キングの部屋の前まで来ると、ドアの間近まで足音を忍ばせ近付いた。中から物音はしない。




「ジョーカー、いるんだろ? 入れよ」


 不意にドアの内側からキングの声がした。どうやら彼は無事なようだ。ふっと安心しかけた自分を戒め、俺はゆっくりとドアを開けた。




 室内には、二人の人間がいる。


 入り口に――俺に、背を向けて立っているキングと、それに対峙しているアカ。二人は互いに銃を突きつけ合っていた。




 その光景を前にして、頭を働かせる。この状況で『どうした?』などとは言えない。あまりに愚鈍で、わざとらしい。床を見ると、椅子が一脚倒れている。先ほどの物音はこれが原因だろう。




「ジョーカーさん……」


 アカが言葉を発し、俺は少年に目を向けた。彼もまた、闖入した相手をじっと見つめている。一見純粋そうなアカの目に俺はどう映っているのだろうか。非情な殺人犯なのか。


 ふと思って、複雑な気分に陥った。しかし、銃を持った『敵』と向き合っているのに、その相手から目を離してはいけない。キングの銃がいつ自分を、アカを撃ち抜くかわからないだろうに……。




 はっと気付く。キングが今手にしている銃は彼自身の銃。昨夜、弾を抜いていた、彼の銃だ。……キングはあれから、弾を籠め直したのか?




 俺は素早く判断した。その可能性は低い。わざわざ弾を抜き、再び籠め直す必要性が今は見つからない。キングの銃に弾は入っていないと考えるのが妥当だろう。キングの銃に弾は入っていない。つまり、キングはアカを殺すことが出来ない。




「ジョーカーさん……こいつ……こいつが、僕の父さんを殺したんです!」


 アカの悲痛な叫びで、俺は目の前の現場に意識を引き戻された。アカは真っすぐにキングを見据えて、銃を構えている。その手は小さく震えていた。


 対するキングの様子を伺うと、彼は無表情のまま、慣れた構えでアカの頭に銃口を合わせている。今すぐにでもアカを黙らせることが出来る体勢だ。




 ──弾さえあれば。




「僕、見たんだ……父さんが殺されるところ……こいつがやったんだ! ……だ、だから」


 アカは再び、縋るように俺を見る。この口振りだと、二人で死体を処理したところまでは見ていないらしい。




「だから、記憶を失った振りをして俺を殺る機会を伺ってた。だろ?」


 皮肉にもアカの言葉を引き継ぐようにしてキングが呟いた。やはりキングも気付いていたようだ。が、それなら何故、アカを仲間にするなんて言ったのだ? 俺にはわからなかった。




「初めっからわかってたよ。お前が俺の顔を見たのもわかってて、親父を捨ててひとりで逃げたのも知ってたし。助けたのは偶然だけどよ」


「な……なんで」


 アカが目を見開いてキングを見つめる。銃を支える手の震えが先ほどよりひどい。それを痛ましく思うと共に、不思議に苛立ちめいた感情を覚えた。


 アカはまだ、子供だ。人殺しなんかに縁も無く、幸せに暮らしてきた『子供』。




「この半月間も、お前に銃をやったのも全部、すべて、今この瞬間のためだ。自分を殺そうとしてる奴と暮らすスリルもたまんなかったけど、今お前と向き合っている今、この瞬間……なあ、素晴らしいと思わねえか?」


 ああ、と溜め息を吐きたくなりながら思う。キングはこういう人間だった。いや、もう彼が人間なのかどうかさえ、考えるのが億劫だ。




「……つうか、この瞬間のために、お前の父親を殺したと言ってもいい」


 今、この瞬間のために。親を殺された子供の怒りや怨みと対峙するスリルのために。アカの、たった一人の父親を殺した。




 キングのその言葉が、あまりにもさらりと放たれた瞬間、アカの顔色がすうっと変わる。その手の震えが急に治まり、彼は銃の照準をキングに合わせた。


 『殺す』顔をしている。


 キングもまた、その動きに機敏に反応して銃を構えた。


 二人の指がそれぞれの銃の引き金を引きかけたその瞬間、俺は脊髄反射的に手に持っていた銃を構え、瞬時に撃った。










 強い反動、硝煙の臭い、手の痺れ。


 ――しばらく顔を上げることができなかった。打ちのめされたように手だけをゆっくりと下ろし、膝から力が抜けるのを堪える。




「…………ジョーカー……さん」


 掠れた声が聞こえ、俺はその方向に視線を遣った。そうすることが償いにもならないとはわかっていたが、目を背けたままでいることは出来ない。ゆっくりと視界に入ってくるのは、絶望感を味わうには十分すぎるほどの光景だった。




