第42話:恩師

 数日がかりで準備をした大立ち回りを教室で披露して教室を出てすぐのこと。寝不足による疲れからくる眩暈に襲われた。


「さすがにちょっと無理しすぎたか……」


 壁に手をつきながら思わず自嘲する。若さを担保に睡眠時間を惜しんでぶっ続けで作業をしたツケがここに来て一気に押し寄せてきた。でもこうでもしないとバザーの開催には間に合わなかっただろう。というか現時点でもギリギリだ。

 泣き言を言っている時間はない。俺は一度深呼吸をしてから渇を入れ、ここまで自分を運んでくれた人が待っている校舎裏の駐車場へと急ぐ。


「やれやれ……高校生になった途端人使いが荒くなったね。キミは私のことを何だと思っているのかな?」

「それはもちろん、アフターケアがバッチリの最高の恩師ですよ」


 愛車に寄りかかりながら煙草をふかしながらどこか不満気にしている元担任───葛城夏海先生に俺は軽口に偽装した本心を伝える。


「そうかい? その割には美人教師の私をこき使ってくれたよね。恩師に対する扱いとしては最悪の部類じゃないかな?」

「むしろノリノリで手伝ってくれた人が何を今更……」


 環奈と電話で話した後、俺はすぐに爺ちゃんに電話をかけた。その内容は、


『もしもし、爺ちゃん。久しぶり。急な話で申し訳ないんだけど、鹿の角でアクセサリーを作りたいと思うんだ。今から帰るから手伝ってくれないかな?』


 二つ返事で爺ちゃんは了承してくれたので、俺は最低限の荷物をカバンに詰めてその日のうちに夜行バスで帰郷した。そして三日三晩ぶっ続けで徹夜で角の切り出しと研磨、穴あけなどの作業をこなして葛城先生の車でついさっき帰って来た。

 浅桜と笹月の協力がなかったらスムーズに実家に帰ることは出来なかっただろう。そして何より爺ちゃんや葛城先生を始めとした村のみんなが力を貸してくれたからこそ、この強行軍は成功した。


「それにしても驚いたよ。ゴールデンウィークには帰ってこないくせにそれが終わったら突然戻ってきて、開口一番〝先生、鹿の角の加工を手伝って!〟だなんて。気でも狂ったのかと思ったぞ」

「ハハハ……まぁ自分でも無茶なことをお願いした自覚はあります。三日間でやるようなことじゃなかったです」

「まぁ久しぶりにワイワイみんなで作業が出来て楽しかったからよかったけどね。学生時代の気分を味わうことも出来た」


 感謝している、と言って紫煙を噴かす葛城先生。中学三年間で何度も見た姿だけど、洋画のワンシーンに出てくる一仕事を終えた主人公のようで惚れ惚れする。本人に言ったら一生からかわれることになりそうだから言わないが。


「色々本当に……ありがとうございました、先生」

「構わんよ。可愛い元教え子の初めての頼みだ。まぁ次は少し加減してほしいがな」

「そうですね。次のお願いはもう少し優しいものにします」


 そう言って俺と先生は笑みを零す。もう少し雑談に興じていたいところだが、そろそろ残りの荷物を持って教室に戻らないと和田あたりから怒られかねない。


「なぁ、五木。一つ聞かせてほしいことがあるんだけどいいかな?」

「どうしたんですか、藪から棒に?」


 いつも飄々としていて真面目と不真面目の間を反復横跳びしている葛城先生らしくない神妙な顔付きに俺はわずかに困惑する。そんな俺の動揺を見抜いたのか、ゆっくりと紫煙を吐き出して間をおいてからこんなことを尋ねてきた。


「───ここでの学校生活は楽しいか?」

「……え?」


 我ながら間抜けな声が口から洩れる。どうしてそんなことを聞くのだろうかと思うと同時にきっとこの人にはずっと前からお見通しだったんだなと気が付く。

 環奈と離れ離れになって、俺の心の中にぽっかりと穴が空いた。そしてその日を境に俺は心の底から学校生活を楽しめなくなってしまった。

 友人と呼べる人がいなかったわけじゃないし、普通に遊んだりもした。ただ同級生たちと過ごし寄りも祖父と一緒に山に入る時間の方が長かった。

 その理由は他でもない、周りと自分との違いに気付いていた。それが環奈と同じ悩みであると気付いたのは大分時間が経ってからだ。ちょうどそれが葛城先生と出会った時期だった。

 つまるところ。環奈は俺のことを救世主というが、俺にとっても環奈は救世主だったということだ。もしかしたら葛城先生はそれがわかっていたから俺に天橋立学園への入学を勧めたのかもしれない。もしそうだとしたら───


「どうしたんだ、五木?」


 黙っている俺の顔をどこか不安そうな瞳で見つめてくる葛城先生。そんな顔をしないでほしい。


「何でもないよ。学校生活だけど……もちろんすごく楽しいよ! 環奈だけじゃない、浅桜や笹月、それに和田とかすごい奴がたくさんいてさ。向こうの学校に通っていたら知ることがないまま終わってた」

「…………」

「だから……この学校を紹介してくれてありがとう、葛城先生。この恩はきっと一生忘れない」

「フフッ。そうか……それはよかった」


 本当に良かった、と感慨深げに言うと葛城先生は煙草を携帯灰皿に押し付けると満足した顔で車に乗り込んだ。


「さて、私はそろそろ帰るとするよ。早いところ荷物を降ろさないとこのまま持って帰っちゃうぞ?」

「今すぐ下ろすのでそれだけは勘弁して下さい!」


 慌ててトランクの扉を開けて作業を始める。最後まで手伝ってくれてもいいじゃないかと内心でぼやいていると、葛城先生は慈愛の籠った声でこう言った。

「また何かあったらいつでも相談しに来るんだよ。それとちゃんと時々帰ってくること。みんな待っているからな」

「───はい!」


 それから数分後。

 積み込んだ段ボールを全て下ろし終えたのを確認した葛城先生は車を発進させた。俺はその車影が見えなくなるまで最大限の感謝の気持ちを胸に抱きながら見送り、教室へと戻るのだった。

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