第29話 ふたりで

 夕食まではまだ時間がある。

 ホテル内を探索してみることにした。


「マッサージチェアがありますよ。やってみません?」


「イヤ。あれってもっとお年寄りがやるものでしょう?」


「そんなことありませんよ。若者だってお世話になります。かくいう俺も去年目覚めたんですけどね? なかなか良いものですよ」


 浪人生で苦しかった時代、疲れ切った俺の身体を癒してくれたのが近所の銭湯のマッサージチェアである。


 運転で疲れた祈璃さんにもきっと効果があるだろう。


「まぁ、そこまで言うなら……やってみる?」

「よしきた」


 複数あったマッサージチェアのうち2つに並んで座る。

 硬貨を入れて、マッサージ開始。


「わ、わ、勝手に動くのね……?」

「とりあえずはそのまま自動でいいと思いますよ」

「そ、そうする……いっ!?」


 横目に見ていた祈璃さんの身体がビクッと海老反りになる。


「あっ、ちょ、待って、そこ、ダメぇ……〜〜っ」


「……祈璃さん?」


 自主規制入れた方がいいですか?


「ちょっと、止まって。きゅうけい。は、初めてなのに、ダメ、もっとゆっくりぃ、あっ」


「……………………」


「この、人の身体、好き勝手にぃ……あっ、ダメ。そこダメぇ……んんっ……〜〜〜〜っ!?」


 悩ましげな声があたりに響く。

 この場に俺しかいなくてよかった。心の底からそう思った。


「はぁ……はぁ……はぁ……」


 およそ10分後、マッサージチェアから抜け出した祈璃さんは涙目で息も絶え絶えだった。


「な、なんてものをやらせてくれたのよぉ……!」

「ええ、でも疲れ取れたでしょ? 身体軽くない?」

「そんなわけないでしょ……! すごく痛かった! やめてって言ってもやめてくれないし、すごく怖かったんだから……!」


 祈璃さんは涙目で訴える。その声にいつもの凛とした芯はなく、ふにゃふにゃだ。


「そんなこと言って、本当はけっこうよかったんじゃない? クセになっちゃったりとか。俺もそうだし、べつに恥ずかしいことじゃないですよ」


 素直になってもらえるように、優しく笑いかける。


「~~っ、ま、まぁ…………ちょっとだけ、よかった、かも……」


 祈璃さんがマッサージの虜になる日は近いだろう。


 お次も温泉の定番、ゲームコーナー。

 クレーンゲームにやってきた。


「ほしいのとかあります?」

「こういうのって、本当に取れるの?」

「そりゃ取れますよ。まぁ、ちょっとコツは入りますけどね」


 高校時代はそれなりに通って挑戦したものだ。1発で取れるとは言わないが、何回かやれば取れる自信があった。


「べつに要らないわ。興味ないし」


 しかしつれない反応が返ってくる。せっかくの自信もこれでは肩なしだ。


「んじゃ、俺が勝手に取ります」


 お目当ては奥の方に見えるぬいぐるみ。

 たしか子供向けアニメに出てくるネコをモチーフにしたキャラクターだ。


「あっ……その子……」

「どうかしました?」

「な、なんでもない」


 気のないフリをしながらも視線はネコに吸い寄せられていた。こういう時は本当にわかりやすくて助かる。


「も、もうちょっと……!」

「え?」

「……なんでもない」


 何度か失敗しながらも、俺は最初に思い描いた通りにぬいぐるみを移動させていく。


「あぁ、また……やっぱり全然取れないじゃない……っ」

「まぁまぁ。もう少し見ててよ」


 いつの間にやらすっかり熱視線を送っている祈璃さん。

 俺は得意顔で言って、次のゲームに挑んだ。

 ぬいぐるみがついに獲得口に引っかかる。こうなればもうこっちのものだ。最後の一回、足の方を持ち上げると、ぬいぐるみは獲得口に転がり落ちていった。


「やったっ」


 パチパチ拍手しながら祈璃さんが跳ねる。可愛いなぁと思いながら見ていると、視線がバレてしまった。

 祈璃さんはコホンと咳払いして冷静を装う。しかしそれでも、挙動不審な瞳は獲得口へしきりに注がれていた。


「はい、どうぞ」

「え……?」


 取り出したぬいぐるみをその胸に押し込めた。


「な、なんのつもり?」 

「祈璃さんならこの子を大切にしてくれるだろうなと思って」

 