 ――アカが、信じられないものを見るような顔で自分を見つめている。信じられないはずだ。お前は、俺に助けて欲しかったんだろう。俺はそれをわかっていた。


 わかっていながら、俺は、アカを撃った。弾丸はアカの胸を貫いたようで、彼の服は早くも血に染まりつつある。


 どさり、と音を立てて、アカの小さな身体は床に崩れ落ちた。


 ……俺が殺した。


 とっさの判断で、俺はキングを選んだ。キングの銃には弾が入っていないだろう。あのまま撃ち合っていたら、キングはまず間違いなく死んでいる。


 彼は、俺が自分を助けることを見越していたのだろうか。それとも、死んでもいいと思って、こんな遊びを仕組んだのだろうか。




「ジョーカー、人間撃つの初めてなのに上手いじゃん」


 キングが、場に不似合いな明るい声を上げながら銃を下ろす。くるりと半回転してステップを踏み、俺に笑顔を向けた。




「それ……弾入ってないんだろ」


 アカの身体を見つめながら訊く。もし、キングの銃に弾が入っていたなら。――俺がアカを殺す必要は無かった。殺したくなかった。




「ああ、当たり」


 キングはぺたぺたと足音をさせながらアカの亡骸に近付き、その手に握られた小型の銃を取り上げる。




「……何故、弾が入っていない銃でアカと対峙した? 何故俺にアカを撃たせたんだ? 俺が撃たなかったらお前は死んでたんだぞ」


 疑問をキングにぶつけながら、頭のどこかで、錯乱している自分を自覚していた。


 アカの身体から流れる血。さっきまでしゃべって、生きていたアカの亡骸。――俺が殺した子供。考えると頭がおかしくなりそうになる。




「ジョーカー、実際にお前は俺を助けただろ。仮定の話はどうでもいい」


 その言葉に顔を上げると、キングと目が合った。キングの右手に握られたアカの銃は、俺の額を真っすぐに狙っている。




「……ありがとう」


 キングはこれ以上無いくらいに気持ちと心を篭めたようにゆっくりと言い、素早く引き金を引いた。










 反射的に目を閉じた。俺は一瞬で死を覚悟した。しかし待てども、身体には何の衝撃も訪れない。


 そっと瞼を開けると、キングがニヤニヤと笑っていた。銃の引き金はしっかりと引かれている。安全装置も外れている。


 ……まさか。




「こっち、アカに渡した銃にも弾は入ってなかったんだよ」


 キングは銃を放り投げた。


 ──アカの銃にも、弾は入っていなかった。空っぽの銃で、人は殺せない。アカは、俺が殺さなくても良かった。知りたくなかった事実に鼻をぶつけたように足元をふらつかせてしまう。




「いくら俺様だって、そんな危ない橋は渡らねえよ。ちゃんと弾抜いてるに決まってんだろ?」




 疑問が駆け抜ける。──俺を、試したんじゃないのか? いざという時に裏切らないか。呆然と立ち尽くした俺に、キングがちらりと気遣わしげな視線を投げかけた。だが俺はそれに気付く余裕がなかった。




「……お前は寝てたかもしんないしさ。もしお前が来なかったらアカと取っ組み合いでもしようかと思ってたよ」


 ──俺が、キングの銃に弾が無いことに気付いたら俺はお前を助けざるを得ないと思ったのか。それとも俺に人殺しをさせるためか。全て、キングの計算の内であるように思える。だがしかし、もしも気付かなかったとしても、俺は……。




 アカを助けることが出来ただろうか?


 アカの死体を見つめて自問自答する。


 ……。




「ああ、楽しかった。最後に殺せなかったのは残念だけど」


「…………バラすんだろ」


 手に持ったままだった銃を置いた。アカの身体を見下ろす。




「もちろん、よろしくー。俺は殺ってくる。半月分だから帰りは昼過ぎるぜ」


 キングは何処かうかれた様子で、黒いコートを羽織る。出て行く後ろ姿を見送って、俺はアカの傍に跪いた。




 彼の細い腕を持ち上げる。先ほどまで胸にくすぶっていた感情はどこかに消えた。代わりに、穏やかな歓びが身体の隅々を支配する。体を抱えてバスルームへ運ぶ間にもそれは消えるどころか増幅していくようだった。




 自分でも不思議だった。


 アカを殺した事実は何も変わらないのに、その死体は俺の心を揺さぶり、俺を捕らえて離さない。


 指の先、小さく付け加えたような爪。それを割ってしまわないように、そっと剥がす。血に濡れた、アカの爪。




 浴室の明かりに透かしながら見つめたその瞬間、遠くで誰かの断末魔の叫びが聞こえた気がした。人間を殺さずにいられないキングは狂っている。


 だか、死体をこんなにも愛してしまう俺もまた、別な意味で狂っているのだろうか。


 思いながら、アカの死体に刃を入れ始めた。彼の小さな体に。














Revenge of Red


END




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