第28話 猫
さらに2時間。
怖かったのはサービスエリアから高速への合流くらいで、旅は順調に続いた。
「着いたわ…………」
そして夕暮れ前になり、ついに目的の温泉へ到着した。
最初は旅館をイメージしていたが、実際の出立ちはより現代風な温泉ホテルといった感じ。
「……はぁ。疲れた。もぉイヤ。車怖い。運転怖い。早く帰りたい」
ありがたきドライバー様はかつてない程に疲弊して、普段は決して見せない弱音を無限に吐露している有り様だった。
「か、帰る前にせめて温泉入りましょうよ」
「うん。入る」
ちゃんと免許取っておけばよかった。代わってあげられないことが本当に申し訳ないし悔しい。
すっかり弱ってしまった祈璃さんを連れて外に出た。
駐車場からホテルへ向かう。
「あ」
その途中で野良猫を見かけた。
瞬間、脳裏に過去の思い出が甦る。
祈璃さんは、無類の猫好きだ。
昔、まだ一緒に登校できた頃はよく俺のことをそっちのけで野良猫と戯れていた。
「か、かわいい……!」
その記憶を裏付けるかのように、祈璃さんは興奮気味に声のトーンを一段上げて野良猫を見つめる。
それからしゃがみ込むと、チチチチとお得意の舌打ちで野良猫を呼び込んだ。
そろりそろりと猫が近づいてくる。
そして——
「は?」
“にゃあ〜”
ネコは棒立ちしていた俺の脚に擦り寄ってきた。
やべえ。
このネコちゃん宇宙一可愛い。
「ぐ、ぬぬぬぬぬ……!!」
そしてお隣さんは宇宙一怖い。
「い、いや、祈璃さん? これは違いますよね? 俺、何もしてないですよね……!?」
ギリギリと歯軋りしながら怨念こもった瞳で俺を睨み上げてくる。
「くっ」
しかし諦めきれないのか、おそるおそるネコへと手を伸ばした。
“シャーーーーッ”
見事な威嚇を返される。
「ちぃっ」
祈璃さんの目つきがどんどん怖くなっていく。
「その目ぇ! その目やめましょう!? そんなん人の子だって寄り付きませんって!?」
昔はあんなにネコから好かれていたのに、どうしてこうなってしまったのか。もう不憫で仕方がない。
「ぐ、うぅ、そんなこと言われても、どうすれば……」
「目線隠しましょう! ほら片手で!」
「こ、こう……?」
「そうです!」
なんかいやらしい写真のポーズみたいになっているが、この際気にしない。
祈璃さんはいやらしいまま、再度ネコへ指を伸ばした。
「あっ、ニオイ嗅いでる……」
さっきとは打って変わって警戒態勢を解いたネコは少しずつ祈璃さんへ近づいていく。
「今度は、すりすり……かわいい。ね、触っても、いい?」
“にゃお〜ん”
ネコはもうされるがまま、身体を差し出した。気持ちよさそうに撫でられている。
ニオイだけでもネコには祈璃さんの優しさがわかるのだろうか。
「ふふっ。にゃー。にゃーにゃー」
目線を隠しているからあまりネコの姿は見えていないのだろうが、祈璃さんは思う存分、ネコに癒された。
「少しは体力回復した?」
「そうね。ネコちゃん、かわいかったぁ……」
「帰りも会えますかね」
「さぁ。あの子たちは気まぐれだから。あまり期待しない方がいいわ」
祈璃さんと一緒か。
そんなことを話しながら、ホテルの受付へ。
予約していた祈璃さんが手続きをしてくれる。
「当店自慢の貸切露天風呂は当日予約制となっていますが、いかがなさいますか? 恋人やご夫婦でお越しの方には、特にオススメですよ」
「なっ!?」
貸切露天風呂、だと……!?
祈璃さんの隣に立つだけのカカシになっていた俺の身体に電流が走る。
貸切露天風呂って、それはつまり混浴ということで、祈璃さんと2人きりのイチャイチャ空間ってことだろう!?
