「自分の事なんだから知りたいに決まってる」


「なら自分で思い出せ。自分の事なんだから当たり前だろ」


 俺の返事に、キングは馬鹿にしたように半ば笑いながら言った。一体何なんだこいつは。




「お前……」


 重ねて訊こうとした時、キングが振り向いた。その顔は和やかに笑っていて、さっきまでの無表情さより無気味だ。


「俺がどうこう言ったってお前は疑う。自分の目で見て、自分で思い出したものしか信じない奴だ」


「そんなこと……」


 きっぱり言ってのけるキングに反発しながらも、妙に決まり悪さを感じた。確かにその通りであるような気もする。誰かに、『お前はこういう人間だった』と言われても素直に頷けるかはわからない。


 だが、それでも気になる。思い出してはいけないと感じる程の記憶とは、何だ? 俺は何を見た?




 頭の中がかき乱され、また、自己が揺らいでしまう。




「本当か嘘か迷いながら、どちらも捨てられないで悩む。お前は何処までも二律背反に縛られてるからな」


「また哲学か。知ったような口を利くな」


 苛立ちに任せて吐き捨てると、キングはふいに目を逸らした。また折り紙を始めながら、ぽつりと呟く。




「知ってるから言うんだよ」


 気まずい沈黙が流れる。この分ではキングから聞くことは叶わなさそうだ。自分で記憶を手繰り寄せるしか無いのか……しかしどうすれば良いのかわからない。


 二律背反。そういえば俺はいつもそうだ。死体愛好者である自分が恐ろしく、だが死体から離れることも出来ない。どちらも捨てられずに頭を抱えてばかりいる。


 痛み止めが切れたのか、傷口がズキズキ痛みだしてきた。もう考えるのも面倒くさい。なるようにしかならないのだ、どうせ。それよりも、組織の事をキングに話さなければ。奴らは今も俺達を追っているはずなのだ。




「あれ、起きてるじゃないですか」


 口を開きかけたその時、病室の扉が唐突に開いて白衣の男が顔を出した。この医院の主である。




「キングさん。目を覚ましたら教えて下さるように言いましたよね」


「忘れてた。別にいいだろこいつ元気みてえだし」


 医師……無免許医だからその呼び名が正しいのかはわからないが、彼は俺の寝ているベッドに近寄って顔を覗き込んでくる。




「顔色は大分好くなりましたね。具合は如何ですか?」


「傷口と腹が痛い」


 俺が言うと、医師は髪を掻きながらキングをちらりと見遣った。


「追加の痛み止めは別料金になります」


 アングラの医院だけあって、ここの治療費はべらぼうに高かったことを思い出す。俺は眉間に皺を寄せて溜め息を吐いた。我慢出来ない痛みでは無い。




「……大丈夫だ。いつ退院できる?」


「安静にしていれば十日程度で出られますよ」


 十日? そんなもんか。拍子抜けしたのが顔に出てしまったらしく、医師は微笑みながら言った。




「ちょっと特別な治療法を使いましたので……ですから、費用も格安にしておきました」


「格安?」


 つまり、モルモット代わりにされたということか。……意識を失っている人間に何てことをするんだ。俺はキングを睨み付けてやったが、当の本人は平気な顔をしている。




「大丈夫ですよ、99パーセント安心な治療法ですので。いやあ、助かりました」


 ……残り1パーセントのことは考えないように努めよう。


 医師は無免許ではあるが腕は良く、俺もキングも世話になってきた。




「ヤブ医者、あれはどうだった?」


 出来上がった折り鶴を握り潰して捨てながらキングが医師に問いかける。


 あれ?




「なかなか凄かったですよ。チカさんも興味があるそうで、いらっしゃるとか」


「チカも? まさかあわよくば喰うつもりじゃねぇだろうな」


 全く話が見えず、俺は何のことだと二人に尋ねた。するとキングは大して面白くもなさそうな表情で答える。




「お前を殺そうとしてた奴の死体を持ってきたんだ」


「薬物中毒者らしいと聞いて、少し気になりましてね。私がお願いしたんです」


 シキの死体を? ここに持ってきたということは、解剖したんだろう。あの男の狂気に満ちた言動を生み出した原因である薬物の詳細が判明したのなら、俺も大いに興味をそそられる。




「お前の隣に転がってた女は車に詰められなかった」


 キングが静かに付け加え、俺は少女の死に顔を思い浮かべた。母親を無惨に殺したのは事実だ、だが……最期に呟いた謝罪の言葉。その瞬間、少女は紛れもなく正常だった。もしかすると俺よりも素直に生きていたのかもしれない。




