4 ずっと一緒に

第26話 運命

 私はあの時、自分の生を諦めた。

 ああ、私は死ぬんだって。大人になれないんだって、なんとなく理解した。

 実際、医師の先生にも似たようなことを言われた。


 もう、喜びも怒りも哀しみも楽しさも、何もかも感じないように、心を凍り付かせた。


 それでも、脳裏にこびり付いて離れないモノがある。

 私が倒れたとき、わずかに見えた彼の絶望の表情だ。


 あんな顔、2度とさせたくない。これ以上悲しませたくない。


 私の人生には何の意味もなく、ただこうして死んでいくだけなのだから。


 この世界に何も残すべきじゃない。


 だからどうか、私のことは忘れてください。


 晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、雪の日も、雷の日も、身を引き裂く思いで拒絶した。


 でも。

 それなのに。

 なんで。

 どうして。


 どうして……!!


 大嫌いって、言ってるじゃない……。


 彼はケロッとした顔で飽きもせず、死にゆく小娘の病室へ来るものだから、もう私の方が根をあげ始めた、そんな頃だ——。


「ねぇ、蒼斗」


 私は珍しく、自分から口を開く。


「どうして蒼斗は、いつも病院に来るの?」


「そんなの祈璃ちゃんに会うために決まってるじゃん」


「どうして私に会いに来るの?」


「祈璃ちゃんと一緒に遊ぶの、楽しいから」


「楽しい……の?」


「うん。そうだけど、何かおかしい?」


「……おかしいわよ。だって私は、あなたに何も——」


 それどころか酷いことばかり言ったのに。


「祈璃ちゃんはおれの話たくさん聞いてくれるでしょ? そういうの聞き上手って言うんだよ。それにわがまま言っても付き合ってくれるし、優しいし。うん、やっぱりおれ、祈璃ちゃんと一緒にいるの楽しい。大好きだよ」


 こんな言葉をもらう資格なんて、あるはずがないのに。


「……ねぇ、蒼斗」


 それでも私は、縋ってしまうんだ。


「私がもし、もしも、だよ? あなたとずっと一緒にいるって言ったら、嬉しい?」


「うん! めちゃくちゃ嬉しい!」


「そっか……そう、なんだ……」


 心とはどうして、こんなにもままならないのだろう。



 ・



 彼が帰った後、私はもう感情を制御することが出来なくなっていた。


「あぁ……あ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ…………!!!!」


 慟哭と共に、全てが決壊してしまう。


「祈璃くん……どうして、泣いているの?」

「先生……」


「何か、あった?」


「……生きたい」

「……………………」


「もっと、生きたいよ」

「……………………」


「蒼斗と、もっと、一緒にいたいよぉ……」

「……………………」


「せんせぇ……」

「……わかった。私が、きっと、キミのチカラになってみせる」



 ・



 それからまた、数ヶ月が経って——私は選択を迫られる。


「祈璃ちゃんは、どうしたい?」

「お母さん……」

「どんな決断をしたとしても、お父さんとお母さんは、祈璃ちゃんと一緒にいるよ。だから、祈璃ちゃんの考えを聞かせてほしいな」


「…………私は、きっと、死ぬんだよね」


「……………………」


「でも、それでも、チャンスがあるならそれに賭けてみたい。どうせダメなのかもしれないけど、諦めたらぜんぶ、ゼロのままだから……」


「……………………」


 もしもこの人生に、意味を付けてもいいのだとしたら。


「手を、伸ばしても、いいのかな……」


「……………………」


「わたし、は……」

「いいんだよ」

「お母さん……?」


 お母さんは私の手を握る。いつだって、温かくて優しい手のひら。


 宝石のように煌めく瞳は、キラキラな眩しさに満ちている。


「幸せを掴むために、その手はあるの。だから、行こう。どこへだって、行こう!」


「…………うん。うんっ」



 ・



「祈璃ちゃん、忘れものなーい?」

「うん、大丈夫だよ」

「……ほんとにいいの? 蒼ちゃんに言わなくて」

「うん、いいの」


 絶対戻ってくるから、なんて、言葉にできない。

 このまま私が死ぬのなら、やっぱり私のことなんて忘れてほしい。そうであるべきだ。


「……なら、いこっか」

「うん」

「あっちはまだ寒いのかな〜? それともあったかい? あ、ご飯も気になるよね〜。美味しいものたくさんあるといいね〜」

「お酒飲みすぎちゃダメだよ、お母さん」

「お酒の話はしてないってば〜」


 

 そして私は、旅立った。 



 生きたい。

 生きたい。

 生きたい。

 生きたい。

 生きたい。


 生きなきゃ。


 私は、生きるんだ。


 彼と一緒に。絶対。生きるんだ。


 言葉にならずとも、心だけは強く、強く願った。

 途方もない夢を胸に抱きながら、見えない希望へ、未来へ、手を伸ばした。



 ・



 そうして私は、生き残った。


 1度、2度、3度と諦めた彼と、再会までできた。私たちは隣同士に住んでいる。


 それはきっと、ただの偶然でしかない。私にとって都合が良すぎて、怖くなるくらい。



 昔より、ずっと大人になった彼。

 私よりも背が高くて、ちょっと生意気。声変わりして、筋肉もしっかり付いていて、男らしい。その上、なにかとエッチだ。

 エッチなのは、私にだけ? それとも他の子にも同じようにしてるの?

 彼は私なんかよりもずっと社交的で友達も多いだろうから、心配になる。


 だけど、根っこのところは変わっていない。


 いつもそっけない態度しか取れない私に、楽しそうにお話をしてくれる。


 変わらない笑顔が、そこにはあった。


 会うたび、話すたび、想いは溢れている。毎日、大きくなっていく。


 でも、言葉って難しい。生きるって難しい。人生って難しい。


 一度それらを放棄した私には、本当に大変なことで。心も身体も、いつだって言うことを聞いてはくれない。



 ——でもね、少しずつ、伝えていくんだよ。そうやって、今を生きるの。



 お母さんは大切なことを教えてくれた。

 いつもありがとう。これもいつかはちゃんと、言わないとなんだよね。もう少しだけ、待っててね。


「……………………」


 私は、私にできることから始める。


 そうやって、


 この偶然の出会いを、再会を——運命っていう特別なモノにしたいから。

 

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