第2話 新入生

 4月になった。

 これから入学式までのおよそ1週間は、新入生オリエンテーションが行われる。


「ということで、大学初日が終わったわけなんですが……」


 俺はベランダで身振り手振りを交えて語っていた。

 夜のひと時は一方的な押しかけによってすでに恒例行事となっている。


「人が多かったです」

「何その感想」

「いや普通にビビりますって。なんですかあのサークル勧誘の群れ。まともに歩けませんよ」


 キャンパスに入ったらすぐに新入生たちはサークル勧誘の先輩たちに襲われた。四方八方から勧誘チラシを渡され、隙を見せればすぐさま新歓コンパへの参加を取り付けられる。先日の椎名さんはその一端を見たにすぎなかったというわけだ。


 そこをどうにか切り抜けて教室に辿り着けば、またしても圧巻の光景に息を呑む。

 高校の時より数倍は広い部屋に数百の新入生が集められていた。遠くの人が米粒のように小さく見える。

 これでたった1学部にすぎないというのだから、俺のような田舎者は腰が抜けなかっただけでも褒めてもらいたい気分だ。


「友達は1人できましたよ」

「ちっ」

「突然キレるのやめません?」

「……べつに」


 見るからに機嫌を損ねた様子で顔を背けてしまう。どうやら俺の大学生活の順風満帆な滑り出しが気に入らないらしい。


「……男の子?」

「そりゃあまずは男友達からですね」

「まずは……?」

「が、学籍番号が近かったのと、お互い一浪ってことで仲良くなりまして」

「……ふーん。よかったわね。まずは男の子の友達ができて」

「……なんかトゲあるんだよなぁ」


 チクチクした言葉を受け流しながら今日の出来事について色々と話した。祈璃さんはそっけない相槌を打ちながら、静かに聞いてくれる。


 俺にとっては懐かしくて、心落ち着く時間だ。


「あ、そうだ祈璃さん、明日って時間ありますか?」


 今夜はそろそろお開きかという頃、俺は思い出して尋ねる。


「まぁ、ないことはないけど……なに?」

「さっそくですが、先輩の知恵をお借りしたい案件がありましてね」


 ひとつの約束を取り付けて、大学初日の夜は終わりを告げた。




 ◇◆◇




 オリエンテーション2日目。

 昨日から行動を共にしている岡本元気おかもとげんきと食堂で昼食を取っていた。


「午後って何するんだっけ?」

「英語のクラス分けテスト」

「はぁ? テスト? そんなんあったのかよ、マジで……!?」


 岡本は大袈裟に頭を抱える。


「パンフに書いてあっただろ?」

「まともに読んでねーよそんなん……」

「完全に自業自得じゃねーか」


 たった2日の仲だが、すでに気兼ねなく話すことができていた。


「まぁそんな心配することでもないでしょ。受験したばっかなんだし」

「オレはもう綺麗さっぱり忘れたっつの〜」


 しばらく文句垂れていたが、あまり引きずるタイプではないのだろう。はぁ、と一度だけため息を吐いた後、すぐに切り替えて別の話題を提供してくれる。

 

「昨日SNSで見たんだけどさ、うちの大学には女王がいるらしいぜ」


「女王?」


 漫画やアニメではありがち、しかし現実では歴史の授業でくらいしか聞き慣れない言葉だ。


「ああ、なんでもめちゃくちゃ美人なんだけど尖った目つきが——」


「わたしそれ知ってる! 蔑み美人の夜桜さんでしょ!」


 ちょうど通りかかった小柄な女生徒がパワフルに口を挟んでくる。両手には手付かずのランチプレートが握られていた。


 ところで今、すごく聞き覚えのあるワードが聞こえたような気が……いやまさかな……。


「あ、ここいい?」


 人懐こい笑みを浮かべると、遠慮ゼロで俺の隣席に腰を下ろす。


「いやあ今日は1年生しかいないってのに席埋まりすぎだよねぇ。こりゃ授業が始まったら毎日席取り合戦かな。いっただきまーす。ん〜、んまーいっ。けっこういけるよねこの食堂!」


 マイペースにひとりで喋りながら鶏の照り焼きに舌鼓を打ち、お手本のようにほっぺを押さえる。その可愛らしい仕草からは小動物のような印象を受けた。


「……食堂はここを合わせて4つあるから、席取り合戦とやらにはならないと思うぞ」

「え? 4つもあるの?」

「ちなみ今日解放されているここは第3食堂。1番人気は第1食堂で、そこだけはいつも混み合うみたいだけど、味は折り紙付きって話」

「マジかー。この美味しさで3番手ってこと? うっそー」


 リスみたいに口いっぱいご飯を詰め込んだまま喋って、たははと自らの額を叩く。

 

