいないな」
「……そのキングなんだが。最近十日以内に来たか?」
問いかけると店主はぼさぼさの髪を掻いた。少し黙って、思い出しているようだ。
「十日以内……最近日にちや時間の感覚が無くてな……でも最後に来た時は君も一緒だったからな、一人では来てない」
「そうか……」
失望しそうになったが、まだ諦めてなどいられない。
「なんだ? 家出でもしたのかい」
「ああ、まあそんな所。邪魔したな」
行動は早い方がいい。俺は短くなった煙草を灰皿に押し消すと立ち去ろうとした。
「ジャンキーに襲われてなきゃいいが」
「……ジャンキー?」
店主がぽつりと言った言葉を俺の耳は拾った。
「ここ何日か、ヤク中どもが暴れ狂ってるだろう。誰彼構わず襲ってるの、知らないのか?」
首を振った。あの医院は13番街の外れで、中心部の情報はあまり入ってこない。店主は呆れたように肩を竦めた。
「まあ、キングなら大丈夫だろ」
「……失礼するよ」
外に出ると足早に次の目的地へと向かった。ジャンキーが暴れ狂っている?
偶然だとは思えない。組織は薬物中毒者を使って俺達を探しているんじゃないだろうか。そいつらがシキのような奴等だとしたら、手当たり次第に襲っている可能性もある。
改めてキングの行方が気にかかる。彼は強い。だが、痛覚がない殺人狂を相手にして勝てるかどうか……何よりキングは今、武器を持たない丸腰なのだ。ホルスターに下げた拳銃にそっと手を当てる。
キングはきっと生きている。自分にそう言い聞かせて足を踏み出した。
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