追い付いた先は緑に塗られた橋だった。背中を向けて歩くジョーカーを早足で追い掛ける赤毛の男の1メートルにまで近付いてから、素早く周囲に目を配る。人通りは波をせき止められたように絶えている。


「おい」


 声を掛けると同時に男の腰に足蹴りを喰らわせてやった。ものの見事に相手は前につんのめって倒れ、頬を地面に擦り付けて呻いている。


「キング」


 背後で起きた出来事に気付いたジョーカーが近付いてきて、憂慮する眼差しで俺と倒れた男を交互に眺めた。思っていることはだいたいわかる。この赤毛はただ単に、例えばジョーカーの落とし物――したとは考えられないが――を渡そうとして追いかけていたとか、そんな平和な理由で尾けていたのかもしれない。だとすれば俺のこの乱暴は乱暴に過ぎる。


 が、俺は全く気にしなかった。仮にそうだとしても、こいつを殺すつもりになっていたからだ。




「起きろよ、兄さん?」


 背筋を靴底で踏みつけながら見下ろす。こちらをちらりと見た、男の目は髪の色にインクを少しだけ落としたような茶色だった。


「……足を退けてくれたら起きられるんだけど、な」


 苦しげに発せられた声が気に入った。低くも無ければ高くもない、純粋に苦しさを訴える声。俺は足を外してやり、代わりに拳銃を相手に向かって突きつけた。




「これで立てるだろ?」


 男はのろのろと立ち上がった。頬についた砂を乱雑に払い、まず先にジョーカーを見てから俺に視線をくれた。


「強盗か?」


 その発言は全く気に入らなかった。俺はわかりやすく肩をすくめて、拳銃を傾けてみせる。さすがのジョーカーも鼻白んだ様子で目を細めた。


「そりゃ、こっちが言いてえな。俺たちを尾行してたのはあんたの方だろ」


「いや、僕が追いかけていたのはこちらの――彼の方だ」


 赤毛が訂正しながらジョーカーに目を向ける。胸糞が悪くなるような色をした雷雲が頭に垂れ込めたが、理性でそれを押さえ込んだ。こいつの狙いはジョーカーか。どう見ても間抜けな野郎だが、目的を聞かない内には殺してはいけない。




「俺を?」


 ジョーカーが呆気にとられた、それでいて嫌悪感を浮かべた顔をして赤毛を見つめた。その表情からして、相棒の個人的な知り合いでもないらしい。


「そうだ。とにかく、僕は強盗でもないし、君たちも違うんだな?」


 確かに俺たちは強盗ではない。というかもっと悪いものではあるが、それを言う必要は無いだろう。俺は拳銃を一旦下ろしてから頷いた。




「あんたがいきなり尾行してきやがるから警戒したんだよ。俺たちは13番街から来たからな、その辺ナーバスってわけ」


「13番街……13番街か」


 男は何を納得しているのか、頷きを繰り返しながら頬を緩めた。そして思いも寄らぬ、こちらとしては願ったり叶ったりのことを言い放った。


「僕は13番街には行ったことがないんだ。連れて行ってくれないか?」










 赤毛の男は俺達の分の交通費まで出してくれた。もちろん借りを作りたくないジョーカーは受け入れようとしなかったが、結局は頑固さで赤毛の勝ちとなった。俺は何だか妙な気分だった。だって殺すために連れて行く相手に奢ってもらうんだ、妙な気分にならなくてどうする?




「僕は5番街で生まれてね、今は3番街で一人暮らしをしているんだ。親とは疎遠、というか気が合わなくてね。ラズベ教って知ってるかい?」


 沈黙。13番街独特の匂いを感じる暇もなく、赤毛の男はこの調子で喋りまくっていた。別に沈黙のままでもよかったのだが、ラズベ教とやらに興味が出たので俺は聞き返した。




「何だそれ」


「新興宗教さ。親は揃ってそれにハマってる。食べるものやら着るものやらに教則があって、いつも教祖に金を貢いでるんだ。変な壷やら掛け軸やら、馬鹿みたいに財産を注いでる。僕にも入れ入れってうるさくて、そのせいで親とは離れてる」


 赤毛の男は心底うんざりしたように首を横に振り、俺は共感するふりをして頷いた。この会話で重要なのは彼が自分の意志で親と疎遠になっているということのみだった。行方不明になっても親類がすぐに騒ぐことはあるまい。


「3番街は個人主義の街だって聞いたことがあるけど?」


「その通りだよ。まるで近所付き合いなんて無いね、まあ僕はその方がいいんだけどさ。僕の人生には友達ごっこなんてしている暇はないんだ」


「ああ。蝋燭の長さには限りがある」


 言葉の意味が理解できなかったのか、男は真面目くさった表情で、しばし俺の顔を見つめた後に合点がいったように微笑んだ。




「本当に、そうだ。僕の蝋燭の長さはどのぐらいなんだろうな」


「残り5センチメートルってとこか」


 至極真面目に言ったつもりだったが男は冗談と受け止めたらしく、癇に障る笑い声を上げた。ジョーカーはというと渋面で呆れた風に肩を落としている。




「君たちみたいな人間と出会えてよかったよ――ああ、ここはもう13番街か?」


「メインストリートだ」


 ジョーカーが答えると男は物珍しそうに辺りを見回した。小さな店が軒を連ね、小銭をポケットが膨らむほどに詰め込んだ子供が果物を買おうとしている。その脇では浮浪者に片足を突っ込んでいるようにしか見えない男が路上を清掃していて、水を撒く度に黒く汚れた泥が側溝に流れ込んでいった。それでも地面は美しくならない。




「意外と人が少ないんだな」


 男が感想を洩らす。無理もなかった。今はまだ13番街の人間が活動するには時間が早すぎる。しかし、その方が俺としては都合が良い。犯罪の前には、目撃者はなるべく作らないでいたいものだ。特に、殺人を犯す前には。




「この辺は夕方から活気付く。北に行けば酒場があるし、南に行けばバーがあるし、東も西も飲み屋がある」


「13番街の人間は飲むのが好きなのか?」


 ジョーカーは肩をすくめて赤毛から目を逸らした。らしくもなく冗談を言ったつもりが、真面目に返されてしまったらそうするしかないだろう。俺は笑いを堪えながら助け舟を出してやった。




「飲むのが好きっつうか、呑まれたい奴が多いんだよ。この街に住んでるとな」


「確かに、嫌なことは多そうだ。隔離街と呼ばれているのが理解できる」


 道を歩きながら路上に寝ているホームレスの老人を眺めながら赤毛が他人事のように飄々と言う。確かに他人事に違いないが、あまりにも悪びれない言い方に対して、住人として腹が立つ前に面白くなってきた。




「で? お前は何をしに此処へ来たんだ? まさか社会見学ってわけじゃねえだろうしな」


 俺の問いかけに、赤毛の男は今し方目的を思い出したかのようにハッとしてジョーカーを見やった。その様子に一瞬脳味噌が熱くなる――今殺してやろうかと――が、我慢して挙動を見守る。赤毛は考えるように歩む速度を落とし、ようやく言った。


「よかったら、君の家に招待してくれないか? 落ち着いて話がしたいから」


 どうやら、というか当然かもしれないが俺達が同居しているとは思っていないらしい。ジョーカーはすぐさま俺の方を見た。目で肯定を返し、赤毛の肩を掴む。


「勿論構わないぜ。俺『達』の家に招待してやるよ」








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