「ここが?」


 赤毛の男が俺たちのアジト兼アパートを見上げながら驚いたように呟く。良い意味でか、悪い意味でか知らないが餌が自分からテリトリーにひょいひょい舞い込んできたのだから、俺は機嫌良く答えた。


「そ、ここが俺たちの隠れ家」


「404号室だ」


 ジョーカーがぼそりと付け足す。どうせ殺っちまうのだから、赤毛にアジトを教えたって何の問題もない。きっとジョーカーもそう考えているはず、でなければ文句を連ねるはずだ。


「意外にも綺麗なんだな。13番街はすべてスラム街と聞いていたけど」


「ここだって十分にスラムだぜ? しかしスラムにも格差があるってことだ」


 アパートのホールをすり抜けてエレベーターのボタンを押す。三人が乗り込んだ箱は順調に上昇し、四階についた時、唐突に赤毛が言った。




「そういえば僕の名前を言っていなかったね。君たちの名前も知らない」


 俺は反射的にジョーカーを一瞥した。どう考えてもジョーカーは情を他人に移しやすい性格をしている。名前を知るということは、赤毛の男がただの他人ではなく名前のある人間に変わると言うことだ。


 その時初めて自分が、ジョーカーに気を配っていることに気付いて驚いた。確かに、以前アカと名付けて拾った子供を殺した――ジョーカーに殺させた――時のショックは目に見えてひどかった。




「教え合う必要があるのか?」


 俺が考えている最中、ジョーカーが訝しげな口調で言った。確かに、名前を教える必要はない。俺たちの立場から見たら特に、だ。


「あるとも。おかしなことを言うね」


 心底不思議そうな表情を浮かべて、赤毛がジョーカーを見やる。アパートの廊下でこのまま永遠に押し問答をするつもりはなかったので、俺は二人の間を遮るようにして言った。




「いいじゃねえか。名前ぐらい、どうってことないだろ?」


 どうせ殺るんだからな、と言外に滲ませてジョーカーに目配せを送ると相手はしぶしぶとばかりに頷いた。


「じゃあ言い出した僕から。僕はワーディリング・オーメット。親しい人からはワードって呼ばれてたんだ」


「俺はキング」


「……ジョーカー」


 短い沈黙が落ちた。さほど気まずいものではなかったが、俺以外の二人も同じだったようだ。ジョーカーは煙草に火を点けて煙を吐き出し、赤毛の男――ワードは何故かトイレの順番を待つみたいにそわそわしながら黙り込んでいる。


 そして、ついにワードが口火を切った。




「ワーディリング・オーメットだよ。ジョーカー、知らないのかい?」


 いきなり名前を呼ばれたジョーカーは吃驚したようにワードの顔をまじまじと眺めた。俺はその様子を観察し、彼が口にする前に結論を引き出した。


「……いや、知らないが」


 ジョーカーが疑り深い調子で応えると、ワードはわかりやすく肩を落とした。一旦俯けた顔を上げて、矢継ぎ早に質問を浴びせかける。


「冗談だろ? 知らないなんて、そんなわけがない。なんで知らないんだ?」


「知らないから、知らないんだ」


 ジョーカーがどんどん不機嫌になっていくのが愉快で、俺は黙って二人の挙動を眺めていた。ワードの発言は気になるが、ジョーカー本人が知らないと明言しているのだから問題ないだろう。




「……仕方ない。ジョーカー、君が持っている袋。その中にヒントがあるよ」


 ワードが一転してニコニコと笑顔を浮かべながら指差した先には、提げられた本屋の袋があった。ジョーカーは俺の方へ視線を投げかける。言うとおりにしろ、と俺は目で答えた。面白いことになりそうだからだ。


 ジョーカーが煙草をくわえて袋から本を取り出す。一冊目と二冊めには何の異常もなかった。しかし、三冊目の、悪趣味なレイアウトの表紙をした小説の著者名には、こう書かれていた。




