第33話:月下の語らい
ガチャッという物音で俺は目を覚ました。徹夜すると決めたはずが、どうやらいつの間にか寝てしまっていたらしい。
相変わらず笹月は俺を抱き枕にしているが、幸いなことに足のホールドは外れている。起こさないように細心の注意を払いつつ腰に回されている彼女の手を解いてベッドの下に視線を向ける。
「……あれ?」
すぅすぅと寝息を立てている浅桜の隣にいたはずの幼馴染の姿がない。トイレか、と一瞬考えたが何となくそうじゃない気がして俺はベッドから降りて羽織を手にベランダに出る。
「何をしているんだ、環奈?」
「あっ、陣平君……」
案の定、そこには環奈の姿があった。五月に入ったとはいえ日の出前はまだまだ寒い。ましてや環奈は薄着。俺は持って来た羽織をそっと肩にかける。
「さすが陣平君、気が利きますね。というかよく私がベランダにいるとわかりましたね。もしかしてエスパーですか?」
「まさか。何となくそんな気がしただけだよ」
「そうですか? 陣平君には昔から私の考えていることがまるっとお見通しされている気がしてなりません」
それこそ気のせいだ、と返しながら俺は環奈の隣に並ぶ。田舎と違って星は見えないが、澄んだ夜空に浮かぶ三日月が遜色ないくらい綺麗だった。
「ちょうどいい機会です。最近は中々二人きりになれる時間がなかったですし、少しお話しませんか?」
その提案に俺はコクリと頷く。
浅桜や笹月が来てから賑やかになったのはよかったが、その分環奈との時間は減ってしまった。引っ越してからのことなど聞きたいことは山ほどある。
「それじゃまずは俺から。こんな時間にベランダに出て何をしていたんだ?」
「何となく、夜風を浴びながら感傷に浸りたくなったんです」
色々ありましたから、と微笑みながら環奈は話す。
「陣平君とまさかの再会から早一ヶ月。浅桜さんや笹月さんともお友達にもなれて……毎日が楽しいんです」
「そっか。それは何よりだ」
毎日が楽しいという点は俺も全面的に同意だが、入り浸りに来る頻度は少し減らしてもらいたい。なんて口にしたら拗ねるだろうから心の中で留める。
「陣平君こそどうしてここに? もしかして起こしちゃいましたか?」
「偶然誰かが外に出ていく気配を感じてさ。目が覚めたのは爺ちゃんの教えの賜物だな」
木の葉の揺れ、かすかに聞こえる足音と地面の振動等々。気配には敏感になれと田舎の爺ちゃんに口酸っぱく言われてきたのがここでも活きた。
「フフッ。陣平君のお爺ちゃん子ぶりは相変わらずですね」
「父さんと母さんより一緒にいる時間は長い、育ての親だからな」
環奈が引っ越してしばらくして、父さんは仕事の都合で海外に転勤することになり、母さんはそれについて行った。俺も一緒に、と考えていたようだが子供ながらに嫌だと明確に拒絶したのを覚えている。その理由は言うまでもなく───
「ところで陣平君。高校生になって一ヶ月が経ちましたが、こちらの生活には慣れましたか?」
これまでとは打って変わった質問が飛んできた。
「おかげさまで。時々山に行きたくなることを除けば大分快適な毎日を過ごさせてもらってるよ。まぁこっちに来て一番驚いたのは環奈が社長になっていたことだけど」
さすが俺の幼馴染だな、と付け足すと環奈はどこか恥ずかしそうにしながら笑みを浮かべる。
「別に社長なんて大してすごくないですよ。本当にすごいのは陣平君の方です」
「ん? どうしてそこで俺の話になるんだ?」
「今の私があるのは陣平君のおかげってことです」
物悲し気な表情でそう言うと、環奈は空を見上げながら静かに話し出した。
「正直なところ、こっちに来てから楽しいことはあまりなかったんですよね。陣平君のように私が考えていること、言わんとすることをわかってくれる人はいませんでしたから……」
田舎で暮らしていた時と同じように周囲からは気味悪がられ、いじめとまではいかないものの友達らしい友達はできなかったという。
「中学生になったら男子に声をかけられることが増えましたが、それが純粋なものであると思うほど私は素直ではありません。まぁそのおかげでますます一人になっちゃいましたけど」
言いながら苦笑いを零す環奈。そして孤独な毎日を埋めるため、のめり込むように勉強をしたと続けた。そうしたらいつの間にか起業して、社長になっていたとも。
環奈がどれだけ辛い思いをしてきたか。それがわかるのは本人だけ。俺には到底理解することはできないだろう。大変だったな、苦しかったな、なんて慰めの言葉をかけたところで届きもしなければ響きもしない。だから俺から環奈にかける言葉はこの一言だけ。
