第14話 幼馴染

 今日は1限からの授業で、久しぶりに正しい学生気分を味わった。

 当然、登校もおひとり様。

 

 しかし俺には楽しみがあった。


「あっ、祈璃さん!」


 3限の講義室にやって来た俺は、先に来ていた祈璃さんを見つけて手を振る。


 そう、3限は祈璃さんと一緒の授業である。このパッシブバフがあれば早起きだってなんのその。


 周囲のギョッとした視線を肌に感じながらも、祈璃さんの座っている席へ一直線で向かった。

 

「どうぞ」


 隣席に置いていたバッグをどかし、俺の席を用意してくれる。

 そんなことをしなくても祈璃さんの周囲は始めたてのビンゴみたいになっているため空いているのだが、その気持ちが嬉しかった。そっけないながらも歓迎してくれている。

 俺はお礼と挨拶を交えながらその席に座らせてもらう。


「朝はちゃんと起きれたのね」

「偉いでしょ?」

「……それが当たり前なの」


 塩辛い返しである。


「ねぇねぇ聞いた? あの2人、幼馴染なんだって〜」

「え、そうなの? じゃあ男の子の方が追いかけてきたんだ。なんか素敵〜」

「ね〜、ドラマチック〜」


 そろそろ慣れてきたが、うわさ話は絶えない。陰口というわけでもないし、やはり放っておく。


 情報源であろう岡本には後で制裁が必要かもしれないが。


「ところでこの授業って、何の授業でしたっけ?」

「天文学」

「あー、そうでした」

「……ちゃんとレジュメは用意したんでしょうね?」

「れじゅめ? 教科書ではなく?」


 はて。

 教科書ならまとめて購入したからおそらく持ってきているはずだが。


 祈璃さんは「もぉ、本当にダメな子ね」ってお姉さんモードでため息を吐く(8割妄想)。


「レジュメっていうのは、授業で扱う資料のこと。教科書とはまた別のね。大学の授業ページで配信されているから、授業前に印刷しておくこと」


「なるほど。まったく知りませんでした」


 これまでの授業では何も言われなくて、完全に油断していた。


「まぁ今日のところはガイダンスのレジュメだし、なくてもたいした問題はないわ。必要なときは私の見せてあげるし」


「ありがとうございます。次からは気をつけます。そうだ、祈璃さんの分も俺が印刷してきますよ」


 失態の巻き返しを図る。


「……なら、お願いするわ。絶対忘れちゃダメよ?」


「お任せを……!」


 信じてくれた祈璃さんのためにも、もう2度と忘れないようにしよう。

 授業が始まるまでに、他の授業でもレジュメが配信されていないかチェックした。


 授業はレジュメの内容の通りガイダンスが中心だった。ほとんどは履修登録の時に祈璃さんと一緒に読んだ授業計画の復習で、もう知ってるわって感じである。

 

 1限から連続ということもあり、集中力が切れてきた。


 隣の祈璃さんはといえば、真面目に授業に耳を傾けている。ちなみに、眼鏡着用。

 その姿を眺めているだけで大変充実した時間を過ごせそうだが、気付かれたら怒られる。


 ここは先日祈璃さんから聞いたあの方法を試すべきだろう。


「……………………」


 教科書を開く。

 どうやらこの教科書の著者は今教壇で話している教授本人らしい。


 俺はペンを取った、


 数分後、その出来映えに満足して祈璃さんの肩を叩く。


「なによ————んぶふっ!?」


 こちらを向いて小声で囁いた祈璃さんは直後、俺の教科書を見て吹き出した。

 そこには俺の落書きによってあられも無い姿となった著者——教授の写真がある。


「くふ、ふふっ。なにこれ。ふふふふっ」


 めっちゃウケてる。


 祈璃さんは口元を押さえながらプルプルと震えていた。


「俺の絵も捨てたもんじゃないですね」

「違う。下手だから笑えるの。実物いるし、ギャップが……〜〜っ」


 完全にツボに入ってしまったらしく、笑い続けている。なんだかすごく新鮮な光景である。

 

