第31話:策士、笹月

「フフッ。やっと素直になったね。それじゃ時間もないし始めていこうか。まずは───」


 言いながら浅桜は足元に移動すると早速ふくらはぎへのマッサージを開始する。

 ふくらはぎは第二の心臓とも呼ばれている重要な筋肉である。その役割は重力に逆らって血液を心臓に戻したり、リンパ液などの体液をカラダに巡らせること。こ巡りが悪くなると老廃物が溜まり、疲れやむくみの原因となる。


「大分むくんでいるね。自分の身体のケアを疎かにしたらダメだよ?」

「あぁ……そうだな」


 ふくらはぎが終わったら臀部に手技が移る。臀部と腰の骨格は繋がっており、腰のだるさや痛みを和らげるにはお尻の筋肉を緩めるのが実は効果的だったりする。強く、時に優しく揉みほぐされる。

 慣れない土地での一人暮らしに高校生活。何故か押しかけてくる美女達。そのせいか、知心身ともに疲れがたまっていたのだろう、自然と睡魔が押し寄せてきて意識が急速に薄れていく。


「どう、五木? 気持ちいい?」

「うん……痛いけどすごく気持ちいい。ありがとう」

「フフフッ。それはなにより。それじゃそろそろ本命にいこうか」


 ぼんやりとする頭で〝本命とは?〟と考えていたらおもむろに浅桜が背中に覆いかぶさるように身体を倒してきた。


「もっと気持ちいいコト、してあげるね」


 耳元で甘美な声で囁く浅桜。


「……どんなことを、するつもりだ?」


 普段なら、それこそ数分前の自分だったら絶対に断るはずなのに、心地良い感覚に包まれているせいで思わず聞き返してしまった。そんな俺に対して浅桜は妖しい笑みを零してからこう続けた。


「私の身体を……五木の背中に当たってむにゅってなっているモノも全部含めて全身をほぐしてあげる。お互いの身体の触り合いを交えながらね」


 それも裸同然の格好で、と付け足す浅桜。甘美な誘惑に俺の身体が急激に熱を帯び、同時に意識も覚醒する。


「お、おまっ!? それは環奈とやっていること変わらないのでは!?」


 ツッコミを入れるが時すでに遅く。最早俺は夢魔にとらわれた哀れな子羊。自分の意志で身体を動かすことが出来なくなっていた。


「いきなりは怖いよね? まずは少しだけ試してみようか」


 火傷しそうなくらい熱い吐息を吐きながら言ってから、俺のお腹に手を回すとそのままゆっくりと、まるで獲物を捕らえた蛇のようにゆっくりと下腹部へと降ろしていく。

 これはまずいと理性が叫ぶ。このまま沼に沈みたいと本能が訴える。


「どうしたの、五木? 抵抗しないの?」

「や、やめるんだ、浅桜。これ以上は、本当にまずい」

「残念、もう遅いよ。大丈夫、優しくしてあげるから。五木は何も考えず、私に身も心も預けてくれればいいから」


 艶のある声で言いながらするりとズボンの中に手が入ってくる。だがその言葉とは裏腹に手のみならず浅桜の身体がわずかに震えている。怖いならやめればいいのに、と俺が口にしようとしたその時───


「スト――――――ップ!! 二人とも、ベッドで一体全体何をしているんですか!? 不健全なことはダメ絶対!」


 浅桜の手が核心に触れる寸前、リビングに悲鳴に近い環奈の声が響き渡る。さらにこれ以上問屋は卸さないとばかりに笹月が素早い動きでベッドにやって来て、俺に密着している浅桜を引っぺがした。


「あぁ……もう、どうして邪魔するのさ。これからがいいところだったのに!」


 唇を尖らせて拗ねる浅桜に対し、笹月は救出した俺の頭をギュッと抱きしめながら警戒心全開の視線を向ける。


「嫌がる五木を無理やり手籠めにしようとするなんて許されない。というか花園といい浅桜といい、抜け駆けした罪は重い」

「さ、笹月……助けてくれたことは感謝するけどいったん離してくれると助かるんだけど……」

「まだダメ。あの二人はお腹を空かせた肉食獣。隙だらけの五木はちょっとでも気を抜いたら一瞬で食べられちゃうよ」


 言いながら腕に力を籠める笹月。環奈や浅桜の陰に隠れているが、彼女もまたたわわな果実の持ち主である。ゆったりとしたデザインの可愛い部屋着の下には大きなものが実っている。これがいわゆる着やせするタイプというやつか。

