雨と向日葵③
午後の授業も半ば、今度は俺から祈璃さんへメッセージを送ってみた。
内容は単純明快。
一緒に帰りませんか? というお誘いだ。
しかし既読はついたものの一向に返事はなく——今日の授業は終わりを告げた。
もしかしたらスマホを見られないくらい授業が忙しかったのかもしれない。
そうでなくとも、以前から彼女が帰宅を共にしてくれないことなんてザラにあることであることで。孤高な彼女はちょっと目を離した隙に1人で帰宅してしまう。だから、特段気にする必要などないだろう。言ってしまえば、塩対応は”いつものこと”なのだから。
「なになにどしたん? 大丈夫そ? おっぱい揉む?」
「は? 揉まねーよ?」
そもそも揉むほどのモノをお持ちでないであろう西野のニチャついたお誘いを丁重にお断りする。
西野と岡本はこの後文芸サークルに顔を出すらしい。それも一緒にどうかと誘われたが、気が進まなかった。
2人に別れを告げて、講義室を出る。
飽きることなく、長雨は振り続いていた。
それがわずかに、本当に少しだけ、気分を暗くさせるから。俺らしくもなく西野に気を遣わせてしまったのだろうか。
「はぁ……」
いやいや、まったく気にしてないし?
昼休みにちょっぴりいい雰囲気だったからって、ねぇ?
こんなことでため息などついていたら、とてもじゃないがあの幼馴染の隣にはいられない。
だからこの胸に残るモヤモヤとした気持ちもぜんぶ、雨のせいなのである。
帰途につく学生たちに混ざって、廊下を歩く。四限終わりのこの時間は最も人口密度が多い時間帯だ。
グループで歩くキラキラ連中の間をスルスルと抜けていく。
「ねぇねぇ今日どうする? 飲み行く? 行っちゃう〜? ねぇ〜」
「行く行く! もちろんオールで!w」
「え〜それはさすがに明日の授業マズくない?」
「いいってw いいってw なんとかなるなる!」
「そうかなぁ〜そうかも〜。まぁ疲れたら? 2人だけで抜け出しちゃえばいいし〜? そしたら私の部屋で〜、きゃっ♡」
うわ眩しっ。
無敵な彼らには雨など関係ないのだろうなぁと思うと、なんだか自分の本質を理解させられるような心地がした。
あーもう余計暗くなる! とりあえずリア充は爆発しとけ! 俺の苦労も知らないで!
「……ちょっと」
輝く青春野郎どもを振り切ろうと足早になったところに突如、腕を掴まれる。トゲのある口調ながらも、遠慮がちなチカラで身体を引き寄せられた。
「……どこ、行く気? そっちが誘ったくせに」
「え……? は? ……祈璃ちゃん?」
なんで?
「ふんっ」
「ぐえ」
容赦なく脇腹を殴られた。
痛みで見開いた涙目の瞳に映る、黒髪の美しい女性。鋭すぎる眼がこちらを恨みがましく睨んでいる。
「祈璃さん、でしょ。何を今更間違えてるのよ」
「あ、あー、いや、なんででしょうねぇ? あはは」
ちょっと、笑えてきた。
対照的に心の底から不機嫌そうな彼女を無視して、気が済むまで笑ってから尋ねる。
「なんで祈璃さんがここに?」
「は、はぁ? あ、あなたが誘ったんでしょう?」
「え?」
「だ、だから、さっき、授業中に————」
文句ぷりぷりで言いかけた祈璃さんは、一瞬後、放心する。上手く言葉を発せない口がパクパクしていた。
それから慌てた手つきでスマホを取り出した。
「ぁ…………」
小さく漏れた吐息と、サーっと青ざめる顔色。視線の先には既読スルー状態なスマホ画面。頬はだんだんと、羞恥の茜空へと移り変わっていく。
その時点で、俺は色々と察することができた。しかしまぁ、それをあえて追及するのは野暮というものだろう。
何食わぬ顔で彼女へ手を差し出す。
「それじゃ、一緒に帰りましょうか——」
「……帰る。さよなら」
「あ、ちょ、ちょっとぉ!?」
俺の手のひらを華麗にスルーした祈璃さんは、頑なに顔を背けながら脱兎の如く歩き出した。
もちろん俺を置いて1人で! なんだこの女! 判断が早すぎる!
