第10話 乾杯

 もう少しで深夜と言っていい時間だ。

 もしかして俺の考える夜と祈璃さんの考える夜は違うのだろうか。


 やっと通じ合えた、みたいな感じで特に詳細も決めずクールに別れた結果がこれである。


 さすがに痺れを切らした俺はスマホでメッセージを送る。


蒼斗:祈璃さーん?

蒼斗:まだー? 

蒼斗:ずっと待ってるんですけどー?


 2秒後。


祈璃:そっちが来なさい


「わーお……」


 傍若無人な幼馴染を甘く見ていた。俺の部屋に来るつもりなんて毛頭ないってさ。


 俺はコンビニで買い占めた酒とおつまみ、スナックその他諸々を抱えて隣の部屋へ向かった。


「お邪魔しまーす」


 機嫌はすっかり直してくれているようで、すんなり部屋に入れてもらえた。


 相も変わらず綺麗にされた部屋だが、少しだけいつもと異なる点があった。


 テーブルの上だ。

 そこにはお皿に盛られたいくつかの料理と、白ワインらしきボトル、そして2つのワイングラスが置かれていた。


 俺の用意していたコンビニパーティとは格が違う、大人の装いである。


「めっちゃもてなしてくれてる……!」

「……なに」

「感動で涙が出そうです」

「出てるわよバカ」


 すぐにハンカチで拭ってくれた。


「本当にありがとうございます。こんなにしっかり準備してもらって……」


 思わずコンビニのビニール袋を後ろ手に隠したくなってしまう。


「べつにたいしたモノじゃないわよ。ワインはもらい物だし」


「料理は祈璃さんが作ったんですか?」


「そ。カプレーゼとローストビーフ、それからタケノコのマリネ、サーモンとクリームチーズのカナッペ」


「もう一度言ってもらえますか?」


 ローストビーフ以外わからなかった。


「……今日の趣旨はお酒を飲むことだし、摘みやすそうなものを適当に作ってみたわ」


 なんでもないふうに素っ気なく言うが、こんな横文字だらけの料理を簡単に用意できるとは思えない。

 長い年月を病室で過ごした彼女には料理の腕を磨く時間も多くなかったはず。

 それでも、この見映えだ。レストランで出された食事と言われても、俺はまったく疑わないだろう。その隠れた努力のほどが、俺にはこれでもかというほどに伝わってくる。


「めっちゃ楽しみ」

「だから、期待されるようなものじゃない」

「俺は期待します」

「……お酒は白ワインでよかった? 他にも色々買ってあるみたいだけど」

「ワインってけっこう度数高いですよね。最初に飲んでも大丈夫なんですか?」

「知らない」

「お、俺はできれば先輩様のご意見を伺ってみたいのですが……」


 ぷい、じゃないのよ。

 お願いだから華麗に一刀両断しないで。


「そんなこと言われたって、お酒なんて私も飲んだことないのに分かるわけないじゃない」

「へ? 飲んだことないんですか?」

「……? そうよ?」

「……あ、すみません。俺、すっかり失念してたんですけど、もしかして病気の関係で?」

「そんなものないわ」

「え。じゃあどうして……」

「……はぁ? あなたが、初めては一緒にって約束——」


 約束……?


 ここでふと、俺たちはおそらく同時にその約束に関する認識の差異に気づいた。


 まず俺についてだが、俺は一年先輩である彼女の手解きを受けながら、初めての飲酒ができたらと考えていた。

 つまり、祈璃さんは飲み慣れていることを前提としていた。お姉さんにちょっぴり悪いことを教えてもらいたい、そんな感覚。


 しかし彼女は、と解釈していたのだ。

 ということはもしかして、再会するかも分からない俺との約束のために1年間お酒を飲まないでいてくれたのだろうか……?


 ああ、言葉って難しい。

 今も昔もわかり合っているかのように見えて実のところ腹を割り切れていないコミュニケーション不足な俺たちは変なところですれ違う。


「——べ、べつに、ただ飲む機会がなかっただけよ」


 祈璃さんは取ってつけたようにそう叫んで、そっぽを向いた。耳がちょっと赤い。明らかに動揺を隠しきれていない。


「な、なんだそうだったんですね。それならお互い初めてということで……」


 どうしよう、祈璃さんがめちゃくちゃ愛おしい。かつてないほどだ。そんなことを思ってしまいながらも俺は会話を合わせた。


「それもちょっと、いや、かなり良いですね」


「……ふん」


 羞恥を誤魔化すかのように鼻を鳴らして、黒髪を揺らした。




「……これくらい?」

「ですね。そんなもんで」


 あれから少し話し合って、ワインは少しだけ飲んでみることに。

 なんでも子どもの頃の主治医の先生(治験の話を持ってきてくれた人だ)に成人祝いでいただいた高級ワインであるとのことで、飲まなきゃ勿体無いだろうという話になったのだ。


