第15話 夢物語

 大学生活にもだんだんと慣れてきたというところで、休講に遭遇した。担当の教授が腹を壊してトイレと親友になったらしい。

 

 暇を持て余したのでたまには文芸サークルに顔を出すことにする。

 未だ正式な会員になることは拒否しているが、友人2人が所属していることもあって居心地としては悪くなかった。


 この広い大学内で腰を落ち着けられる場所があるというのは、それだけでもありがたい。


「失礼しまーす」


 一応、部外者としての体裁を保ちつつ部屋の扉を開ける。


「じゃあ、これはどうですか?」

「ん〜、なーんだ簡単。これは久保田だね」

「わ、またまた一瞬で正解だ!」

「んふふ〜。久保田は淡麗辛口らしく雑味のないスマートな味わいが特徴的だね。新潟の代表的と言える日本酒のひとつ。私も好きでよく飲むんだ〜」


 室内には有村さんと西野の2人がいた。有村さんはここの番人だからいいとして、西野はたしか空きコマだっただろうか。


 向かい合ったソファーに座る2人の間のテーブルには、いくつかのおちょこがある。そこには当然のように透明の液体が注がれていた。


「まだまだ! 次はこれです!」


 西野はおちょこのひとつを手に取り、黒いシートで目隠ししている有村さんに手渡す。

 有村さんはその中身の香りなどを確認したのち、こくんと喉を鳴らして一息に飲み込んだ。ほろ酔い気分で頬を染め、ほわっと漏らした熱い吐息がまったくもって不健全極まりない。