「待った待った! なぜにお一人で!? 俺ここにいますけど!?」
追いかけて通せんぼうする。
「……べ、べつに、あなたと帰る約束なんてしてないし……!!」
「それでもこうして顔合わせたら一緒に帰るでしょ!? 自然な流れでしょ!?」
俺たちの関係は、おそらくきっとたぶんその程度のモノではあるはずだ。
「〜〜っ、だ、だって……!!」
祈璃さんはその場で俯いて身体を震わせる。
「…………は、恥ずかしい……………」
やがて細々と湧き出た言葉は、外の雨にかき消される寸前のボリュームで……
「……一緒に帰れるの嬉しくて返信忘れるなんて、本当に恥ずかしい……死んだ方がいい……」
「なっ————…………っ!?!?!?」
あまりに天衣無縫で、いじらしいセリフ。
俺はまるで雷に撃たれかのような衝撃を受けて、後ずさる。
「…………ど、どうしたの?」
クラクラと目眩がして片手で顔を覆った俺を心配してか、祈璃さんは一歩こちらに駆け寄って上目遣いを寄せてきた。
「ちょ、ちょっと尊死しかけまして……」
「は?」
「祈璃さんが可愛すぎたので……」
「…………………………」
祈璃さんはギロリとした瞳をまん丸にして、電源が落ちてしまったみたいに停止する。だけどどうやら彼女はアンドロイドの類ではないらしく、引き結んだ口元がワナワナと震えて、汗が噴き出て、頬はあっという間に熟してしまった。
「…………あ、あなたは私に死んでほしいわけっ?」
「いやなんでそうなるんですか!? 本音がポロッと出ただけですよ!? てか今のは可愛い祈璃さんが悪い!」
「ま、また……ぐっ、ぎ、ギギギギギギ……」
くっ殺しそうな勢いの歯軋りが聞こえる。もう言葉になってない。やっぱり壊れたアンドロイドかも。可愛い怖いでも可愛い。
「スゥ——————はぁぁぁぁぁぁ……」
たっぷり数分ほど身悶えた後、祈璃さんは精神を落ち着かせるためか深呼吸した。
どうか怒りをお鎮めください……。
祈璃:一緒に帰ってあげる。
祈りを捧げていると、スマホの通知が鳴ったのでみてみたらそんなメッセージが。
視線を目の前の女性に映すと、羞恥と不安半分ずつな表情でこちらを見つめていた。
目が合うと、その瞳は自らのスマホに落ちていく。細い指が辿々しくフリックしていた。
祈璃:あと、返事が送れてごめんなさい。
蒼斗:可愛かったからいいよ。って、今日これ2回目。
再び目が合う。祈璃さんはやっぱり恥ずかしそうにしながらも、ちょっとだけ微笑んだ。
ようやくと言うべきか、2人の帰宅が始まった。
「ところで、めっちゃ見られてた件について」
大学の廊下のど真ん中だったのだから当然である。かなり注目されていた。
あの有名な蔑み美人の痴話喧嘩なんてそう見られるもんじゃないのだからそれもまたさもありなん。
「べつに、どうでもいいでしょ」
「こういうのは恥ずかしくないんですか?」
「知り合いがいるわけでもなし」
「……微妙に悲しいなぁ」
周囲を軽く見回してみるが、先程のリア充どもが影響されて軽く発情している以外に気になる点はなかった。俺の知り合いも見当たらない。
有村先輩でもいたら面倒くさそうだが、この時間は例によってサークルのブースで宴会中だろう。いや、あの人は毎時毎分毎秒酒カスだったか。
遠巻きな視線を感じながらも、2人の間に介入してくるような不届者は存在しなかった。
「相合傘、しましょうか」
ザーザー雨の外が見えてくると、祈璃さんがそう言った。一瞬耳を疑ったが、たしかに祈璃さんの声だった。
「…………お、おおおオーケーぃ……」
「なんでそんなに震えているのよ」
「ば、ばば、ばっちこい……!」
「したくないならいいわよバカ」
「いやシタイですよ!?」
けど怖いんだよぉぉ!? この半日で一体どんな心境の変化が!? 何か悪い物でも食べたのではないだろうか!?
