その日から、子供はアジトに住むことになった。名前が無いのは不便だとキングが言って『アカ』と名付けた。拾った時に血にまみれて真っ赤だったから、アカ。子供は何も言わずにその名を受け入れた。




 彼は3日もすると動き回れるようになった。子供ながら洗濯や掃除などを進んでやり、よく働いたが、依然として記憶は戻らないらしい。








「ジョーカーさんは、お父さんやお母さん……まだ生きてるんですか?」


 ある日の朝、買い出しに連れていった時突然、アカが尋ねた。


 お父さん、お母さん。


 俺に父親の記憶は微塵もない。母親の記憶は──何日か前に見たあの夢が手掛かりかもしれないが、覚えていないに等しい。仕方なしに、素っ気なく答えた。


「わからないな」




 アカは俯き、歩みを緩めた。自分の靴を見ながら言う。


「そうなんですか。……僕のお母さんは、僕が赤ん坊の頃に死にました」


 俺は少し驚いてアカを見る。記憶が戻ったのか? しかしそれを尋ねることはしなかった。アカがまだ何か、話したそうに見えたからだ。




「……父親は?」


 言葉を促す。アカは、迷っているように見えた。視線を泳がせている。その顔を見下ろしている内に、ピンと来た。


 アカは記憶喪失なんかじゃない。嘘をついている。だが、何のために?




「お父さんは、殺された。ここで」


 アカが急に立ち止まる。その目は、路地裏を真っ直ぐに見つめていた。つられたようにその方向に目を遣る。


 狭い路地、汚い壁、マンホール……。




 一気に記憶が蘇ってくる。


 そこは、一週間前にキングが男を殺し、そして俺たち二人がその死体をマンホールに突き落とした場所だった。




「……一週間前だよ。お父さんは先に僕を逃がして、殺された。後から戻ってきたら、お父さんの身体はどこにも無かった。血だけが残ってたんだ」


 アカは、まるで独り言のように呟いている。




 俺は必死でうろたえを隠していた。殺して、処理した人間の家族に逢い、話をすることなんか今まで無かった。


 アカは、たった一人の父親を亡くした。いや、ただ亡くすよりも残酷かもしれない。その遺体に泣きつくことすら叶わなかったのだから。




「……ジョーカーさん、行こう。キングさんが待ってるかもしれない」


 茫然と立ち尽くしていた俺の袖を、アカが引っ張った。力無く返事をして、共に家路を歩く。




 アカは、父親を殺した犯人を見たのだろうか? それがキングだと、そして処理をしたのは俺もだと、知っているのだろうか? 復讐の機会を狙って、記憶を失った振りをしているのだろうか?




 少し先を歩くアカにすべてを尋ねたい気持ちを抑え、俺は歩き続けていた。








 ――俺はキングにそのことを話さなかった。普通に考えれば報告するべき事だ。アカをそれとなく毎日観察するにつれ、疑問は確信に変わっていく。アカは記憶を失ってはいない。


 俺が全てを話せば、キングは迷わずアカを殺すだろう。敵討ちをする可能性のある人間だ、子供だろうと容赦はするまい。




 わかっているからこそ話せなかった。何故だろう。自分で考えてみてもよくわからないままだった。――俺も、親がいないからか。……しかし、キングが気付かないのも不思議だ。アカは記憶が無いと言っているにも関わらず、不安がったりはしない。子供ならなおのことだろうに。


 キングは実に、人の嘘を見抜く術に長けている。今は気付いていないにしても、時間の問題だ、と考える。




 不思議といえばもう一つだ。


 アカがアジトにやってきてから、早くも半月が過ぎた。この半月の間、キングは人を殺していない。


 仕事も請け負っていない。考えられないことだった。3日に一回は血まみれになって帰ってきていたキングが。そして、その処理を俺に任せていたキングが、人殺しをしていない。




 俺たちが寝静まった頃に殺しに行っているのかとも思ったがそうでもない。実におとなしく暮らしている。仕事の依頼を断った幾度目かに、遂に見かねてキングに理由を訊ねた。どうして殺らないのかと。




「今は気分じゃない」


 キングはそれだけ言って、話を終わらせる。それ以上訊くことが出来なかった。人殺しをやめるのなら、これ以上良いことは無い。これからは何か別の仕事を探せばいい。


 ――俺は解体作業なら慣れているから肉屋にでもなるか。キングは器用だから何でも出来るだろう。そう頭の中で考えてみる。だが、頭の別の場所では叫び声にも似た声が聞こえるのだ。




 人間をバラしたい。


 動物なんかじゃ駄目だ。


 人間がいい。


 あの虚ろな眼が、物言わぬ唇が、そして精巧に作られた指の先にある爪が……。




「ジョーカー」


 その声に、俺は反射的に身体を震わせる。振り向くとキングがいた。相も変わらず気配を消すのがうまい。


「また、ソレ見てたのか」


 そう言われて手元を見ると、あの、爪が詰め込まれた小箱が握られていた。蓋は閉まったままだが、いつの間に出したんだろうか。




 無意識に爪───人体の欠片を握り締めていた自分に、動揺し、愕然とした。




「……ああ……なんとなく」


 少し声が震えてしまった。しかし、キングは気にしないような素振りで手招きをする。




「ちょっと用事あるから、後で俺の部屋に来い。どれか一丁持って」


 言いながら、キングは拳銃が入ったダンボールに目を遣る。


 すぐ行く、と短く答えるとキングはロフトから降りていった。


 その姿が見えなくなってから、俺は小箱をダンボールの中にしまう。自分の手すら届かないよう、奥に奥にへと押し込んだ。


 そうすれば、あの忌々しい叫び声は聞こえなくなるかのように。




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