 しばらくしてようやく澄まし顔に戻った。


「真面目に受けて」

「はい」

「授業料だって安くないんだから」

「はい」

「ガイダンスであろうと気を抜いちゃダメ」

「はい」


 しっかりと怒られてしまう。

 祈璃さんの息抜き戦術を実践してみた結果だが、明らかにやりすぎた。でも、そのおかげもあって気分転換ができた気がする。


 俺は切り替えて、教授の話に耳を傾けた。


「——ぷふっ」


 ふいに祈璃さんがまた笑みをこぼす。


「祈璃さん?」

「タ、ダメ。もうあの先生、見れない……」


 クスクスと一生笑いを堪えられない祈璃さんの分まで、俺がより真面目に授業を聞くハメになった。



「あれ、そこにいるのは鷹宮くんかな〜?」


 授業が終わって食堂へ行く準備をしていると背後から声をかけられる。


「いのりんまでいる〜。え、なになにどういう関係なのかな?」


 振り返るとそこにいたのは予想通り、有村さんだった。

 いつも通りニコニコふわふわしている。まぁまず間違いなく、飲酒済みだろう。

 午前中から治外法権のサークル部屋を抜け出してなおこの有様とは、相当な大物だ。


 フラフラしながらこちらに寄ってくる。


「もしかしてこれって、とびきりのネタだったり〜? 興味あるな〜?」


 ゆるふわ髪の上品な香りと共に、ちょっぴりアルコールの残り香がした。


「……この子は私の幼馴染ですよ、有村さん」


 祈璃さんにぐいと手を取られて、引きつけられる。今度は慣れ親しんだ幼馴染の匂いがした。


「幼馴染? わぁ、とっても素敵な設定だね〜!」

「設定じゃありませんけどね」


 2人は普通に会話している。

 再会して以来、祈璃さんが俺以外と会話しているのを初めて見た。


「2人ってお知り合いなんですか?」


「たまにお話させてもらってるんだ〜。ほら、いのりんって可愛くて美人で、なんだかミステリアスで、小説のヒロインみたいでしょ? 参考にさせてもらいたいな〜って」


 言わんとしていることはよくわかる。祈璃さんは物語のメインヒロインにピッタリだ。


「私はやめてくださいってずっと言っているんですが……」

「ええ〜? そんなこと言って、いつもけっこうお話ししてくれるでしょ?」

「それは、まぁ……たまたま、時間があったので……」


 酒カス有村さんのキラキラスマイルを受けると、祈璃さんは眩しそうに瞳を逸らしてゴニョゴニョと言い訳を口にした。

 うちの幼馴染が完全に陰の者にされてしまっている。グイグイ来られると弱いのだろう。しかし嫌そうというほどではない。


「なんだ、友達いるんじゃないですか。祈璃さん」


 2人は十分に打ち解けているように見えた。

 コミュ強であり、いい意味でも悪い意味でも大学内の空気を読まない有村さんだからこそなせる関係性だろう。


「え? お友達じゃないよ?」


 有村さんはポカンとしながら言い放つ。


「ぐっ……」


「純粋無垢な否定やめてあげてください。祈璃さんが深刻なダメージを負っています」


 祈璃さんは小説のネタでしかなかったのか……。ちょっと俺まで泣きたくなった。


「と、ところで有村さんは何をしにこんなところへ?」


 普段はサークル部屋で呑んだくれているという話だったはず。


 戦闘不能に陥った祈璃さんの代わりに会話を繋ぐ。


「そんなの教授のお話を聞きに来たに決まってるよ〜」

「教授の話?」

「これも執筆活動の一環でね。作家は色んな知識が必要だけど、でも1人の知識には限界があるでしょ? だから新しく知りたいことがある時には、各分野の専門家である教授たちから根掘り葉掘りお話ししてもらうんだよ〜」


「へぇ。なかなか便利ですね、教授って」


「そうなの! 存分に利用させてもらってま〜す」


 ちゃっかりと大学生としての恩恵を受けているようだ。

 そして薄々気づいていたが、有村さんは少し腹黒い。


「あっ、はやくしないと教授が出て行っちゃう! 私行くね〜」


 講義室を後にしようとする教授に気づいて、有村さんは千鳥足で駆け出す。


「今度2人のお話も聞かせてね〜」


「あ。一応聞いておきますけど、酔ってます?」


「酔ってな〜い!」


 と、常習犯は申しておりましたとさ。



 嵐のような校則違反者が去って、なんとか動けるまで回復した祈璃さん共に講義室をでる。


「そういえば、祈璃さん」

「……なに?」

「有村さんって、なんか似てますよね」

「……そうね」

「ですよね」

「だからちょっと、接し方がわからない時がある……」


 ぐったりと疲れ果てたようすの祈璃さんだった。


 しかしその後すぐ——


「……あなたこそ、なんであの人と知り合いなわけ」


 そう言ってブスッとした顔を向けてくる。


「あー……」


 説明にはたっぷり10分ほどの時間を要した。

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