「なら、さっさと傘を開きなさい」
「了解です……!」
慌てて傘を広げる。
すると、祈璃さんは静かに身を寄せてきた。肩が触れ合いそうなほどに近い。
雨の日よりも、晴れの日よりも、ずっとずっと近くて。雨の香りに混じって、祈璃さんの匂いがした。
静々と、会話もなく歩き出す。
雨の音も、周囲の喧騒も聞こえない。
な、何か言った方がいいよな……せっかくの相合傘なのに、これは良くない。良くないぞ、俺……いつものようにどうでもいい話題を……何か……。
「ねぇ」
「ひゃ、ひゃい!?」
「怒るわよ」
「ごごごめんなさいぃ!?」
やっぱり無言はダメですよね!?
幼馴染を楽しませるのが俺の唯一の役目であり人生における命題だからね!?
「濡れてる……」
「……へ?」
「あなたの肩。傘に入ってないでしょ」
「え、あー、うん。だけど、問題ありませんよ。そんなことより祈璃さんが濡れないことの方が重要で……」
「……怒るわよ」
それはドスの効いた、2度目の警告だった。
「い、祈璃、さん?」
怒りを露わにした彼女は、ぎゅっと目を瞑ってこちらに襲いかかる——否、俺の腕に抱きついてきた。
「な、何をしてらっしゃるんですか……?」
「……これなら2人とも傘に収まるでしょ。あなたも、もっとくっ付きなさいよ……」
「い、いや、でも、歩きにくくないですか? それに相合傘イベントで肩を濡らすのは男の役目と言いますか、ひとつの夢と言いますかむしろ濡れさせてくれと言いますか……」
「そういうの、嫌い」
「え」
バッサリと、彼女は俺の言葉を両断する。
「男だからとか、やめて。そういうのを、押し付けとか、余計なお世話って言うの」
「うっ……」
痛いところを突かれて、返す言葉もない。たしかにそれは男の、いや、俺のエゴだった。
「バカ」
祈璃さんは俺の腕を抱いたまま、今度は柔らかな声音で語る。
「蒼斗。わたし、私はね」
それは俺の胸中を慮る、優しい音色で、俺を包み込む。
「……たしかにふつうの女の子よりは少し身体が弱いかもしれない」
「だけど、それはあなたから過度に世話を焼かれるほどのことじゃないし、これからもっと良くなるように、強くなれるように、努力してるつもり」
「だから、ね。私はあなたに寄りかかりたいわけじゃない」
「2人で、寄り添い合っていたいの」
「……ダメ、かな…………?」
ゆっくりとした言葉の最後はやはり不安げで、それは彼女が自分の想いもまた彼女のエゴでしかないことをわかっているからだろう。
ただしそれは、俺の自分勝手なモノとは違って、2人が前に進むための強く優しいエゴである。
「ダメじゃない」
そう言って、俺は少しだけ彼女に身体を預けた。寄り添う合う2人の歩みをゆっくりだけど、それでも着実に、前に向かっている。
「いつも心配かけてごめんなさい————ありがとう」
「どういたしまして。あと、こちらこそありがとう」
「どうしてあなたまでお礼を言うの?」
「俺にだって、色々あるんですよ」
「…………そうね」
昔に別れてからの、空白の期間。
その当時のことについて具体的に話したりしたことは今のところない。べつにお互い隠しているわけでもなく、ただのその必要がないってだけだ。
大切なのはきっと、過去よりも現在なのだから。
「………………」
いやあ、それにしてもこの腕に寄せられるムフフな感触——間違いない、これは、おっぱい!!!!
