家に帰ると、早速林檎を食べたがったキングのためにナイフで林檎の皮を剥いてやる。二つを几帳面にカットし終え、それらを乗せた皿をキングの前に置きながら問いかけた。




「今日のこれからの予定は?」


「ムカつくポリが居るって依頼あったろ、あれ殺る」


 しゃりしゃりと音を立てながら林檎をかじり、いかにもつまらなさそうにキングが言う。俺はテーブルの上にあるリストから該当する依頼を探し当て、ボールペンでチェックを入れた。




 キングは今のところ、殺し屋に近い仕事を生業にしていた。近いというのはどういう意味かと言うと、一般的に殺し屋と呼ばれる者はある種の要人を狙うものだろう。だが彼のターゲットは政界の重要人物でもなく、ヤクザの親玉でもない。そこらにいる民間人なのだ。なんとなく邪魔、なんとなく嫌い、そんな理由で依頼された人物を、キングは躊躇いなく殺す。




「殺りたくなさそうだな」


 キングの浮かない表情を見て、事務的な仕事を終え、頭に浮かんだことをそのまま口に出す。ふと、キングの殺人病――キングくらいのレベルならば、病気と言っても良いだろう――が治ったのではないかと思ったのだ。有り得ないことだが、希望を棄てるのは良くない。




「だってさぁ。ついさっき面白い殺しが出来たのに、つまんねえポリなんか殺ったら今日1日の後味が悪くなっちまう」


 治ったはずがなかった。何故俺はそんな有り得ないことを考えてしまったのか、やはり希望など溝に棄てるべきなのだ。先程キングの後始末をしたばかりなのに……。俺は無意識に溜め息を洩らした。




「お前、最近溜め息多いな。そんなんじゃ幸せが逃げるぞ」


 肩を落とした相棒の仕草を目ざとく見つけ、キングはからかう調子で声を投げかける。お前のせいだろ、と言いたかったがやめ、別方向へ話を向けた。




「死体処理は?」


「今日はいい。相当恨み買ってる奴みてえだから、証拠残さ無い限りは捕まんねえと思うし」


「しかし、警察官だろ……ああ、依頼者も警察官か」


 依頼書代わりのレポートを捲りながら言うとキングが笑った。そして最後の一切れの林檎を口に放り込み、やがて飲み込む。




「同じ穴の狢ってわけだ。ジョーカーさんはアジトでゆっくり待機しといてくださいませ」


 キングの言葉を聞いて、何とも形容し難い気持ちになった。ほっと安心したような、つまらないような、残念なような……残念?


 掌にぬるりとした感触が蘇ってくる。血と脂肪。死体を解体した時の記憶を、身体が覚えていた。




「そいじゃ、行ってくるわ」


 キングが立ち上がる音で、ぐるぐると内に籠もる思考を止めた。


「あ、ああ……キング」


 見送りに玄関まで歩きながら、俺は唐突に浮かんできた疑問を口に出した。めったにこういうことは訊かないが、今はなんとなく気になったのだ。




「つまらない殺しって、何がだ?」


 ただ単に依頼されただけの、名前も知らない人間なら何だって同じだと、俺はそう思っている。解体すれば皆ただの肉と骨でしかない。少しの間を置いて、キングはドアを開けながら振り向いた。




「恨まれてる奴を殺してもつまんねえよ。悪者が戯れに殺し、搾取するのは相手が善人であれば善人であるほど素晴らしいってこと。益虫を殺すんだからな」


 キングは無表情にそう言って、やがてにこやかに笑った。本人の性格を知らない人間ならば善人だと騙されかねない笑顔だった。




「今朝のあの男は、その意味では最高だったな」


 そう言い捨て、音を立てるようにドアを閉めてキングは出ていった。








 その日、キングの帰りは通常よりも遅れていた。


 読みかけていた本を読もうとするが集中が途切れ、暇を持て余した俺はアジト――キングはそう呼ぶが、ただの薄汚れたアパートだ――の、ロフトに向かう。


 梯子を上がりきると、狭いスペースにはダンボールが詰め込まれている。箱の中にはキングの殺人道具である拳銃、ナイフ。解体道具であるノコギリ、包丁。それらが一応種類別にではあるが乱雑に入れられている。


 その箱の隙間に手を差し込んだ。




 小さな小箱が指先に触れると、ずずっと引きずって取り出す。箱の形は一般的なオルゴールに模しているが蓋を開けても音楽は鳴らない。その代わりに、中には、一見貝殻のような……海老の殻のような、そんなものがぎっしりと入っている。


 人間の爪だ。


 キングが殺し、俺が処理した人間の爪。いつの時期からかは忘れたが、俺はバラした人間の爪を剥がし、こうして保管しておくようになった。


 キングは、自分のこの習性を笑う。処理した人間に対しての形見のつもりか、と。決してそうではない。けれど、俺自身、自分が何故こんな馬鹿げた行為をするのか理解できなかった。




 死者への哀悼?


 自分への戒めか?


 どれも違う。




 何故なら、この小さな箱の中に広がる爪達を眺めるとき、そんな感情は感じていない。感じるのはただ、歓びだ。爪の一枚をつまみ上げて眺める。薄く小さくかすかにマニキュアの色が付いている、この爪を持っていた女性の顔は覚えているた。造作は美しくないが愛嬌のある娼婦だった。きめ細やかな皮膚の、綺麗な手を持っていた。




 この爪達は、美しい。


 だが、一方では自分を客観視してしまうのも止められない。――俺は死体の一部をコレクションしているのか? ネクロフィリアの習性として?


 解体なんて嫌だ、やりたくない──そう考えるのは俺の理性の部分か。正常であることにしがみつく理性。




 キングの今日の仕事が頭に浮かぶ。今日の死体は、どんな爪をしているんだろうか。いや、爪だけじゃない。肉の柔らかさ、眼球の濁り具合、死臭……。


 無意識にそこまで思考を巡らせ、突然、我に返る。




 違う。俺は、違う。


 殺人狂なんかじゃない。死体をバラすのも、好きでやっているんじゃない。ただ、キングが殺すから仕方ない、そうだろう。死体の爪を集めるのは――理由は無い。無意味だ。こんなものはすぐにでも捨てられる。俺は狂ってなどいない。


 一人で首を振り、さっきまでの忌まわしい思考を振り払う。俺は急いで爪を箱に仕舞い、元あった場所に戻した。




 その時、玄関のドアが開く音がした。キングが帰ってきたんだろう。そう思うと、何故か心が落ち着き始めてきた。ロフトの梯子を降り、玄関に向かう。




「遅かったな……」


 俺の言葉はそこで途絶えた。玄関には、いつもと同じキングが立っている。違うのは、床が血で僅かに汚れていること。


 そして、その血を流しているのはキングではなく、彼がその腕に抱いている子供だということだった。






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