俺は何も考えずに行動を移した。腰のホルスターから右手で拳銃を取り出し、ワードに銃口を向ける。それが最も相手に威圧感を与える方法ではないかと、無意識に悟りながら。


 そして手段は大正解だった。笑みを浮かべていたワードの顔が一瞬にして凍り付く。




「見かけに依らずお利口じゃねえか。いつから気付いてた」


「い……家に入る時」


「何故だ」


 代わってジョーカーが質問する。ワードは俺たちを交互に見つめ、喉を鳴らして唾を飲み込んだ。




「キングの上着の内側にナイフと……拳銃が、ちらっと見えたから。もしかしてと思った」


「じゃあ何で逃げ出さなかったんだ?」


 まあ逃げ出したら逃げ出したで速攻殺してただろうけど、と考えながらワードの応えを待つ。奴は拳銃の存在を一時忘れたのか、ふと自嘲めいた笑みを洩らす。それを見ながら俺は、ほんのわずかずつ、こいつに対する感情が変化していくのが自分でもわかった。




「面白そうな体験だ、と判断したんだよ。小説の感想を聞きたかったのは本当だし、今後のネタにもなるかと……」


「お前、バカ?」


 大袈裟に呆れた演技をして、拳銃の引き金に指を掛ける。場が緊張するのを肌で感じた。今ここでワードを殺すのは簡単だ。赤子の手を捻るよりも。だが、消してしまった緊張感はもう戻らない。


 何より、俺は不思議なことに、ワードを気に入り始めていた。面白いぐらい馬鹿な奴だ。目先の拳銃やナイフを見ていながら鼻先の願望――感想を聞くこと――を優先する、その訳の分からなさが気に入った。




「……で、お前はこれから話してくれるんだろ?」


 あくまでも拳銃を突きつけたまま話しかける。ワードは目を白黒させながら、やっと合点がいったように大きく頷いた。


「ああ。僕が考えている、暖めている作品を君たちに聞いてもらいたい。今、僕が一番近しい人達といえば君達しかいないも同然だからね」


 確かにそうだろう。お前は二度とこのアジトから出られないんだからな、とは口に出さなかった。ふと思う。こいつは自分が死なないとでも信じているのだろうか。まさかそれはないと思うが、だとしたら、最上級の馬鹿に違いない。




「そうだな、ストーリーテラーを抱えるのも悪くない」


「キング」


 隣にいるジョーカーから声が掛かった。目だけで見やると、視線は戸惑いを明らかに示している。始末した方が面倒は少ない。だが、既にワードの作品を読んだジョーカーとしては情が移りかけているのだろう。葛藤の眼差しに、声を上げて笑って応える。




「元はといえばお前が読みたがったからだろ? 最高じゃん、世に出てない素晴らしい作品をナマで聞けるんだぜ」


「……俺は読書が好きなんだ」


 ジョーカーからの精一杯の抵抗。俺はそれを鼻で軽くあしらった。ワードは気に入ったが、ジョーカーに目を付けたのは気に入らない。何よりも、こういった状況に導いた偶然が気に入らない。ならば、利用してやろうじゃねえか。




「ああ、何なら、ワープロか原稿用紙に書いてもいいけど」


「いや。その必要はない」


 ワードの提案を押し退ける。そんな手間暇も時間も掛けるつもりはなかった。話が終われば、すぐに殺す。




 俺はわざとらしいぐらいに明るい声を出して言った。


「じゃあ、今夜からだな。お前と俺たちの千夜一夜物語は」








 その日から自室をワードに貸し、俺はリビングのソファで寝ることになった。


 理由はジョーカーよりも俺の方が五感が働くゆえに、万が一ワードが逃げようとした時には直ぐに殺すか捕まえるか出来る。ジョーカーは俺の提案を渋々受け入れた。




 ワードの話のジャンルは多岐に渡っていた。頭の中で構築しているのみらしいので、支離滅裂な部分もあったが、そこはジョーカーが指摘するとすぐに辻褄が合うように修正された。


 ミステリーを中心にホラー、SF、純文学、恋愛もの。しゃべりまくるワードと、聞きながら、時折質問を挟むジョーカーの二人は作家と編集者みたいだった。俺自身もたまに興味を惹かれる話はあるにはあったが、幾度か最後まで聞き終わる内に飽きた。




「……というわけで、事件は解決した。どうかな?」


 ワードがいつものように――奴がここに来てから2日が経っている――椅子に座って、テーブルの水を飲み干してから訊ねる。多分自分には訊いていないのだろうと思いながら、俺はジョーカーの肩に寄りかかって眠りかけていた。


「……この間聞いた話とトリックが似通っている」


「ああ、そういえばそうだ。ありがとう」


 ワードはジョーカーからの助言を何時も律儀にノートに記している。今もボールペンを走らせていた。そのノートはジョーカーが与えたものだ。


 ワードの話は基本的にハッピーエンドばかりだった。別に幸せな終わり方が悪いわけじゃない。ただ、何が何でもヒーローとヒロインが生き残っているのには辟易した。


 例えばホラーやミステリーだとしたらたくさんの人間が死んでいる。ワードの話における死者は舞台装置に過ぎなかった。生から死を突如として突きつけられた人間の目に映る絶望を、こいつは知らない。


 知らなくて当たり前だとも思う。だが、だからこそ、ワード自身が生から死に突き落とされる瞬間、どんな顔をするか、楽しみで仕方なかった。


 いつ殺そうか、いつ殺そうか。そればかり考えながらうとうとと微睡む。俺の眠りを破ったのは、ワードの声だった。




「まだ時間はあるね。もう一本、聞いて欲しいんだ」


「俺は構わないが……キング、眠いなら寝ろ」


 ジョーカーの声に手を上げて応える。こうして、うつらうつらとしているのが好きだ。今ならワードの話も子守歌に聞こえそうな気がする。




「じゃあ、話すよ。今度のは少し毛色が違うんだ」


 自信あり気な声でワードが言う。ジョーカーは手を伸ばしてテーブルから煙草を取り、火を点けた。


「毛色が違う?」


「そうさ。僕がこれまで話したのは割と善側の人間の話だったろ? 今度のは、殺人鬼の話。粗筋は――」


 微睡んでいた瞼を開けた。別に聞きたいと思ったわけじゃない。反射的に……いや、本当は聞きたいのかもしれない。俺と同じ、殺人鬼の、作り話を。




「興味あるな」


 座り直してワードに向き合うと相手はびっくりしたみたいに目を瞬いてから、にやりと笑った。


「嬉しいね、キングが興味を示してくれるなんて。……じゃあ、始めるよ。その殺人鬼の生まれは……」




 ワードの話は夕方にようやく終わった。俺はそれから飯を作り、風呂に入って、ソファに横たわった。


 久しぶりに、悪夢を見た。










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