おっぱいだ!!!!!!
相合傘、なんと素晴らしき文化だろうか。
「ぐへへ……」
「なんか、キモい……」
ようやく落ち着いて感慨に耽ることができて、しばらく————
「あれ?」
あれだけ五月蝿かった音が止んで、ポツリポツリと可愛らしい音を傘が鳴らす。
サーっと雨雲が引いて、切れ目から青空が顔を覗かせた。
「ちょ、雨さん?」
今いいところなんだが?
雨止む=相合傘終了なんだか?
そんな悲しいことってある?
おい嫌いだって言ったことは謝るから! ねぇ土下座でもなんでするから! 雨よ降れ!
「雨、止んだわね」
祈璃さんの抱擁が緩んでいく。
あー待って待って! 離さないで!
と、雨乞いも虚しくおっぱいが失われようとしていたその時、俺はその光景に目を奪われた。
「おお……!! 虹だ! 虹ですよ! 祈璃さん! しかもめっちゃでけえ! 近い!」
とたんに興奮して、叫んでしまう。
「何よ突然……雨が止んだんだから、虹くらいできるでしょう」
「でもすげぇ綺麗ですよ祈璃さん! 感動もん!」
意図したわけではないが、一緒に空を見上げる祈璃さんは俺に抱きついたままだった。その代わり、呆れたように柔らかなため息を吐く。
「いつまで経っても、子どもなのね」
「ええ、今だけは子どもです! そうだ! いっそ虹の下まで行ってみますか!?」
「行かない」
「えー!?」
相変わらずの塩対応!
そんなんでいざ子どもができた時にどうするんだこの人は……。
「梅雨も終わりかしらね」
「ですねぇ。止まない雨はないですから」
実際はもう少し続くのだろうが、きっとこれが梅雨の終わりの始まりだ。
「そしたら夏が来て、今度は、
「向日葵ですか」
すぐに満開の向日葵畑が思い浮かんだ。
「じゃあ、夏になったら虹の代わりに向日葵畑デートと洒落込みますかぁ」
「イーヤ」
「ええ!? そこはさすがにYesなのでは!?」
向日葵の話題振ったのそっちよねぇ!? 一緒に見たいってことじゃないの!?
「……私が見つめるのはあなただけだもの」
「へ? 今なんて?」
「べつに、なんでもないし、おバカなあなたには分からないわ」
「はぁ? なんですかそれ、余計気になるんですが!?」
問い詰めても、彼女は頬を軽く染めるだけで、決してその意味を教えてはくれなかった。
話題を逸らすように、彼女は言う。
「ね、これからどうする?」
「これから?」
「……まっすぐ帰るの? せっかく晴れたのに」
「ちょっくら寄り道しますか」
「ええ」
「あ、夜は居酒屋とかどうです? 近所で目をつけてる店がいくつかありましてね?」
「まずはあなたが1人で行ってきて。美味しかったら今度は私も行くから」
「それはちょっと酷くない!? てかまだ1人呑みする勇気はない!」
「…………仕方ないわね。少しだけなら、付き合ってあげる」
ふたりで腕を絡ませ抱き合ったまま、大きな虹の架かる青空の下を歩いた。
————————————
いやあ難産だった。
てことでアフターストーリー「雨と向日葵」終わりです。
続きはまたなんか思いついたら書きます。
(あ、カクヨムコンは見事敗北爆散しました。応援ありがとうございました)
お隣の蔑み美人が死に別れの幼馴染だった。 ゆきゆめ @mochizuki_3314
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