『ワーディリング・オーメット』










「あんたは小説家なのか?」


 疑り深い声でジョーカーがすぐさま訊ねる。俺も同じように思った。有名な小説家ならば殺してしまうと後々面倒くさいことになるかもしれない。しかし、それはこいつが騙りではなく本物だという前提であり、また、だからと言って殺すのをやめる決定打には全くならない。


「そうだよ。その『南から来た殺人者』は僕の著作だ」


 自信に満ち溢れた様子できっぱりとワードが言い放つ。俺は直感的に嘘ではないと判断した。


 その時、アパートの下の階でドアが閉まる音が聞こえ、自分たちが木偶の坊のように外廊下で話し込んでいたことに気付いた。合図するまでもなく、ジョーカーが素早く404号室の鍵を開ける。


「続きは落ち着く場所で話そうぜ。入れよ、ワーディリング」








 我がアジトのリビングにはソファが一つしか無いため、キッチンから椅子を持ってきてワードを座らせた。俺はいつもみたいに床に胡座をかき、ジョーカーはソファの端に腰を下ろす。


 買ってきた本は全てソファの前のローテーブルに載せた。その一番上に鎮座している『南から来た殺人者』を顎で指し、訊ねる。




「他にも書いてんのか?」


 俺はミステリ小説には興味がないが、ジョーカーの本棚をざっと見ているため、ある程度有名な作家の名前は頭に入っている。が、ワーディリングという名前は記憶に無かった。恐らくジョーカーも初めて購入した小説家の本だったのだろう、戸惑ったような顔をしている。




「いや……それだけしか書いてない。今のところは……。でも、アイデアはあるんだ」


 何故か弁解くさい口調でワードが手のひらを振る。まるでその手からアイデアとやらが湧き出しているのに、と言いたげな素振りだった。


「でも、今んとこは一冊しか出してない。そうだな?」


 相手は俺の質問に渋面で頷く。あとは訊かずとも知れたことだったが、一応駄目押しで訊いてみた。


「ワード、お前は売れっ子作家様なのか? それならこんな街にはいない方がいい。身包み剥がされるのがオチだからな」


 後に付け足した言葉は半分は本当で半分は嘘っぱちだった。俺達が此処でワードを逃がしたら、この温室育ち丸出しの男は少々手荒な13番街の道に住む奴らに金を毟り取られるのは目に見えている。だが、少なくとも俺はこいつという獲物を逃がすつもりはさらさらなかった。




「君たちがそんなことをするのかい?」


 ワードが信じられないというように目を瞬いて訊く。こいつは動物に例えるならとびきり愚鈍な猿だな、と俺はふいに思った。赤毛の猿だ。


「いいや、俺らじゃない。でも13番街がどういう街かは知ってるだろ?」


「知っている。しかし噂や知識として知っているだけさ、危険な街だってね。僕はそれを体験しに来たんだ。もしかしたら次回作のアイデアに繋がるかもしれないし、加えて――」


 ワードは言葉を切って、黙り込んでいるジョーカーに目を向けた。自分の著作と、ジョーカーの顔を交互に見てから、にこりと笑う。




「偶然寄った書店で、君が僕の本を手に取ったのを見た瞬間に決めたんだ。是非とも感想を直に聴きたいと――だって、この『南から来た殺人者』は僕の全ての結晶のようなものだから」


「……作家なら、読者の反応を知る機会もあるだろう」


 静かにジョーカーが質問する。ワードは一転して気まずそうに目を逸らし、膝の上で組んだ手をもぞもぞと動かした。




「それが、無いんだ。僕の本はそもそも自費出版で……あの書店と、他には二店にしか置いてもらえなかった」


 苦々しく呟くワードの言葉の根底に、憎しみめいた感情が垣間見える。俺は脳が痺れるような感覚を瞬間的に味わった。何とも人間らしい人間だ。殺すに相応しい。更にこいつは作家といえども無名だと判明したとなっては殺すしかない。




「――だから、ジョーカー、キング、君たちに感想を教えてほしいんだ」


 今すぐにでも殺ろうかという俺の考えを露ほども感じていないワードが明るく言う。無視して、拳銃かナイフを取りに立ち上がりかけた、その時、ジョーカーが信じられない言葉を吐いた。


「わかった。読んでみよう」








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