「……あの男だけで十分だ」


 俺は本心から、そう言った。








 しばらくすると、病室のドアが軽くノックされる音が聞こえた。


「どうぞ」


 医師が返事をするとドアは開き、ハイヒールが床に響く硬い音を立てながらチカが病室に入ってくる。彼女は相も変わらず赤い服を身に纏っていて、およそ見舞いに来る格好には相応しくない。




「チカ、ありがとう」


 キングを起こしてくれたという彼女に俺は礼を述べた。チカはしばらく目を瞬かせていたがやがてその意味に思い当たったのだろう、微笑む。その笑顔はとても美しかった。




「お礼の言葉なんかより、活きの良い子供のステーキが欲しいわ」


 だが次いで放たれた言葉に、俺は心の中で前言を撤回する。やはり食人鬼だ。


「……考えておく」




 チカも到着したことだし、俺は自分がシキと対峙した結果知ることになった組織の情報を話す事にした。医師も同席しているが、彼は口も堅いしシキの解剖結果を知っているのだから問題はなかろう。


 売人のあの男は本名かはわからないがシキという名前を持ち、組織の"上"からの命令で報酬--薬や金と引き換えに俺達を探していた。しかし相手組織は俺達の詳細を掴んでいないようである。


 もしこちらのアジトや、仲間は二人だけだと解っていたら歩き回って怪しい人物を探すよりも当然アジトへ乗り込んでくるだろうからだ。勿論、俺が丸二日眠っている間に状況が変わったということも充分考えられるが。


 カプセルに入っていた薬はただ単にシキが呼んでいただけかもしれないが"ルクレツィア"という名称で、その中毒症状は恐らく暴力及び殺人衝動の異常なまでの増幅、更に痛覚の麻痺。少女の言動から、それらは服用者の記憶の外において作用する可能性もある。




 医師とチカは俺の話を興味深そうに聞いているが、キングはよそ見している。何を見ているのかと思えば壁に張り付いた小さな蜘蛛を眺めているのだ。自分の身に関わる事であるというのに、見事な無関心振りだ。




「シキって名前、私は知らないわ。でもそいつは組織の中では下っ端中の下っ端ね。売人は薬の恐ろしさを知っているからそう易々と中毒にはならない。常習者が薬欲しさに組織入りしたのかしら」


「なかなか面白い薬ですね。男の言動も面白い。神になって裁きを下したくなるとは一体どんな幻覚を見ていたんでしょう」




「……キング、お前はどう思う?」


 直接的には無関係なチカと医師の二人は薬の方に惹かれているようだが、俺としてはまず自分とキングの身の安全を確保したい。


 実際俺はカプセルを探しに行って運悪くとは言えシキに襲われたのだし、こうして横たわっていても今にもシキのような狂人が乗り込んで来ないかと落ち着かない気持ちだ。


 だがキングはやはり関心無さそうに首をぐらぐらと傾ける。




「ああ……そうだな。ルクレツィアって言えば十五、六世紀に実在したイタリアの暴君の妹と同じ名だな。ルクレツィアの兄であるチェーザレ枢機卿は弟を毒殺したんだがそれは美しい妹を独占するためだという説もある」


 淡々と言い、そして黙ってしまった。


「……それで?」


「いや、思い出したから言っただけ」


 キングはあっさりと言う。その話と現在の問題と何か関係があるのかと思った俺は軽く拍子抜けした。そのイタリアの美しいルクレツィアから名付けたのかもしれないが、そんなことはどうだっていい。




「薬の方のルクレツィアについては何か知らないのか?」


「さあ。わかんね。それよりシキの死体からは何がわかった?」


 キングは俺の質問をのらりくらりとかわすと、医師に話を振った。




「そうですね、彼の脳は一般的な薬物中毒患者と大差ありませんでした。やや部分的に異常が見られるところはありますがそのいずれも特殊な薬物による物だと見て間違いないでしょう。チカさんが分析したレポートを見せて頂きましたが、シキが例の薬物を摂取していたのは明らかです。……ですが」


 医師はそこで言葉を区切り、俺たちの顔を見回す。


「彼の死体を解剖した結果、彼が薬を常用するようになってから、時間が経っていないことを死体は如実に教えてくれました。少なくとも1ヶ月……もしかすると、最初に薬を飲んでから一週間と経っていない可能性もあります」










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