「そろそろ自己紹介していいか? 俺は鷹宮蒼斗たかみやあおと

「あ、ごめんごめん。すっかり忘れてたよ」


 両手を合わせて謝る仕草を見せると、鷹宮くんねと頷き、スッと薄い胸を張る。


「わたし、西野心陽にしのこはる。ピッカピカの1年生だよ。よろしくね」

「よろしく。ちなみに1年なのはみんな同じな」

「せっかく人生最後の1年生なんだしいいじゃん? アピールしてこ?」

「社会人1年生は?」

「それはあんまり嬉しくないからなぁ」

「めっちゃわかる」

「あははっ、気が合うかもね」


 小柄な女生徒改め——西野は無邪気に笑った。


 それから話題はこの場の3人目へと移る。

 

「で、そっちのずっと黙ってる人は? わたし何か悪いことした?」

「女子と会話したことないらしいんだ」

「うおい!? そこまでじゃねぇわ!?」


 岡本は即座に再起動し、キレのあるツッコミを披露してくれた。


「どういうこと?」

「オ、オオオレは男子校出身なんだよ。だからその、女子と話すのは慣れてないっていうか……そのぉ……」


 視線はウロウロと忙しなく、言葉はしどろもどろ。経験値のなさがありありと伝わってくる。


「なーんだ、そういうことね」


 そんな岡本に引いた様子もなく、西野はニパッと笑みを浮かべた。

 

「要するに緊張しちゃってるんだな〜?」

「そ、そうだけど……な、なんだよ。バカにすんなよな……!」

「なんか、かわいいね」

「ふへっ!?」


 顔がボッと爆ぜてゆでダコになる。


「あ、ウソウソ。キョドっててキモーい」

「うひんっ!?」


 急転直下、まるでジェットコースターのように態度が変わり蠱惑的にクスクス笑う。

 岡本は完全に弄ばれていた。侮れない女だ、西野心陽。

 

「どっちのが反応よかった?」

「若干だけど後者」

「よし。じゃあこれからもっと貶してあげるから。よろしく!」

「男子校イジリやめろよ!? 怒るぞいや泣くぞ!?」

「あははっ、ごめんごめん。でも、かわいいって思ったのは本当だから、許して?」

「……っ! し、仕方ねぇな……今回は許してやるよ……!」


 しきりに頭を掻いているその姿はモテない男子そのもので、哀愁さえ覚える。


「そして恋が始まった」

「う、うるせえよ鷹宮!? おまえそれ本当に出会って2日目の距離感か!?」


 俺は再会直後の幼馴染にパンツを見せてと頼んでしまった男なんだ。諦めてほしい。


 が、今に限っては俺より距離感バグってるやつがいる。


「それを言うなら西野の方がよっぽどだわ」

「それはそう! 女子ってコワイ!」

「あははっ。2人とも面白〜い!」


 初対面にしては随分とセンシティブな会話を繰り広げてしまった。

 しかし、これで一気にお互いのキャラや立ち回りを掴みやすくなったようにも感じる。2人とも気楽に絡める良い友人になれそうだ。


「ところで童貞くん」

「まだ童貞とは決まってないが!?」

「童貞だよね?」

「ぐぅ……っ! ま、まぁ、そう、だが、っ……ま、まずは自己紹介、させてもらえませんかねぇ……!?」


 岡本の自己紹介からやり直した。



「蔑み美人の夜桜さん、2人はもう会ったことあるの?」


 会話がようやく最初へと巻き戻る。


「いんや? オレがSNSで話聞いただけ」

「なーんだそっか〜。わたし、はやく会ってみたいな〜。すっごく綺麗なんだってね〜」

「そ、そういうのって女子でも気になるもんなのか?」

「そりゃそうだよ。美人は女の子にとっても目の保養だもん」

「へ、へぇ。そういうもんか。へー。そうなのかー」


 岡本が童貞らしく懸命に話を繋いでいる。もう少し見守りたいところだが、俺も気になることがあるので会話に割り込ませてもらう。


「それ、確認なんだけど夜桜さんで合ってるか?」

「そうだよ。蔑み美人の夜桜先輩。大学の女王様」


 蔑み美人。女王。心当たりしかない。


「下の名前までわかる?」

「え、あーどうだろ。聞いた覚えないかもな〜。性格キツいって話だし、名前で呼ぶほど親しくなれた人もいないのかもね」


 キツい性格……。

 しかし名前はわからないか。もう少し確信的な情報がほしかった。


「岡本は?」

「ケツがデカいという噂なら知ってる」

「オーケー、帰っていいぞ童貞」

「童貞に冷たくしないで!? 優しくして!?」

「よしよーし。お尻が好きなだけだもんね〜。岡本くんは悪くないね〜」

「に、西野しゃん……!!」


 西野が頭を撫でて慰めると、きゅんとして大人しくなる。まさにまな板の上の鯉、いや、童貞だった。


「そだ、2人とも連絡先交換しよ? そんでサークル見学とか一緒しようよ。わたしまだなんにも決まってなくてさ〜」


「お、いいな」


 会話はまた移り変わっていく。


「は、初めて、母ちゃん以外の女の連絡先……ぐすっ」

「え、なんか岡本くん泣いてるんだけど……」

「オレ、一浪して大学来て、よがっだぁ……!!」

「そ、そっかー。よ、よかったねぇ、うん!」


 大の男のガチ泣きにはさすがの西野も引いていた。

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