 なんてことを考えてはいるが実際のところ余裕はない。まだ髪が乾いていない、お風呂から上がりたてで火照っている女の子───しかも柔らかい胸元───に頭を押し付けられている状況で平静を保てる男子高校生がいるだろうか、いやいない。しかもその相手が美女とくればなおさらだ。


「ご、ごめんって。五木が気持ちよさそうにしているのが可愛くてつい調子に乗っちゃったことは謝るよ。だからいったん五木を離してあげて?」

「浅桜さんの言う通りです。私も謝りますから陣平君を解放してあげてください」

「ダメ。そうやって油断させてまた抜け駆けして五木を誘惑するのはわかってる。私の目が黒いうちは許さない」


 ガルルとまるで主を必死に守る番犬のように抵抗する笹月。気持ちは嬉しいが、視界が白くなってきて本格的に命の危機を覚えるのでポンポンと肩にタップする。


「大丈夫だよ、五木。私がしっかり守るから。安心して休むといい」

「何をしているんですか笹月さん! 早く陣平君を解放してください!」

「環奈の言う通りだよ! 早く五木を離してあげて! そうじゃないと五木が死んじゃうよ!」


 慌てた様子の二人に言われて笹月が〝えっ?〟と呆けた声を漏らしながら視線を下に向けきた。そうしてようやく俺の顔が青白くなっていることに気付いてくれたようだ。ガバッと俺の頭を解放してくれた。


「……ごめんね、五木。大丈夫? 息してる?」

「だ、大丈夫……三途の川が見えそうになったけどなんとか帰ってこれたよ」


 苦笑いをしながら俺が言うと笹月はほっと一息吐いてから申し訳なさそうにしゅんと俯いた。まるでいたずらが見つかった子犬みたいで庇護欲をそそられる。


「落ち込むなって。笹月が来てくれたおかげで俺の純潔は守れたんだ。感謝している」

「……ホント? 私、五木の役に立った?」

「もちろん! 何かお礼をしたいくらいには助かったよ。ありがとう」


 恐る恐る上目遣いで聞いてくる笹月の頭を優しく撫でる。もし俺にこんな妹がいたら間違いなく溺愛していたと思う。


「……それじゃ今夜は五木の隣で一緒の布団で寝ていい?」

「それくらいお安い御用だ」

「───フッフッフッ。言質はとったぜ」


 落ち込んでいた表情が一変。ニヤリと口角を釣り上げて勝利のブイサインを環奈と浅桜に放つ笹月。そこで初めて自分がとんでもないことを了承したことに気が付いた。


「……なぁ、環奈。もしかして俺、やっちゃったか?」

「えぇ、それはもうありえないレベルのやらかしです。陣平君、自分が何を言ったかわかっているんですか?」

「押してダメなら引いてみろ、ってことか。これは美佳にしてやられたね」


 信じられないと環奈は頭を抱え、浅桜はやれやれと肩を竦める。そして笹月はウキウキと鼻歌を歌いながらベッドからぴょんと降りる。


「五木の許可も出たことだし、安心して寝る準備ができる。髪乾かしてくるね」

「いや、それよりやっぱり一緒に寝るのはナシに……」

「却下。それと今のうちに謝っておく。私、抱き枕がないと夜眠れないタイプの人だからよろしく」


 そう言い残して笹月はスキップしそうな勢いで部屋から出て行った。その背中を俺は唖然としながら見送る。

 女の子が隣で寝ていたら緊張で眠れるとは思えないし、抱き枕代わりにされたらどうなるかわかったもんじゃない。


「エナジードリンでも買ってきてあげましょうか?」

「……それがいいかもな」


 冗談交じりの環奈の提案にコクリと頷く。気合いで起きていよう。俺はそう心に誓うのであった。


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