浴室に死体を運び込み、解体用のTシャツに着替える。
背後からキングの足音が聞こえて振り向くと、彼は撮影部と録画部が一体型の手持ちカメラを俺に向けながら入ってきた。
「何だ、それ」
「ビデオカメラ」
それは見ればわかる。キングは何故か物珍しそうに脱衣所や、洗面台をレンズから撮される液晶画面越しに眺めている。
やがて彼は俺の怪訝に思う視線に気付いたのか、カメラを顔から離してこちらを向いた。
「解体記録として撮影しようかなと思いまして」
「駄目だ。もし捕まって家捜しでもされてビデオが見つかってみろ、充分すぎる証拠になるだろ」
俺のその言葉は八割は本心からの懸念だった。だが、後の二割はそんな計算された理屈では説明出来ない感情がある。
俺は、死体をバラしている最中、どんな表情をしているのだろうか。それを映像として残すことに、言いようのない怖れがあった。
「いいじゃん、すぐ消すし。お願い」
キングが俺に『お願い』するというのは、最早『お願い』ではない。有無を言わさず実行するつもりで、だが取りあえず形として俺に賛同させるつもりなのだ。
それは無理やり反対を押し切るよりもタチが悪い。俺が結果的に賛成したことは紛れもない事実なのだから。
──もし俺が反対したら、キングは俺をあっさりと殺すだろうか、と……こういう状況になる度に考える。
だが今は言い合っている時間すら惜しい。こうしている間にも死体は腐っていく。主を失った身体はただの肉塊だ。
「……すぐ消せよ」
「了解」
浴室のタイルに寝かせた子供の服をハサミで切って脱がす。裸になった死体は痩せていて、俺は少しだけ哀れを感じた。
「ガリガリじゃん。かーわいそー」
キングはカメラを回しながら、そんな言葉を吐く。絶対、そう思ってはいないだろうに。
俺は黙ってハサミを置き、次いでシースナイフを手に取る。鞘から抜くと中型の刃が、浴室の灯りを鈍く反射した。
これはいわゆるハンティングナイフで、主に狩猟した獣をその場で解体するために使われる。
獣の厚い獣皮を切り裂く切れ味と、骨に当たっても折れたりしない丈夫さを持ち、人間を、しかも皮膚の柔らかい子供を解体するには充分すぎる程のナイフだ。
死体の右腕を持ち上げ、付け根にナイフの先をぐっと差し込むと骨に当たる。
ナイフを皮膚に沿って一周させると、赤い血が僅かに流れ出した。
「うわっグロー」
キングが茶化すように笑う。お前が殺ったくせに何を、と反論したくなるが口を開くのすら今は勿体無い。
俺は目の前の死体に集中した。肩の関節にはガットフックを差し込み、筋を切る。少し力を込めて関節を捻ると、右腕は胴体から離れた。
こうして、胴体から離れてみると腕はただのマネキンの部品のようにも見える。爪は後で回収するとして、俺は右腕を用意していたバケツに放り込んだ。
続けざまに左腕に取りかかろうとした時、黙って撮影していたキングが口を開いた。
「ジョーカー、楽しそうだな」
その言葉にギクリとし、思わずキングを見る。彼は相も変わらず、液晶画面越しに俺を見ていた。
「楽しそう……か?」
「目が生き生きしてるよ」
自分の異常性には気付いているつもりだ。だが改めて他人───しかもキングから言われると、自分の性癖を疑う。
死体愛好者。ネクロフィリア。
「なんでそんなに死体が好きなんだ?」
キングが、俺の長年抱えてきた疑問をいともあっさりと口にした。
俺は黙り込む。なんで好きなんだ。
死体に触れ、それを解体している時間、生きていることを実感する。それは明らかに異常だと理性は訴える。だが、止められない。
キングが仮に死体を作らなくなったなら、俺は自分で殺すかもしれない。……キング。ならばキングは、何故人間を殺すんだ?