「……何してるんですか」

「何って、利き酒だよ〜」


 のほほんとした答えが返ってくる。


「久遠先輩ってスゴイんだよ! もう百発百中!」

「えへへ〜。これでも日本酒検定持ってるからね。これくらいお茶の子さいさいです〜。あ、ちなみに今飲んだのはざくだよ」


 西野の驚いた表情を見るにこれも当たっているらしい。ただの酔いどれ作家かと思ったら、良い舌をお持ちのようだ。


「鷹宮くんもやってみる?」


 つーかこの人、目隠ししてるのにどうして普通に俺だと認識して会話できてるんだ……? 声だけで? 謎にハイスペックというか、もはや超能力じみている。


「やりませんよ。まだ日本酒飲んだことないですし」

「え、そうなの? なら利き酒やめて日本酒パーティにしよっか。今日も美味しいのたくさん取り揃えてま〜す」

「いやだから、ここでは飲みませんって」


 さすがにそれだけは断固拒否している。

 俺の意思が固いことを察して有村さんはざんねん、と肩を落とした。


 西野の隣に腰を下ろす。


「鷹宮くん授業は?」

「休講」

「ええーいいないいな。わたしまだ休講ってないや」

「どうせ次があるから暇なだけだって」


 祈璃さんの言う通り、やはり空きコマ90分は持て余す。

 それに休講した分は長期休暇返上で補填される決まりだし、むしろ損した気分だ。教授の落ち度なのに。


「岡本くんは?」

「筋肉に攫われた」

「ああ〜」


 苦笑いの西野。


 岡本も同じく休講だったのだが、脈絡なく現れた筋肉同好会の大男に担ぎ上げられてどこかへ消えた。

 椎名さんには捨てられたが、他の大男たちには好かれてしまったらしい。

 きっと今頃はモテ男になるための筋トレに励んでいることだろう。


「いい感じに酔えたから、私は執筆の続きをしようかな。鷹宮くんにはフラれちゃったし」

「実はめちゃくちゃ根に持ってたりします?」

「うん♡」


 目隠しを外したら現れたのは小悪魔チックなスマイルである。


「……そのうち飲み会でお付き合いしますよ」


 主に岡本が。

 よって岡本が誕生日を迎えるまでは引っ張り続ける予定だ。俺だけでこの酒豪を相手にするなんて想像もしたくない。


 有村さんはノートPCで執筆活動を始める。それに合わせて、俺と西野も授業で出された課題をやることにした。

 3人がそれぞれの作業をしながら、時折雑談をしたり、乾杯音頭が始まったりという感じだ。


「久遠先輩の小説読んでいいですか?」

「そこの本棚にあるから、ご自由にどうぞ〜」


 課題を早々に終わらせた才能ガールは、有村さん作の同人小説を持ってくる。それから靴を脱いでソファーの上で膝を折り曲げた三角座りのような体勢で読み始めた。


「それ、面白いか……?」

「うん、とっても面白いよ」


 受け入れられない俺がおかしいのだろうか。


「それもハーレム?」

「久遠先輩の作品はぜんぶそうだからね」

「マジかよ……」


 やはり何度咀嚼し直しても有村さんの雰囲気に合わないというか、なんというか……。


 さすがに気になってしまった俺は、有村さんに尋ねることにした。


「有村さんはどうしてハーレムを書くんですか?」


「それ聞いちゃう? 聞いちゃいますか〜?」


「あー、やっぱいいです」


 ニヤけ顔からものすごく面倒くさい波動を感じた。


「聞いてよ〜! イジワルしないで〜! お〜

ね〜が〜い〜!」


「泣くほどのことですか!?」


 これだから酒カスは! 

 泣けばなんでも許されると思って!


 ……ちっ。


「まぁ……どうぞ」

「やった〜!」


 すがりついてきた有村さんを向かいのソファーの定位置に戻した。

 大袈裟に喜んで泣き止むと一転して、遠くを見つめるような儚げな表情を浮かべる。


「ハーレムはね、私の夢なんだよ」

「夢、ですか?」


「現実にはないモノ。少なくとも、私の手では決して届かない……たとえば夜空のお月様みたいな、とっても綺麗で素敵なモノ。そんな夢の世界を、私は物語に描くんだ」


「それがハーレム……」


「うん」


「つまり有村さんは男に生まれたかった。そして美少女ハーレムを形成したかったんですね」


「ち〜が〜う〜!」


 あっれー?

 わりと真面目にそう思ったのだが……。


 今は多様性の時代。べつに否定するつもりはなかった。


「違うよ」


 ぷんすかした有村さんはすんと静かになって語る。


「私はただ、みーんなが幸せになれる世界、そこにいたいだけだよ。ヒロインの誰もが主人公と結ばれて、愛してもらえるハーレムはまさしく、みんな救われるハッピーエンドの物語でしょ?」


「ひどくご都合的だとも思いますけどね」


 現代日本を舞台にそれを成立させるのは難しい。


「うん。でも私は、そんな夢物語が、大好き」


 ふにゃっと、垂れ目をさらに優しくして笑う。


 そのイキイキとした様を見ていたら自然と感嘆が漏れた。


「……すごいですね、有村さんって」

「え、そう? そうかな〜? えへへ……」


 有村さんはちゃんと信念を持って、あの物語を書いていたんだ。

 俺はそれを読み取れなかったけれど、彼女のその姿勢を聞いて少しだけハッとさせられた。


 もしかしたら俺はまさに、有村さんの言う夢のような現実を生きているのではないかって。


 ソファーからゆっくり立ち上がる。


「次の授業、そろそろなんで」

「あ、わたしも行く行く〜」


 同じ講義を取っている西野が小説を片付けて付いてきた。


「岡本くん来るかな」

「さすがに解放されるんじゃね?」


 筋肉さんたちにだって授業はあるし、そこまで鬼ではないだろう。


「ねぇ、鷹宮くん」


 部屋の扉を開けると、背後から声をかけられる。


「キミは、私みたいな女の子を作っちゃダメだよ」


「……有村さんみたいって、どういうことですか?」


「さぁ。ほんと言うと私にもよくわからないけれど、でも、こんなところで酔いどれている私はきっと、誰の物語のメインヒロインでもないよね。そういうこと」


「いや、まったくわからないですけど」


「まぁ、それもこれもヒロイン側の問題で、キミの手に依るものじゃ、ないんだけどね〜」


 それは所詮酔っ払いの言うことだけど、不思議ととても大切な想いの込められた言葉に思えた。


「それじゃ、いってらっしゃ〜い。私はもう一飲みしよっと。うへへかんぱ〜い。うぇい!」


 有村さんのことをよく知らない俺には、その程度の理解しかできないのだろう。

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