「……よく頑張ったな、環奈」
言いながら優しく、子供の頃にしてあげように頭を撫でる。絹のように滑らかな髪を梳くように何度も、何度も撫でる。
「もう……いつまでも子ども扱いしないでください。私は立派な大人ですよ? 泣いたりなんてしませんよ?」
「そうだな。でも泣きたい時には泣いてもいいだぞ? 人は泣けるんだからな」
涙を無理に我慢することはない。子供だろうと大人だろうとそれは同じ。もしも社長だから弱いところを見せられないというのなら、せめて俺といる時だけは普通の女の子でいればいい。そう思いを込めて幼馴染の頭を撫でる。
「ありがとう、陣平君。本当に……ありがとう」
か細い声で言いながら環奈は俺の胸に顔を押し当ててくると、その宝石のような綺麗な瞳から雫を流した。子供の時とは違い静かに肩を震わせる幼馴染を華奢な背中を、俺は赤子をあやすようにさする。
「本当によく頑張ったな、環奈」
「はい……なので何かご褒美をくれませんか?」
「おやおや? いきなり流れ変わったな?」
「具体的に申し上げますと、私と褥を共にしてください。それで笹月さんを抱きしめながら寝ていたことは不問にしてあげます」
環奈の抑揚のない声にぶわっと嫌な汗が噴き出る。まさか俺が抱き枕にされているところを見られたのか!? いや、そんなはずはない。真っ暗だったし、近づかない限りはわからないはずだ。
「まるで仲のいい兄妹のようでしたね。この場合、笹月さんは義妹ということになるのでしょうか? 別に羨ましくなんてありませんよ? 子供の頃、陣平君の腕の中は私の特等席だったのに今はもう違うんですね」
そう言いながらチラッと上目遣いで見つめてくる環奈。可愛い仕草のはずなのに、如何せんハイライトが消えて底の見えない深淵のような瞳なので恐怖しかない。汗が滝のように流れる。
「えっと……つまり俺にどうしろと?」
「ベッドには戻らず、私の布団に入ってください。たったこれだけです。簡単なことですよね?」
「簡単? 簡単……なのか?」
「大丈夫、安心してください。ナニもしませんから。昔のように一緒の布団で寝るだけ。ただそれだけですから!」
それは絶対に何かしようと企んでいる人間の言うセリフだ。わかりやすすぎてツッコむ気すら起きない。
「はぁ……わかったよ」
「もし嫌だというなら私がベッドに行きます! これ以上陣平君を笹月さんの抱き枕には───って今なんと?」
「環奈の言葉を信じるって言ったんだよ。何もしないんだよな?」
「そそそ、それはもちろん! 決して、絶対に、神に誓って、ななな何もしませんよ?」
目が泳ぐとはまさにこのこと。声も震えているし、やる気満々だったんじゃないか。俺はため息を吐きながら踵を返す。
「身体も冷えて来たしそろそろ戻ろう。昔みたいに一緒の布団で寝るんだろ?」
「はい! 陣平君ならそう言ってくれると信じていました!」
ガバッと大型犬がじゃれつくように環奈が背中にくっついてくる。泣いたり。怒ったり。喜んだり。感情の起伏がジェットコースターだが、これこそが俺の知っている花園環奈の本来の姿である。
「ナニかしたらすぐにベッドに戻るからな? くれぐれも、大人しく寝るんだぞ?」
「えへへ……わかっていますよ。ですがご存知のように私は何かに抱き着いていないと眠れない質なので事故は起きるかもしれませんがご容赦を」
「ついさっきまで普通に寝ていた人の台詞ではないな」
なんて他愛もない話をしながら俺達は部屋へと戻り、ドキドキと昂る心臓を悟られないように一緒の布団に入る。
「それじゃ……おやすみ、環奈」
「はい。おやすみなさい、陣平君」
良い夢を、と彼女の慈愛に満ちた声を聞きながら俺はゆっくりと瞼を閉じる。すると不思議なことに眠気はすぐにやってきて、俺の意識はあっという間に深海へと落ちていった。
そして迎える朝。
カーテンから差し込む日差しで目を覚ました俺が最初に感じたのは、身体にのしかかる異様な重さと春の朝とは思えない異常な暑さだった。
その理由は他でもない。いつの間にかベッドから移動敷いてた笹月に抱き着かれ、浅桜が背中に張り付き、さらに環奈が布団代わりに俺に覆いかぶさっていたからである。
「勘弁してくれ……」
ゴールデンウィーク最終日は傍から見たら羨ましさの極み、当事者としては困惑の極みのような、筆舌に尽くしがたい状態でスタートするのだった。
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