第38話:花園環奈という子について

 ごねる浅桜を笹月と協力して台所から締めだして安心安全な夕食を食べ終えてひと段落した頃には20時を過ぎていた。


「結局、環奈は来なかったね。仕事が忙しいのかな?」


 食後の紅茶を飲みながら浅桜がぽつりと呟く。彼女の言葉通り、珍しく環奈はこの場にはいない。仕事の都合で学校を早退したり休んだ日でも必ずと言っていいほど遊びに来ていたのに。


「原因はあの記事とコメント。あとその他もろもろのSNS。それを花園も見たと考えるのが妥当」

「まぁそうだよね……あれを見たらさすがの環奈も落ち込むのも無理はないか」

「身から出た錆というか、昔からの悪い癖というか……頭の回転が速すぎて言葉足らずになるのはよくないよな」


 事態は思いの外に深刻だが、一周回って小さな頃から変わっていない幼馴染の姿に苦笑いが出る。こんな時に不謹慎かもしれないが環奈らしいとも思う。


「ねぇ、五木。もしかして環奈って子供の時からあんな感じだったの?」

「あんな感じって言うのが何を指しているのかにもよるけど、環奈は昔からあんな感じだよ」


 無駄に難解な四字熟語を使ったり、相手の思考を独自に先読みして気味悪がられたり。頭の回転が良すぎる上に学んだことを乾いたスポンジのように吸収していくので、当時は神童と呼ばれていた。


「へぇ……花園ってそんなに凄かったんだ」


 ずずずとお茶を飲みながらお茶請けに手を伸ばす笹月。小さな身体な割には食欲旺盛で、それでいてスマートな体系を維持しつつ出るところは出ているというわがままさんの尤も感想に俺は頷きつつ話を続ける。


「神童なんていえば聞こえはいいけど、それは大人たちにとっての話だからな。子供にしてみれば自分達とは何もかも違う気味の悪い奴だよ」


 環奈ちゃんは何を考えているかわからない。言っていることも難しくてわからない。ただでさえ人の少ない田舎。子供の数も都会と比べたら天と地の差がある。そんな中で突出した才能は賞賛ではなく異端となった。


「だから環奈に友達って呼べる奴は俺以外にはいなかったんだよ。まぁそれはこっちに来ても変わっていなかったみたいだけど」

「それじゃもしかして五木は当時から環奈と会話が成立していたってこと?」

「それがどうかしたのか?」

「灯台下暗しとはこのことだね。というか色んなことがありすぎて五木が特待生だってことをすっかり忘れてたよ」


 そう言って苦笑する浅桜に笹月もうんうんと首を縦に振って同意を示す。それがすごいことだと言われてもいまいちピンとこないのは、それが俺にとっては当たり前になっているからだ。


「ただ環奈が引っ越してからの十数年の間、どんな毎日を過ごしてきたのかちゃんと聞いていないんだけどな」


 それこそ機会は何度もあった。でもそれをしてこなかったのは今を楽しそうにしている彼女の姿を見て、過去のことはいいと心のどこかで思っていたから。


「気になるなら、直接本人に聞いてみたらいいんじゃないかな?」

「そうそう。話さないとわからないこともあるよ。さぁ、レッツテレフォン」

「……そうだな」


 二人に促され、俺はベランダに移動してから環奈に電話をかける。深夜に並んで話した時とは違い、今夜は厚い雲に覆われていて月は見えない。


『もしもし? 陣平君が電話なんて珍しいですね。もしかして寂しくて私の声が聴きたくなったんですか?』


 開口一番、環奈は普段と変わらない明るい声で軽口を叩くが、それが空元気であることに気付かないほど俺は馬鹿じゃない。何故なら過去に───十数年前に俺は同じことを経験している。


「……大丈夫か、環奈?」


 俺はただ一言、気丈に振舞っている幼馴染に尋ねた。

『陣平君には敵いませんね。全部お見通しなんですね?』


 今に泣きそうな程力のない声で環奈はそう口にする。やはり笹月の推察通り、環奈は記事に対するコメントを見て炎上していることを知っているようだ。


「特集記事、俺も読んだよ。最後の最後でやらかしちゃったな」

『アハハ……まさかこんなことになるとは思いませんでした。ネットって本当に怖いですね』

「まぁ大半が賞賛するコメントだったけどな。さすが、俺の自慢の幼馴染だよ」


 我ながら情けない。少しは大人になったはずなのに、こんな時にどんな言葉をかけてあげたらいいかわからなかった。

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