二の句を継げずに立ちすくんでいる俺に向けて、キングから開口一番に放たれた台詞は短い言葉だった。
「これ、拾った」
ようやく俺の脳が活動を再開する。キングが何かを拾ってくる事は多くはないが、その大概が生きた人間で、例えば娼婦などを殺す為に拾ってくるのだ。血まみれの子供を抱きかかえてきたことは、取り敢えず今までは無い。
「拾ったって……猫や犬じゃないんだぞ。その傷、お前がやったのか?」
キングは質問には答えずに、俺の脇をすり抜けて部屋の中へと子供を抱いたまま進み、そして子供をソファーに寝かせた。
俺も仕方なしにその後へと続く。
横たわった子供の顔を覗き込むと弱くだが息をしている。続いて条件反射で創傷の具合を診る。傷は殴られた箇所が数ヶ所、切り傷は腕や脚に僅か。血の量は凄まじいが、致命傷には至っていない。これは本人の血液ではないのかもしれない。
「俺がやったなら、こんな中途半端なことしねえし。なんかボコられてたから拾った」
その声に振り向くと、キングは無表情で立っていた。一体何を考えているのだろうか。感情が読めない。いや、普段もキングの感情や思考は読めないのだが、今は更にそれが顕著だった。
「……この子供を殴っていた相手は? お前の顔を見ているかもしれない」
「殺した」
簡潔な答え。これ以上話すつもりはないのだろうか。
「……どうするつもりだ」
経緯を問い詰めるのは諦め、目の前の子供の対処を訊く。まさか、放っておいても死にそうな子供を家まで連れてきて殺すなんていう面倒なことはしないだろう。
──いや、わからない。キングのやることはわからないのだ。
気を失っている子供に目を遣る。年齢は10歳そこらであろうか。男だろう。髪がぼさぼさに汚れているが、顔立ちは悪くない。
視線は自然と指先へ向かう。やはり黒ずみ汚れているが、小さく愛らしい形をした爪だ。もし、生きたまま剥いたら、この子供はどんな反応をするんだろう。死者とは違う、生ぬるい血に濡れた爪。
「介抱してやれ」
不意に声がした。俺は視線をキングに戻す。
「介抱? ……何言ってんだ」
「いいから黙って手当てをしてやれよ。解体より良い仕事だろ?」
唇の端を吊り上げて笑顔を作ったキングの顔を、思わず見つめた。――確かに、俺はいつも解体作業に入る前はため息すら吐いていた。しかし、何故だか、今、俺は残念に思っている。
バラしたかったのか?
子供を。
「……ああ。血生臭い仕事より良いな」
考えを表情には出さず、頷いて言う。キングはそれを聞くと同時に大きな欠伸をした。
「じゃ、よろしく。俺はもう寝るわ」
振り向きもせずにキングは寝室に消えていく。そうして後に残った俺は、横たわる子供の手当てを一人で始めた。
これが死体ならば思う存分切り刻むことが出来るのに──そう考えることは、遂に最後まで自分の意志ではやめることが出来なかった。
翌日、うるさいぐらい近くで鳴く蝉の声で目を覚ました。ダイニングテーブルに突っ伏していた顔を上げると、真向かいにキングが座っている。
テーブルの上には一匹の蝉。キングはそれに針を何十本も突き立てていた。頭、胴余すところなく針が刺さり羽根は片方ちぎられている。無残なものだ。
「……何やってんだ」
「別に、何も」
蝉は身体がまるで針鼠のようになりながらも、まだうるさく泣きわめいている。痛覚など無いのに泣き叫んでいるように感じ、俺は眉を顰めた。
その耳障りな声より何より、キングの意味不明な行動に溜め息を吐くのだ。今更ではあるが嫌になる。
最悪の目覚めだった。昨日は結局夜通しで子供の手当てをして、睡眠は明らかに足りていない。
──子供。
半ば寝ぼけていた脳がそれを思い出したちょうどその時、キングが口を開いた。
「目、覚めたみたいだぜ」
キングが顎で部屋の隅を指す。それにつられて視線を動かすと、昨夜寝かせたソファの上に、子供がいた。上半身を起こし、じっとこちらの方を見つめている。
部屋中これだけ蝉の鳴き声が響いていたら目を覚ますだろう。
俺は立ち上がって、さて何と声を掛けようか──と考えながら子供に近付いた。
大人になってからは子供と話した記憶などゼロに等しい。近くで見るそれは、人間のミニチュアのように思えた。
目の前まで寄り、異変に気付く。子供はすぐ傍にいる俺をぴくりとも意識しないのだ。視線を一点に据えている。
手当てを終えて、子供の身体に掛けてやったタオルケットを握る手はきつく締められていた。手の甲に薄く血管が浮いて見えるほどだ。
子供の視線の先を、そっと追ってみるとキングが目に映った。彼は子供の、そして俺の視線に気付いているのかいないのか、相も変わらず蝉を刺している。
……この子供は、キングの何を見ているんだ?
「……あの」
下から聞こえてきた声にはっとして振り向くと、先程までキングを見ていた子供が俺を見上げていた。
「……大丈夫か?」
とっさに、そんなことしか出てこなかった。起きて喋っているんだから大丈夫に決まっている。素人判断だが、見る限り顔色も悪くない。
案の定子供は黙って頷いた。そして部屋の中を見回す。
「ここはどこ……ですか?」
「俺様のアジト」
背後から声がして振り向くと、いつの間にかキングが後ろに立っていた。
俺のだと。やや不満を感じるがその言葉に頷く。
「お前、名前は」
質問すると、子供は困ったように眉を寄せた。
「年は? 住所は?」
どれを聞いても子供は黙ったまま答えない。これは、まさか。
「親の名前は?」
キングが問いかけると、子供は僅かに反応を見せた。ぴくりと頬をひきつらせ、キングを見る。だが反応があったと思ったのは気のせいだったのか、子供はすぐに俯いて首を振った。
「すみません……思い出せません」
「記憶喪失ってやつ?」
キングがどこか面白そうに言った。いや、実際面白がっているんだろう。彼は『非日常』な事が大好きだ。
「笑ってる場合か? どうする。まさか警察に連れてくわけにもいかないだろ」
キングに判断を委ねる。俺は本音を言えば厄介事はごめんだし、ほっぽり出してしまいたかったのだが。
「何か思い出すまで面倒見てやりゃいいじゃん。ジョーカー、記憶を無くした辛さはわかるだろ?」
キングは俺の肩をぽん、と叩くと気持ち悪いくらいに爽やかな笑顔を浮かべた。
面倒を見る?
辛さがわかるだと?
……勝手な事言いやがって。
せめてもの当て付けに深く溜め息を吐いた。が、うるさい蝉の鳴き声にかき消されてしまった。
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