食事を終えたチカは調査に取りかかった。俺にはよくわからない器具や装置をトランクから出し、クスリの解析を始める。
彼女は性癖や性格に問題点は多数あるが、仕事は早いし確実だ。今までの経験上からそれを理解している俺達は、思い思いの好きなことを始めた。
俺は今日バラした子供の、剥いだ爪を洗浄して丁寧に拭く。いつもの作業だけれども、今日は何だか集中出来なかった。やはりキングの話や、チカの食事風景を見たことが効いているように思う。
キングはというと、暇そうにトランプを切っていた。文字通り、ナイフで切っているのだ。何の意味があってやっているんだろうか。何の意味もないんだろうか。
──先程し損ねた質問をしてみよう。爪を小箱にしまい込んで、俺はキングに声を掛ける。
「キング、ちょっと」
「あ? ……ふああ」
こちらを向いたキングは、いきなり欠伸をした。時計を見ると、既に日付は変わってしまっている。
「質問というか、キングの考えが聞きたい事がある」
「なんだよ。勿体付けた言い方すんな」
眠たそうなキングは見るからに不機嫌だ。俺は少し迷ったが、聞いてしまうことにした。
「お前は、殺した人間に対してどういう感情を持ってる」
「どういう、って?」
「殺して良かったとか、悪かったとか……罪悪感とか、だ」
キングはトランプのカードを切り刻みながら、ほんの少し黙る。やがて、口を開いた。
「俺が何て答えれば満足すんの?」
「は?」
俺は阿呆みたいに口を開けたまま固まった。満足する答えだと? キングはナイフを弄びつつ俺に視線を向けた。
「寝る」
無愛想にそう言って、キングは立ち上がった。見上げた俺と目が合うと、彼は目を逸らす。そして呼び止める間もなく自室へと引っ込んでしまった。
一体何なんだ。俺を満足させる答え?
そんなものは欲しくない。だが──。
キングに何と言って欲しかったんだろうか。人間なんか殺しても良い、バラしても良い。その言葉が欲しかった……?
そのことに気付いて愕然とする。あの、今すぐにでも訊かなければならないような義務感は、自己の安定のため?
俺はただ、自分が安心するための、自分の異常性を受け入れるための言葉を、キングに依存しようとしていたのか。それをキングは見透かしていて、あんな事を。
「大変ね、悩める青年」
チカの声に振り向くと、彼女はこちらを見ていた。白いマスクを着用しているが、明らかに目が笑っている。
「聞いてたのか」
「当たり前でしょ。こんな狭い部屋なんだから否応無しに聞こえちゃう」
しばらく沈黙が流れ、チカの扱うガラス器具のカチャカチャと言う音だけが室内を支配する。
「ジョーカー、あなたは『こちら側』の人間じゃないわね。まだ、と言った方がいいかしら」
チカが口火を切る。ぼんやりと彼女の手の動きを見ていた視線を動かすと、彼女の瞳は作業に集中しているように見えた。
「鬼は自分の所業に疑念を抱いたりしない。自分の本能がそれを求めるから殺し、喰らうだけ」
「お前も哲学かぶれか」
「"も"?」
「何でもない」
本能が求める。殺戮を、食人行為を、……死体を。
疑念など抱かないなら、俺のように、受け入れるか受け入れないかでグダグダ悩んだりはしないはずだ。
俺は一体、『何』なんだろう。
「いい加減、キングと連むのやめたら? 深みに嵌るわよ」
チカが、同情にも似た優しさを含んだ声で俺に言う。キングと離別すれば、確かに平穏に暮らせる。だが俺は……。
「もう遅いんだよ」
「……ふん。まあ私には関係ないわね。はい、解析終了。キング起こしてきたら?」
チカがマスクを取り外し、息を吐く。俺はキングが寝ているだろう部屋のドアをちらりと見やった。まだ寝入ったばかりだろう。無理やり起こすと面倒な事になりそうだ。
「後で伝える。調査書だけ貰えばそれで良い」
「じゃあまず成分の説明からするわ」
チカは手書きのレポート用紙に書かれた文字を読み上げる。
主な成分はメタンフェタミン、次いでカフェインなどの向精神薬、幻覚剤メスカリンをカクテルしたものだった。
メタンフェタミンは言わずと知れた覚醒剤だ。中枢神経を刺激する作用を持つ。向精神薬、これは交感神経を刺激する。幻覚剤も同様に脳神経系に効果をもたらす。
「常用すれば妄想、幻聴、他者への攻撃性の増加。人間としての感情は失われる」
「麻薬シンジケートが作ったんだろうか」
俺達は関わらないが、そういう組織は世の中に当たり前の如く存在する。
「私に情報は入ってきてないわ。最悪の薬よ、これ。こんな物飲んでたら肉の味が台無し。私だったら即吐くわね」
チカが憤慨している。俺はその言葉に、引っかかる物を感じた。
……吐く?
