第6話 酒カス

 部屋には、文芸サークルらしく本棚が四方八方に並べられていた。その中身は本で埋め尽くされている——というのはそうであってほしいという俺の願いで、実際は半分ほどが酒棚と化している。

 端には冷蔵庫。中央にテーブル。テーブルを挟むようにしてソファーが2つあるくらいのコンパクトな空間だ。


 ソファーのひとつに俺たち3人は仲良く並んで座っている。


「ようこそぉ、文芸サークルへ〜。ぱーちぱちぱちぱち〜」


 眼前のソファーにひとりで座る女性はどこかチカラが抜けるような柔和な笑みを浮かべながら拍手する。


「西野ちゃん、鷹宮くん、そして岡本くんだね〜。3人も来てくれるなんて、もぉ感謝感激雨あられだよ〜」


 自己紹介はすでに済ませていて、名前は有村久遠ありむらくおん。文学部の4年生。


 髪はふんわりとした編み込みハーフアップで、シンプルなペールトーンの服装は育ちの良さを感じさせるお嬢様スタイル。

 人形のように整っているあどけない童顔が可愛らしく、きめ細かい乳白色の肌が眩いほどに美しい。

 大らかで優しげな雰囲気を醸し出すタレ目の瞳が特に印象的な女性だった。


 祈璃さんとはまるで対極のような人。なんて言ったらたぶん怒られるだろう。


 まぁ、2人とも美人であることに違いはない。


「みんな何飲む〜? なんでもあるよ。ビールに酎ハイ、果実酒、ウィスキー、日本酒、ワインだって、世界各国津々浦々取り揃えてま〜す」


 ふわふわした喋りはまさに酔っ払いのそれだ。


「あ、ごめんね。今ドンペリはなくて〜」


 夜の店かここは。


「やっぱり最初はビールかな? でも最近の子はとりあえずハイボールって言うよね。私は断然ビール派なんだけど〜」


 放っておいたら延々続きそうなのんびりトーク。


 新入生という認識はされているはずなのだが、どうして執拗に酒ばかり勧めてくるのか。


 大学1年生はたとえ一浪していたとしても、まだ大多数が19歳。未成年である。


「お酒はけっこうです」

「え、そう? ざんねん……」


 しゅんと悲しそうにされると、まるでこちらが悪いことしたみたいな感じがして胸が締め付けられた。

 いや、流されるな。

 未成年飲酒、ダメ、ゼッタイ。


「有村さんはどうして学校でお酒を飲んでいるんですか?」


 代表して尋ねる。


「お酒が必要だからだよぉ」

「必要って……ここ、文芸サークルですよね?」

「うん。執筆にはなんといっても1にお酒、2にお酒、3にお酒、4にお酒、5にお酒〜。この世の全ての創作は度重なる過度なアルコール摂取によって生まれているのです〜」


 得意そうに語っているが、全世界の作家に謝れと言いたい。


「……でも大学でお酒飲んじゃダメですよね?」


 昔は授業中にビールを飲んでいる大学の風景などもあったようだが、今は基本的に禁止されているはずだ。


「ふぇ? どうして? バレなきゃ大丈夫だよぉ〜、えへへ」


 悪びれたふうもなくほのぼのと笑っている。


「西野、この人はダメだ。今ならまだ間に合う。他を探そう」


 俺は目の前の先輩を諦めて、左隣の西野の説得にかかる。


「なーんて冗談だよぉ。ちゃんと許可を貰ってるから大丈夫大丈夫〜」

「は? いやいや、そんな簡単に許可がおりるわけ……」

「私のお父さん、この大学のお偉いさんなの」

「……………………」


 そういえば理事長の苗字って有村だったような? 


「つまり、この部屋は校則適用外。治外法権なので〜す」


 渾身のドヤ顔。


(な、なぁ、鷹宮……)


 右隣に座る岡本が深刻そうに眉を寄せながら小声で話しかけてきた。さすがの童貞も不安に駆られたか……。


(有村先輩、クソ美人じゃね?)

(……頼むからもう黙っててくれ)

(なんでだよ! 先輩可愛いだろ!? なんかホワホワしてるし頼んだらワンチャンヤらせてくれそうじゃねとか思うだろ!?)

  

 最低すぎる。

 頼み込むならパンツまでがボーダーだ。


「それじゃあ他に何か聞きたいこと、あるかな〜?」

「はいはーい!」

「はい西野ちゃん」

「活動内容を教えてください!」

「活動内容は小説の執筆〜っていうのは建て前で、みんなでお酒飲んで楽しくお話しできればまるっとオーケーで〜す」


 おいおい、ぶっちゃけたぞこの酔いどれ美人。


「いわゆる飲みサーってやつですね! 私、そういうはっちゃけたサークルを求めてたんです!」


 求めちゃってたかー。


「ほんと〜? お眼鏡に叶ったみたいでなんだか嬉しいなぁ」

「私、文芸サークル入ります!」

「あ、オレもオレも!」


 あれよあれよという間に話が進んでいく。

 

 え、マジで?

 下手したら校則違反で罰則くらうぞ?


 しかし西野はそんな破天荒を求めていて、岡本は単なる性欲モンスターだった。


 俺だけでもしっかりしなければ。


 もしも退学にでもなって、この生活を失うのだけは絶対に御免だ。ここはまだ、スタートラインである。


「……キミは入ってくれないの?」


 ひとり黙っていると、ふいに有村さんから手を握られた。小さくて温かな手のひら。柔らかくてすべすべしている。

 うるうるとした瞳は無性に庇護欲を駆り立てた。


 油断してると堕とされる。


「せっかくなら、3人とも入ってくれると嬉しいなぁ〜って。2人もそう思うよね〜?」


「うんうん。鷹宮くんも一緒がいいな」


「オ、オレはべつにハーレムでもいいんだが……鷹宮がいた方が安心するな、うん」


「いや、俺は……」


 流されてなるものかと、3人から視線を逸らす。


「じゃあじゃあ〜、新歓開こっか。安心して、ここじゃなくてちゃんとお店とるから。みんなで楽しもう〜?」


「そ、そう言われましても——」


「もちろん、ぜーんぶ私の奢りだよ〜?」


「————っ!?!?!?」


 なん、だと……!?


「どうかなどうかな?」


 あー、ここで質問です。

 あなたはラーメン屋で大盛無料と言われたら、どうしますか?

 俺ならたとえ腹の減り具合がイマイチだったとしてもノータイムで「大盛オナシャッス!」だ。寛大なるお店様に感謝して、咽び泣きながら麺をズルズルすることだろう。


 “大盛無料”

 それは学生にとって信仰の対象と言ってもいい神の真言である。


 それと同じようなもの、いや、上位互換と言える“奢り”という言葉の魔力にも、抗える学生はいない。


「きょ、今日だけ、新歓だけ、ですよ……?」


 俺たちはいつだって金に支配される卑しいイキモノである。

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