「お前は何で殺すのが好きなんだ?」
生まれた疑問をキングに投げかける。勿論、左腕の解体作業の手は動かしながら。
「話逸らしたな? つーか、ジョーカーにそれ訊かれるの二回目」
俺は首を傾げる。覚えていない。
「その時、答えたのか?」
キングは俺の反応に対して大袈裟に溜息を吐いた。さも残念そうに。
「覚えてねえの? 思い出せ。……ヒントは、お前がその質問を俺にしたのは、俺達がその子供ぐらいの歳の時だった」
キングが顎で指しながら言い、俺は改めて横たわる子供の死体を見る。
片腕を無くしたその子供は、十歳かそこら……だろうか。正確には解らないが、幼い子供であることに間違いない。
『なぜ殺す?』
子供の頃、キングに……同じ質問をしたのか。
俺は少しの間考えることにした。思考しながらでも手は動かせる。喜ぶべきことかはわからないが解体の手順は既に身体が覚えてしまっているのだ。
子供の頃……か。
俺とキングは、かれこれ十年以上の付き合いだ。それに気付いて感慨に耽るよりも先に、驚いた。細かな年数はもう数える気も起きないが、改めて考えると長い付き合いである。
キングの子供時代はどんな風だっただろうか。
ちら、と横目で見た彼は涼しげな顔をして、俺の手さばきを撮影している。
頭の中で、薄ぼんやりとした像が映され始めた。それは思い出そうと努力する俺に応えるかのように、段々と鮮明さを取り戻していく。
今と変わらない色の髪、ボロボロのシャツとズボンから伸びる傷だらけの腕、脚。汚れたスニーカーを履いて──。
思い出したキングの子供の頃の顔は、そこらにいる子供と変わらなかった。
まあ、それは俺も同じだろうが。
血と脂肪でぬるつく手をタオルで拭きながら、俺は浴室に広がる血の赤を凝視した。視覚や聴覚は、記憶を呼び覚ます手助けをする。
まばたきの間に、記憶がフラッシュバックした。ある一場面が蘇り、さらに記憶の糸を手繰る。
『良いもの見せてやるよ』
記憶から掬い上げたその声はあまりにクリアで、一瞬手を止める。思い出した。あの日、俺はキングに連れられて……ああ、そうだ。
キングは昔から、変わらなかった。今と同じように、殺していた。
「良いもの見せてやるよ」
キングはそう言った。俺は否応無しに連れて行かれ、長い距離を盗んだ自転車で走る。着いた場所は1番街だった。
あの空気は今でも覚えている。薄汚れた子供だった俺達を蔑み、避けて歩く上流の人間。
清潔な上澄みを啜っている人種には、下層の濁りの象徴かのような俺達は見るに堪えないものらしい。
「早く、捕まったら大変だぞ」
「捕まるって誰に?」
「誰かに」
キングは自転車を乗り捨てると、すばしっこく裏通りへと入っていく。俺はそれに必死で着いていった。
綺麗な街だ。石畳にはゴミ一つ落ちていない。勿論、浮浪者なんかどこにもいない。いつも暮らしている13番街と同じ世界だとは、まだ子供だった俺には簡単には信じられなかった。
「……ここ?」
キングが唐突に立ち止まる。そこは集合住宅、いわゆるマンションの前だった。6階建てぐらいだったろうか。
染み一つない白壁が高級感を醸し出していた。
「裏に回るぞ。鍵壊しといたから」
裏の出入り口のドアは、キングの言う通り壊れていた。持ち手を回すと簡単に開いたドアの隙間に身体を滑り込ませ、キングは俺に手招きをする。
なんだか胸がどきどきした。探検しているような気分だったのだ。人影が見えたら急いで隠れ、上へ、上へと階段を上がる。
屋上に通じる扉もキングが壊しておいたのか、鍵は掛かっていなかった。重い鉄の扉を二人で協力して押し開けると、涼しい風が顔を撫でたような気がする。
「到着ー」
キングが屋上の真ん中に寝転がり、俺もその横に横たわった。あんな高い処から空を見たのは、あの時が初めてだったと思う。
「これを見せたかったんだね、キング」
俺は納得した。それほどまでに、あの日の空は澄み渡って清らかだったのだ。
「違うよ。これからが本番」
「え?」
キングは立ち上がると、屋上のフェンスに向かって歩いて行った。俺はキングの言葉の意味が解らなかったが、何か面白い遊びがあるのかと思ってついていく。
フェンスの一部分は破れて、人間の頭大くらいの穴が開いていた。
「お前は下を見てな」
言われた通りに下を見下ろすと、マンションの前の通りには人がまばらに歩いていた。当たり前のことだが、小さく見える。
「物って、高いところから落とすと、ただ当たるよりも衝撃が強くなるって知ってた?」
横を見ると、キングの腕がフェンスの穴から外に向かって伸びていた。その手には、いつの間にかブロック石が握られている。
「……ジョーカー、見てろ」
キングの手から、ブロック石が離れる。俺は急いで眼下の通りを見下ろした。身なりの良い男性が歩いている。真っ直ぐに行けば、間違いなくブロックに当たる進路だ。ブロックは重力に逆らわず、垂直に落下して--。
「あぶない!!」
俺は思わず叫んでいた。
だが、遅かった。
頭蓋骨に直撃したのだろうか、男性はぐらりと体勢を傾け、そのまま倒れた。石畳に赤い血がゆっくりと、広がっていく。
家族なのか、上品そうな女性と子供が駆け寄る。倒れた彼はぴくりとも動かない。……呆然と見下ろす俺の横で、キングは笑い声を上げていた。
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