俺の目は無意識にキッチンの冷蔵庫へと向かう。凍らせた子供を思い出したのだ。
キングが毒入りのパイを与えた時、あの子供は--嘔吐していた。俺はそれをアパートの四階の窓から眺めていたから、肝心な事がはっきりとわからない。
肝心な事、それは勿論子供がカプセルを吐いたのかどうかだ。
情景を必死に思い出そうとする。しかし子供の前にはキングが立っていたし、やはり俺は見ていなかった。何らかの理由で吐いていないかもしれない。
だがもしカプセルを吐いていて、秘密裏に受け渡そうとしていた薬がこのアパートの前の道に転がっているとしたら。
俺はすぐさま立ち上がった。チカが驚いた顔をしているが、説明している時間も惜しい。まずはキングに問いただすことにする。彼は子供の目の前に居たのだから、確実だ。
キングの部屋のドアをノックもせずに開ける。中は灯り一つ付けておらず、真っ暗だ。
「キング、起きろ」
ベッドの脇に立って、キングが横たわった身体の形に膨らんでいる、厚手のブランケット越しに軽く揺する。
返答は無い。どうやら熟睡してしまっているようだ。
「頼むから……キング、起きろ」
縋るような気持ちで彼の肩の辺りを強く揺さぶった。ブランケットから目から上だけを出したキングと目が合う。
「……なんだよ」
キングの寝起きは最悪だ。俺は手早く状況を話し、子供がカプセルを吐いたかどうかを訊く。
「知らねえ」
キングは吐き捨てるようにそう言い、また目を閉じかけた。
「知らないってお前……目の前にいたんだから見てるだろ」
半分寝ているような状態のキングを問い詰めると、彼はいかにもうるさそうに顔をしかめる。
「ああ、じゃあ吐いた」
「吐いたのか?」
「やっぱり吐いてない」
完全におちょくられている。もうキングに訊くのは諦めた方がいいだろう。時間の無駄だ。
俺が黙った途端に寝息を立て始めたキングを忌々しい思いで睨みつけ、部屋を出る。部屋の外にはいつの間にかチカが立っていた。現在どういう状況なのか興味津々のようで自分からは何も訊かないくせにじっと俺を見つめてくる。
キングといいチカといい、異常な奴は異常な出来事が大好きなのだな、とつくづく思う。
「カプセルが外に落ちてるかもしれない」
シャツの上にジャケットを羽織りながら簡単に説明する。まだ外は肌寒いだろう。
「まあ大変。私に何か出来ることあるかしら」
どうやらチカにとっては期待するほどの事ではなかったらしい。口ではしおらしい事を言いながら、彼女は帰り支度を始めた。どいつもこいつも……。
「……無い」
今日何度目か、既にわからなくなっている溜め息を吐く。玄関横の戸棚から小型の懐中電灯を取り出し、少し考えてから拳銃も持っていくことにした。
アパートの安っぽい扉を開けて外廊下に出ると、住人は寝静まっているのか物音一つしない。住人といってもその数は少ないが。
エレベーターのボタンを押し、間もなく到着した箱に乗り込む。一階へのボタンを押してから、俺はポケットに突っ込んだ拳銃に手を当てた。
運び屋の役目を背負わされた子供が消えて、黙っているほど麻薬シンジケートは温厚じゃない。あの薬にどれくらいの価値があるのか俺にはわからないが、安い物だとは考えにくいからだ。価値が無い物だとすればあんな手間を割く必要は無い。
恐らく子供が居た場所はそのまま、薬の受け渡し場所。アパート前の道は人通りも少なく、警察の巡回ルートからも外れている。
だが、キングの存在は組織にとって予想外だったのだろう。そのキングが子供を殺し、こちらは意図していなかったが薬を横取りすることも。
まず間違い無く、組織は此処に来る。そこに薬のカプセルが落ちていて、毒が検出されたら。
その目の前に建つアパートに真っ先に目を付けるのは想像に難くない。勿論、13番街全体にもそれは及ぶだろうが。
そうなればいずれ、俺達は始末される。いくら殺人の術に長けているキングと言えども、数の力に勝てるとは思えなかった。組織とはそういう物だ。
組織がいつ捜索に来るのかは見当が付かないが、先にカプセルを見つけ出さなければならない。後悔の念に襲われた。カプセルを子供の腹から見つけた時、すぐに確認していれば。
エレベーターが一階に着き、止まる。
……悔やんでも仕方ない。もしカプセルが落ちていなければそれでいい。いや、良くは無いが俺達が危険になる可能性は減るはずだ。
そう自分に言い聞かせ、俺はエレベーターから足を踏み出した。
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