第3話 再訪

 英語のテストを終えて放課後。

 俺は再び祈璃さんの部屋にお邪魔させてもらっていた。やはりなんだかいい香りがする。


「どうぞ」

 

 前回同様クッションに腰を下ろしていると、お茶を出してくれる。それからやっぱり、隣に座った。

 

「むむ、これはダージリンですね」

「緑茶よ」

「知ってた」

 

 めっちゃ緑だし。

 今回も笹団子を手土産にした(右隣不在で余った分を冷凍しておいたもの)ので、それに合わせたのだろう。


 紅茶について少し勉強しておいたのだが、無駄になってしまった。


 祈璃さんはいそいそと笹団子の笹を剥いてもっちり齧ると、緑茶を飲んでホッと満足そうにひと息を吐いた。


「笹団子好きですよね。昔から」

「……悪い?」

「おばあちゃんみたいだなって思います」

「ぶつわよ」


 ギロリ視線が向けられて背筋が凍る。


「ウソです可愛いと思います」

「は……!? 〜〜っ、ん、んんッ、ゲホ、ゴホ、……んく、んく……ぷはっ」


 喉に詰まらせてしまった笹団子を慌ててお茶で流し込んだ後、ぐぬぬと忌々しげにこちらを睨みあげてきた。


「今のは俺が悪いんですか……?」

「……変なこと言うからよ」


 低い声でそう言うと、俺が食べようと手に取っていた笹団子をサッと奪い取る。


「あっ」


 無情にも祈璃さんの口内へと消えてゆく笹団子。俺は上がったままの手を下ろせず、文句を言うことも出来ず、それを見つめていた。

 今日はお茶とのベストコンビだから食べたかったのに……。いや、俺なんかよりも美人に美味しく頂かれる方がきっと笹団子も幸せなことだろう。


 俺は緑茶をちびちび啜ることにした。

 しっかり茶葉から煮出しているので、渋みと爽やかさが絶妙に美味しい。



「履修登録のアドバイス、お願いします」


 おやつタイムを終えて、本題に入る。


 履修登録とは、簡単に言えば今期に受ける授業を登録する作業のことだ。

 高校までは基本的にクラス単位で時間割が決まっていたが、大学では自分で考えて授業スケジュールを組むことになる。

 

 俺を含めた新入生の大多数にとっては初めての経験だ。

 一から自分でやってみるもよし、サークルの先輩に聞いてみるもよし、ネットで調べてもよしと乗り切る方法ならいくらでもあるが、俺はお隣さんを頼ってみることにしたわけだ。


