第34話:激辛麻婆豆腐の刑
様々な意味で充実した大型連休が明けて数日が経った平日の夜。俺の家には当然のように環奈達が入り浸りに来ていた。
「陣平君、喉が渇きました! お茶を所望します!」
俺の勉強机を使ってせっせとノートを写している環奈。今日は仕事の都合で一日休んだので作業は大変なのはわかるが、家主の俺を執事か何かのように顎で使うのはやめてもらいたい。
「ねぇ、五木。環奈なんて放っておいてマッサージしてくれないかな? というかどうして今日は部室に来なかったのさ」
俺のベッドに横たわっている浅桜が唇を尖らせながら足をバタバタとさせている。短くしている制服のスカートが翻って奥の秘宝が見えそうになっているから今すぐ大人しくなってほしい。あと我が物顔で占領するな。
「五木……麻婆豆腐は辛さマシマシ、痺れマシマシでいいかな? いいよね? 答えは聞いてない」
「よし、少し落ち着こうか! 夕飯を作ってくれるのはありがたいけどそれを食べられるのは笹月だけだからな!?」
我が家の狭い台所では笹月が絶賛調理中。献立は以前一緒に買い物をしたものの色々あって作ることが出来なかった麻婆豆腐。完成間近なのだろう、香辛料のいい香りが漂っていて食欲をそそる。
笹月の得意料理兼好きな物ということで気合いが入っているのはいいことだが、如何せん味付けが攻めすぎだ。
「フッフッフッ。残念だけど時すでに遅し。もう大量に振りかけちゃった」
そう言いながらてへっと舌を出す笹月に思わず俺は頭を抱える。辛さは豆板醤、痺れは花椒だろう。しかも花椒はわざわざ実の状態の物と粉末の二種類を用意している徹底ぶり。環奈と浅桜が阿鼻叫喚する未来が目に浮かぶ。
「はぁ……次はほどほどにするんだぞ?」
「うん、覚えていたらね。もうすぐできるからテーブルの上、片づけておいてくれると助かる」
これはまた絶対にやるな、と確信しつつ俺は〝わかった〟と答えてリビングへ戻る。
この家で生活を始めて一ヶ月と少し。改めて部屋を見渡してみると暮らし始めた時とは荷物の量が三倍になっていた。それが何を意味するかは推して知るべし。
「よしっ、ノートの写し全部終わりました! 浅桜さん、ベッドを空けてください。私がダイブするのに邪魔です」
「お疲れ、環奈。でもベッドをマッサージが終わるまでは渡せないね。悪いけど他をあたってくれるかな?」
「そのマッサージとやらはいつ始まるんですか? 陣平君の匂いがたっぷり沁みついているベッドでゴロゴロしているだけなら代わってください」
ここからは私のターンです、と宣言する環奈。だが浅桜は口元に不敵な笑みを浮かべると環奈を嘲笑うかのように俺の枕にポスッと頭を沈めた。
「あぁぁあああああ!!! 今すぐそこをどいてください、浅桜さん!! 陣平君の枕に顔をうずめるのは私です!」
「ハッハッハッ! 残念だったね。すでにここは私の領地だから立ち入りはご遠慮願おうか。どうしてもって言うなら私と戦って奪うことだね」
「なるほど……わかりました。そういうことでしたら徹底的にやりましょう。どちらかが上か、白黒つけようじゃないですか!」
バチバチと火花を散らす美女二人に重たいため息が出る。俺の与り知らないところで枕を奪い合うのはやめていただきたい。
「二人とも、いい加減その辺にしておこうか? もうすぐ夕飯が出来上がるから食べる準備をしような?」
「何を言っているんですか、陣平君! 私が浅桜さんから枕を取り返そうとするのを邪魔するんですか!?」
「夕飯の前にマッサージしてよ、五木。そうすればこの争いはすぐに終わるよ?」
俺の忠告を無視して環奈と浅桜は好き勝手なことを言っているが、そろそろ大人しくしてほしい。さもないと料理長の雷が落ちることに───
「───いつまで遊んでいるの?」
感情の消えた底冷えするような低い声。一瞬で室温が下がり冷や汗が背中から吹き出る。ギギギと壊れたゼンマイ人形にようにゆっくりと振り返ると、そこには案の定お怒りモードの笹月が腕を組んで仁王立ちしていた。
「私が一生懸命料理をしている間に五木の枕を取り合うなんていいご身分。夕飯抜きにされたい?」
「わ、私は悪くありませんよ! ノートの写しを終えた自分へのご褒美にベッドに寝転がろうとしたのに浅桜さんに邪魔されたんです!」