楽園はここにあった。
「予約します」
「……………………」
「入りましょう祈璃さん。オススメですし」
「……私たちはべつに彼氏彼女じゃないわよ」
「でも、デートって言ったのは祈璃さんです」
「……………………わかった」
「へ?」
祈璃さんが頷いた。
「い、いいんですか? まじで?」
俺にはまだ最終手段、今度実家から送られる予定の笹団子全てと引き換えに混浴ゲット作戦が残っていたのだが……いや、どうせ祈璃さんにぜんぶ貢ぐことは変わらないんだけど。
若干の冗談も含んだ要求に対して、まさかの返答がきてしまった。
「最初から、わかってたし……えっちなあなたが一緒に入りたがることくらい……」
「祈璃さん……!」
「ただし、時間だけは私が選ぶから」
「え? は、はい。そんなの俺は何時でも大丈夫ですよ?」
「……ふん」
その後、祈璃さんは店員さんと何やらコソコソ話して貸切露天風呂の予約をした。
時間は21時。本日最後の予約になったようだった。
それから宿泊する部屋へ案内される。
ホテル風だったが、部屋はしっかり和風テイスト。
そして当然のように2人で一部屋だった。
「お金ないから、仕方ないでしょ」
それが祈璃さん談である。
いつもの彼女ならそこにかけるお金は惜しまないのではないかと思わなくもないが、俺に取って不都合は何もないので黙っていることにした。
「温泉行きますか」
「そうね」
30分ほど部屋で休憩してから、メインの温泉である大浴場へ向かうことにした。
「待ち合わせの時間とか決めた方がいいのかしら」
「俺の方が早いと思いますし、いいですよ。いくらでも待ちますので、ゆっくり疲れを取ってきてください」
「いいの?」
「もちろん」
「じゃあ、遠慮なく」
「あがったら連絡ください」
そう言って、男女の浴場へ別れた。
大浴場はまさに圧巻だった。
通常の大きな風呂はもちろん、泡風呂や電気風呂、サウナまであって、言うなれば温泉のテーマパークのよう。
しかも人があまりいない。貸切というほどではないが、リラックスすることができた。
そのおかげで思っていたよりも長時間、温泉に浸かってしまった。
「……ふぅ、いいお湯だったぁ」
火照る身体を冷ましながら浴衣に着替えて、浴場を出る。
「おっ、自販機発見」
温泉や銭湯ではお馴染みのビンの自販機が目に入る。
さっそく牛乳を買って、喉へ一気に流し込む。
「ぷはぁ、やっぱり風呂上がりはこれだなぁ……!」
「蒼斗?」
「っ?」
ドキリとしながら振り返ると、そこには浴衣姿の祈璃さんがいた。
濡れ感の残る黒髪をサイドにふんわりとまとめるカジュアルスタイル。
朱色に染まった頬は先程までよりもずっと血色よく見えて、色っぽいと同時に安心を感じた。
「……どうかした?」
「あっ、い、いえ、なんでもないです」
うっかり見惚れてしまっていた。
風呂上がりなんてこの前も目にしたと言うのに、デートという名目がそうさせるのか、それとも温泉の効能か。定かではないが、とにかく祈璃さんは美しい。
「に、似合ってますね、浴衣」
「そ? あまり着たことないし、よくわからないわ」
「和服着せたら祈璃さんの右に出る人なんてそうそういませんよ」
「ふーん。身内贔屓なのね」
本人にあまり自覚はないらしい。
「それで、何してたの?」
祈璃さんは俺の背後の自販機へ興味を寄せる。
「ビン牛乳ですよ。定番でしょ?」
「……よく見るけど、飲んだことない」
「前来た時は飲まなかったんですか?」
「オレンジジュース飲んでた」
可愛い。
「じゃ、今回はこっちに挑戦してみてください」
祈璃さんには色んなことを経験してみてほしい。
「コーヒー牛乳やフルーツ牛乳なんかもオススメですよ」
「……じゃ、これ」
ゴトンとビンが取り出し口に落ちてくる。フルーツ牛乳だ。
「…………………」
手にとったビンを見つめている。
謎の沈黙。
「……このビン専用の栓抜きを使うんですよ」
「やって」
「了解」
ビンを受け取り、フタを外してまた返す。
「さぁ腰に手を当てて」
「こ、こう……?」
「そう、そして一気!」
「一気……!?」
「一気飲みでなくては風呂上がりのビン牛乳を体験したとは言えません! さぁ! さぁ!」
「え、ええ……」
勢いに押される形で祈璃さんはビンを口に添えて高めに傾けた。
ゴクゴクと、ゆっくり音を立てながら飲んでゆく。少し苦しそう。しかし止まることなく一気に飲み切った。
「ぷはぁっ、はぁ、はぁ……」
空気を必要としている荒い吐息。口元に溢れたフルーツ牛乳がわんぱくである。口角はわずかに上がっていて、満足そうだ。
「美味しいでしょ?」
「……ま、まぁまぁね」
「そりゃ良かった」
さすがにネコの感動には勝てないけれど、喜んでもらえたようでよかった。
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