 ソファーに並んで座ると、まずは祈璃さんが俺のグラスに注いでくれる。透明感のある明るい色に微炭酸がシュワッと湧き立った。


「では次は俺が」

「いいわよ、あなたのお祝いだし。自分で注ぐ」

「いやいやいやいやいやいや」


 笑顔でワインを奪い取って、祈璃さんのグラスに注がせてもらった。


 せっかくお互い初めてなんだ。

 去年祝うことができなかった祈璃さんの成人も祝えたらと思う。


 グラスを掲げる。


「……改めて、入学と誕生日、おめでとう」

「遅くなったけど、祈璃さんも20歳の誕生日おめでとう」

「………………」

「待っててくれて、ありがとう。かんぱい」

「……乾杯」


 キンと小さな音が響く。

 先日の飲み会とはまったく異なる、2人だけの静かな祝杯の始まりだ。


 さっそく一口、ワインを舐めるように飲んでみる。

 初めに感じたのは驚くほどフレッシュな果実の香り。爽快でありながらまろやかな芳醇さとコクがあり、仄かに甘い。舌の上で転がしながら飲み込むと、アルコールが喉を焼く感覚というものを初体験した。


「ふむ。どうですか?」

「あなたが先に言って」

「正直に言いますよ?」

「どうぞ」

「よくわかりません」


 それっぽい御託は並べてみたが、最終的にそう結論づける。


 美味しいか不味いかと問われれば、どちらとも言えないが正しい。


「珍しく同意見だわ」

「ははっ、せっかくいい酒なのに。飲ませ甲斐のないやつらですね、俺たち」

 

 先生には申し訳ないが、何分初めてなので許していただきたい。

 これで舌がワインというものを知り、ここを基準に美味しさを判断できるようになっていくのだろう。


「アルコールはどんな感じです?」

「今のところ特には」

「お互い下戸ってことはないみたいですね」


 俺は遺伝子的に問題ないと思っていたが、祈璃さんについてはわからなかった。

 見たところ顔色も普通だし、大丈夫だろう。


 となれば、お次はお楽しみの料理だ。


「白ワインには何が合うんでしょうね?」

「一応合いそうなものを用意したつもりだけど……ローストビーフはやっぱり違うかしら」

「肉は赤ワインってよく聞きますよね」


 単純に食欲をそそられるモノで言えばやっぱりローストビーフだけど。


「タケノコは旬だからオススメ」

「でしたらまずはこの、なんでしたっけ、フラッペ? から」

「なんでよ。あとカナッペよ」

「タケノコからいただきます」


 箸を借りてタケノコのマリネを食べてみる。シャキシャキと心地よい食感で、えぐみはまったくない。さっぱりとした味わいの中に生ハムやチーズの塩気がプラスされて洋風に仕上がっていた。


「美味いです」

「そ」

「めっちゃ、美味いです」

「2度も言わなくていい」


 あまりいいリアクションは得られず。


 口内に余韻を残したまま、残りのワインを喉に流した。あ、単体で飲むよりは美味しく感じるかもしれない。優秀なおつまみはレベル1の舌を覚醒させてくれる。

 

 お互いに少量のワインを飲み干した。


 続いてはやはりビールだろうということで、俺のコンビニ酒たちが日の目を見ることに。


「かんぱいっ」


 コツンと銀ラベルの缶が重なる。

 気分が昂ってきて、声が大きくなった。


 今度はビールなので、父さんや記憶に新しい有村さんを思い出して、ゴクゴクと一気に飲んでみる。

 

 話には聞いていたが、苦い。

 炭酸もめちゃくちゃ強い。


 しかし、意外と嫌ではなかった。

 喉を流れていく爽快感がクセになりそうだ。


「う゛っ……」


 ふと隣を見ると、この上なく渋い顔をした幼馴染がいた。

 睨んでいる時や蔑みの瞳とはまた違うけれど、ひどくやつれたような目つきになっている。


「……あげる」

「え?」

「これいらない」

「あ、はい……」


 強制的に銀色のやつを押し付けられる。すこぶる口に合わなかったようだ。


 両手にビール。わんぱく飲みになってしまった。


 それから祈璃さんは俺の持参した袋を勝手に漁り始める。


「これいい?」

「なんでもどうぞ」


 取り出したのはレモン酎ハイだった。プシュッと音を立てて開けると、わずかに警戒したようすながらも恐る恐る喉を鳴らして飲みこむ。


「……ん、さっぱりしてて、甘くて、美味しい」


 どうやら今度は受け入れられたようだ。なぜか俺まで安心して、ホッと胸を撫で下ろす。

 

「それは良かった」

「ええ」


 いたって平和に、祝いの宴は幕を開けた。

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