 土産に笹団子さえあれば俺は無敵である。

 これでもう在庫はないので、今度は実家から送ってもらうのもアリかもしれない。


「まず、1限は入れない。これは鉄則ね」

「ああ、それはなんとなく分かります。寝坊して遅刻とか避けたいですしね」


 一人暮らしにとって、寝坊は最大の敵と言っていい。


「そういうこと」


 俺は持参したノートPCを立ち上げて、大学のマイページから履修登録票を開いた。そこにはすでにいくつかの必修科目が登録されている。


「うげ……、ちょっと待ってください。俺、必修が2つも1限に入ってるんですけど……」

「ま、1年生にはありがちね。諦めて頑張りなさい」

「祈璃さんが毎朝起こしてくれるなら頑張ります」

「絶対にイヤ」


 まさしく一刀両断である。


「私たちの部屋は大学に近いから、満員電車に長時間さらされるようなことがない分だいぶマシよ」


 1限の登校時間はサラリーマンの出勤時間と重なる。つまりは満員電車、地獄の登校。

 1限が嫌われる理由のひとつと言えそうだ。

 それがないというのは幸せなことだが……遅寝遅起きの自堕落生活は来年までお預けらしい。


「次に4コマ連続で授業を入れない。そして空きコマを作らない、ね」

「それはまたどうして?」

「大学の授業って90分もあるでしょう? 4コマなんてとてもじゃないけど集中力がもたないし、空きコマがあれば90分も時間を持て余すことになるわ」

「なるほど。正直、90分授業って辛いですよね」


 高校は1コマ50分だったから、単純に1.8倍だ。ほとんど2倍。

 人間の集中力は90分で限界だという話をどこかで聞いた覚えがあるわけだが、大学生はその限界を毎コマ要求される。

 これって勉強の効率的にどうなのだろうか。まぁ、偉い人が決めたのだろうからきっと良いのだろう。そうじゃなきゃやってられない。


「90分ずっと集中しろと言われたら私だって難しいわ。だから上手く気分転換することが大切」

「気分転換ってたとえば?」

「私の場合は……ノートに落書きしたりとか」

「落書き? え、祈璃さんが?」

「……なによ」

「いや、なんか意外だなぁと」


 そういえば子どもの頃は一緒に絵を描いたりしていただろうか。

 俺ばかり描いていた気もする。そして祈璃さんは俺の絵心のなさに絶句していた。


「べ、べつに遊んでいるわけじゃないのよ? 落書きは脳を活性化させるっていう研究結果もあって、集中力や記憶力を高めてくれるんだから」


「へー」


「何よその目は」


 ジト目。


「ちなみにいつも何を描いてるんですか?」


「……どうでもいいでしょ」


「えー気になる。気になってもう履修登録が手に付きません」


「……ちっ」


 俺が退かないことを察すると観念して、羞恥に顔を赤らめながら小さく呟く。


「…………ネコちゃんとか」

「え?」

「っ、もういいでしょ! さっさと履修登録するわよ!」

「……はーい」


 授業中にこっそりネコを描いている祈璃さん、想像したらちょっと可愛すぎた。


「それで、1限は入れない。4コマ連続で授業を入れない。空きコマを作らない。ってのはわかりましたけど、受ける授業は具体的にどういう基準で選んだらいいんですか?」


 今までの話をまとめつつ問いかける。


「基本的には選択必修科目を優先ね」

「選択必修科目とは?」

「……あなた、ちっとも要覧読んでないでしょ」

「失礼な、読んでますよ。選択必修ってのはつまり、指定された専門科目の中から卒業までに規定分の単位を取りなさいってことですよね」

「わかってるなら聞かないで。そしてさっさと帰って」

「祈璃さんの解説がわかりやすかったのでついつい甘えてしまいました」


 そう言って取り繕うと、祈璃さんはため息を吐きつつ続けてくれる。


「あとは自分の興味のある授業を優先するのか、それとも単位の取りやすさを優先するのか、とか。ちゃんと考えなさい」


「簡単そうに言いますけど、まったく何から手を付けていいやらですよ」


 両手をぷらぷらと振る。

 途中ふざけてしまったりもしたが、履修登録の悩ましさに参っているのは本当だった。

   

 祈璃さんが意外なほど丁寧に対応してくれるので、やはり甘えたくなってしまう。


「……はぁ。一緒に考えてあげるから」

「お願いします。本当に助かります」

「ちょっとパソコン見せて」


 お尻をズってこちらに身を寄せてくる。長い黒髪が揺れて、ふわりと異性の香りが舞った。


「……むぅ」


 なぜか瞳がいつも以上に鋭くなって、ヤクザみたいな目つきになる。

 やがて「見えない」と小さく言いながら渋々な様子で立ち上がると、バッグの中から縦長のケースを取り出して戻ってきた。


 そのケースから出てきたのは、眼鏡だ。慣れた手つきでそれを耳にかける。


「……眼鏡かけるんですね」

「目に負担のかかる生活してたから」


「似合ってますね」

「私は嫌い」


「そりゃもったいない」

「……ふん」


 眼鏡をかけた祈璃さんは、ありがちな感想だが普段よりいっそう知的に映る。図書館司書とかめっちゃ似合いそう。

 そして同時に、瞳が大きく見えて柔らかい。


 ひょっとすると目つきが悪い原因の何割かは裸眼の視力が足りていないからなのだろうか?


「ここ、クリックして。月曜日の3限」

「はいはい」

「はいは一回」

「はい」


 小突かれながらも言われた通り操作すると、スクリーン上に数十の授業が表示される。

 月曜3限に開催される授業の一覧のようだ。


「まずは空きコマを埋めることから。月曜は2限と4限に必修入ってるし、とりあえずこの中からひとつ選びましょうか」

「ええーっと……? うーん……」


 自然史、哲学、経営学、社会学、体育……やはり数は多いし、何をする学問なのかよく分からないしで、目が滑ってしまう。


「何か興味のある授業はないの?」

「ないです」

「脳死しないで」

「じゃあ、やっぱり楽に単位取れそうなやつがいいです」

「それなら授業内容よりも試験の形式を重視して見てみましょうか。筆記はまず避けるとして、レポートや択一式の方が比較的簡単だと思うわよ」

「択一式。好きな言葉です」

「レポート提出の授業もいくつか取っておきなさい。その方が試験期間のスケジュールがいくらか楽になるから」

「ほうほう、そういうのもあるんですね。奥が深い」

「まったく、手のかかる人……」


 楽単科目を指針として色々と教えてもらいながら、少しずつ時間割を埋めていく。


「ここはどうしようかなぁ。どれかオススメとかあります?」

「それなら……これかしら」

「これ?」


 一考の後、指さされたのは天文学という授業だった。

 なんだか語感からして少し難しそうな印象を受けるが、壮大そうで男のロマンをくすぐるという側面もある。


「基盤科目で試験はレポートだし、難しくないと思うわ。それに……」

「それに?」

「私も受けるつもりだから」

「受けます」

「……なんで即決なのよ。今まで散々悩んだくせに」

「そりゃ決まってますよ」


 自然と笑顔を浮かべて告げる。


「一緒の方が楽しいですから」


 子どもの頃は1学年離れていたし、そもそも祈璃さんは登校することがほとんどなかった。


 しかし大学では、学生なら4学年の誰でも受けられる授業が数多く存在するのだ。


「レポートは写させないから」

「いやいや、これだけ協力してもらったんです。お礼に俺が写させてあげますよ」

「私はちゃんと自分でやるわよ」

「そうですか? あ、てかせっかくなら他の授業も一緒にしましょうよ」


 なんで今まで思いつかなかったのだろう。


 俺はウキウキで祈璃さんが受ける予定の授業を聞き出していく。


 結局、必修科目の都合で合わせられた授業は2つだけだったが、授業が始まるのが余計に楽しみになった。


「はぁ、疲れた」

「長時間のお付き合いありがとうございました。ごゆっくりお休みください、まだ春休みの先輩様」

「……嫌味っぽくてウザイけど、そうさせてもらうわ」


 自分の部屋に帰ると、俺は交換したばかりの連絡先を利用して岡本と西野に履修登録を共有した。ただし、祈璃さんと一緒にした2つを除いて。

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