「それを言うなら私は部活で酷使した身体を五木にマッサージをしてもらうとしただけだよ! それなのに環奈がベッドを空けろって言うから……!」
二人の見苦しい言い訳を聞いた笹月の口角がゆっくりと上がっていく。顔は笑っているが目は笑っていないとはまさにこのこと。そして環奈と浅桜は蛇に睨まれた蛙、王の判決を待つ罪人だ。俺はそれを震えて見守る傍聴人といったところか。
「……うん、よくわかった。つまり二人とも反省する気はないってことだね?」
「わ、悪いは浅桜さんです! 私は無実を主張します!」
「それはこっちの台詞だよ! 悪いのは環奈! 私は部活で疲れたからベッドで横になっていただけ!」
この期に及んでなおも責任のなすりつけ合いをする二人の姿は呆れを通り越して憐れですらある。素直に謝ればいいものを、これでは火に油を注ぐだけになると何故気付かないのか。
「判決を言い渡す。お前達二人は───激辛麻婆豆腐の刑に処す。五木、準備をして」
「……承知しました」
王の判決は絶対。それが如何に理不尽かつ地獄のような内容であっても執行しなければならない。環奈と浅桜の悲鳴を背中で聞きながら俺は台所へと向かい、二人分の麻婆豆腐をお皿に盛りつけてお盆に載せ、そこに七味唐辛子と花椒の瓶を添える。
「二人にはこれから私特製の麻婆豆腐の一番おいしい食べ方を特別に教えてあげる。門外不出だから墓場まで持っていくように」
「ちょ、ちょっと待ってください笹月さん。すでに十分美味しそうな麻婆豆腐にまだ何か加えるつもりですか?」
「この距離でも鼻にツンとくる香りがしているんだけど!? まさかさらに唐辛子を加えるとか言うんじゃないだろうね!?」
「勘がいいね、浅桜。そのまさかだよ。大丈夫、ちょっと舌が痺れるけど身体が火照っていい汗をかけるよ。それにご飯もススム」
そう言ってニヤリと微笑む笹月。傍から見ると可愛いが、恐らく二人の目にはラスボスの魔王のように映っていることだろう。ご愁傷様以外にかける言葉が見当たらない。
「さぁ、楽しい楽しい夕食の時間だよ。二人とも、席に座ろうか?」
「助けてください、陣平君! あんなのを食べたら口からファイヤーしちゃいます!」
「後生だ、美佳。私は辛い物がそこまで得意じゃないんだ。それに何事にも適量があると思うんだよね!」
「つべこべ言わずにさっさと座る。それともまさか二人は五木にあーんってしてもらわないと食べられないの?」
うぐっ、と二人そろってうめき声をあげる。そこは〝そんなことはない!〟と即座に否定してくれないだろうか。どうしようかと逡巡するのもやめてくれ。
「でもダメ。五木にあーんってしてもらうのは頑張って四人分の夕食を作った私。そうだよね、五木?」
ずいっと顔を近づけながら笹月が問いかけてくる。ここで上目遣いをするのは反則だ。思わず首を縦に振りたくなるところを寸でのところで堪え、俺は努めて冷静に言葉を返す。
「夕飯を作ってくれたお礼はしたいところだけど、残念ながらあーんは恥ずかしいので笹月にもしません」
「それじゃあとで頭を撫でてくれるだけでいいよ。これくらいならいいでしょ?」
「まぁ、それくらいなら後でいくらでもしてあげるよ」
お盆をテーブルに置きながら、特に深く考えることなく俺がそう答えた瞬間。環奈と浅桜の二人が声にならない悲鳴を上げ、笹月は勝ち誇ったような笑みを浮かべた。もしかして致命的な選択ミスをしたのか、俺?
「フッフッフッ。またしても言質はとった。洗い物はそこの二人に任せてご飯食べ終わったたくさん撫でてもらうからね、五木」
「何をやっているんですか、陣平君! 今のはドアインザフェイス。無理難題を押し付けた後に本命の要求を通すのはビジネスでは常套句だってことを知らないんですか!?」
「これが天才女優の実力というやつか……美佳、なんて恐ろしい子なんだ。私も見習わないと……」
環奈は俺の肩を掴んで〝何してんだぁ!〟と言わんばかりにガクガクと激しく揺らし、浅桜は顎に手を当てて神妙な顔つきで頭の悪いことを呟いている。そしてこの混沌を生み出した元凶は鼻歌を歌いながら自分の分の麻婆豆腐をよそいに台所へ戻っていく。
「もう勘弁してくれ……」
俺の悲痛な呟きは泡のように消えるのだった。
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