 俺が手を離すと、慌ててぬいぐるみを両手で掴む。


「もらってくれる?」

「…………うん、大切にする」


 祈璃さんはその言葉を証明するように、ギュッとぬいぐるみを抱きしめた。


「えへへ……」


 その笑顔はさすがに反則すぎる……。


「ありがとうございます」

「え? な、なに? こちら、こそ……?」


 その後、ぬいぐるみを抱く祈璃さんがあまりに絵になるので写真を撮ろうしたら怒られた。でも、ぬいぐるみは決して離さなかった。


 あらかた遊び終えて、最後にロビーへ戻ってくる。そこには他のエリアよりかは宿泊客の姿があった。


「では、食前酒といきましょうか」

「飲みすぎちゃダメよ?」

「わかってますって」


 ロビーでは様々なお酒が置いてあり、それらが全て飲み放題になっている。簡単なおつまみもあって、ちょっとテンションが上がってしまう大人の空間だ。


 グラスにスパークリングワイン、小皿におつまみを少しもらって空いている席に座る。


「かんぱーい」


 祈璃さんとの2度目の飲み会は、初めてと同じくワインから始まった。


 スパークリングと言うだけあって、強い炭酸が爽快感を生んでいる。俺はけっこう好きだ。


「あ、このピクルス美味しい」

「ほんと? どれどれ」


 小皿に盛ったきゅうりのピクルスを爪楊枝でいただく。


「おお、美味いですね。ワインに合います」

「自家製なんでしょうね。私も今度作ってみようかしら」


 ネコのぬいぐるみを抱いたまま、祈璃さんは思案顔を浮かべた。


「ピクルスって家で作れるものなんですか?」


 俺のイメージだと基本的には某ハンバーガーチェーンのハンバーガーに挟まっているくらいで、あまり家で食べることはない。


「当たり前でしょ。ピクルスって、要するにお漬物のことよ?」

「え、そうなんですか?」

「日本語で言うならこれは、洋風の甘酢漬けってところかしら。作るのもそんなに難しくないと思う」

「へぇ。じゃ、作ったら俺にも食べさせてください」

「自分でも作ってみようとか思わないわけ?」

「祈璃さんの作ったピクルスが食べたい」

「……ちっ」


 祈璃さんはワインを飲みきって席を立った。


「おっ、次いっちゃうんですか?」

「付いてこないで」


 急いでグラスを空にして、後をつける。


 ピクルスの件はまぁ、期待しておくとしよう。


「何飲むんです?」


 祈璃さんがワイングラスを返却したので、俺もそれに続いて手ぶらに。

 それからやって来たのは、ビールサーバーの前だった。


「さくらんぼのビール……くっ」


 サーバーのひとつを睨みつけて葛藤している。


「それが気になるんですか?」

「そう。でも、ビールは嫌い」


 苦いのは嫌だが、さくらんぼが入っているならもしかしたら……ということか。

 

「それなら、2人で一杯だけ飲みませんか?」

「2人で?」

「祈璃さんの口に合わないようなら、残りは俺が飲みますよ」

「……わかった。お願い」


 祈璃さんは頷いて、サーバーから一歩下がる。俺はそこへ入れ替わってビールグラスを取ると、サーバーを起動した。


 まるでルビーのような色をしたビールが注がれていく。


「わ、きれい……」


 その様をうっとりと眺める祈璃さん。

 最後にクリーミーな泡の蓋がされた。


 気に入ったピクルスを少し追加して、席へ戻る。


「祈璃さん、先どうぞ」

「ううん。あなたが先。苦かったらいらないし」


 興味津々ながらも、祈璃さんにとってビールの苦味は根深く刻みつけられているらしい。


「じゃ、お先に」


 グラスをもらって、一口いただく。


 さくらんぼの甘い香りが鼻を突き抜け、華やかな酸味がスッキリと口の中に広がった。

 苦味は少なく、むしろ甘味を強く感じる。


「うん、これなら飲めますよ」

「ほ、ほんと? 嘘ついてないわよね?」

「祈璃さんにウソはつかないって」

「そ、そうね……じゃあ、いただくわ」


 グラスを手渡す。


 祈璃さんはなおも慎重にグラスを見つめる。


「むぅ……」


 口元がもにょもにょしている。あのビールの苦味を口内に思い出してしまっているのだろうか。


「〜〜っ」


 いや、違う……?


 なぜか祈璃さんは俺を見ていた。正しくは、俺とグラスのふちへ交互に視線を送り、頬を赤らめていく。


「どうかした?」

「べつに、気にしてないし……」

「へ?」


 あ、間接キスか。


 そう気づいた次の瞬間、祈璃さんを瞳を強く瞑ってグラスを傾けた。


 いい飲みっぷり。

 半分ほどが一気に祈璃さんの体内へ消えた。


「…………おいしい」


 よりいっそう紅潮している頬が俺の羞恥まで煽ってくるが、口に合ったようでよかった。

 お土産で買えるようなので、いくつか買っていくことにした。


 飲み終えると、ちょうど夕食の時間になる。2人で食堂に移動した。


 食事は季節のモノをふんだんに取り入れたコースメニュー。

 コースなんてほとんど経験したことがなくて少し緊張したが、落ち着いた様子の祈璃さんを見ていたら安心することができた。


 どの料理も美味しくて、大満足だった。

 

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