第26話:平穏とは程遠い日常

 五月初旬。上京してから一ヶ月が経過し、高校生活にもだいぶ慣れてきたこの時期に訪れるもの。それは学生から社会人でも変わらない、新しい環境で頑張ってきた者達に与えられる黄金の日々。すなわちゴールデンウイークである。


「はぁ……何が大型連休だチクショウ! 俺にとってはただの地獄の日々だっての!」


 明日から始まる希望の日々とは真逆の暗い感情を、ドンっと机を両拳で叩きながら吐き出す和田。昼食時で教室内が騒がしくなかったら何事かと視線が向けられていたことだろう。


「そんなに大変なのか、バスケ部の練習は?」

「大変なってもんじゃねぇよ。文字通り血反吐を吐くような練習漬けの毎日だよ。約束された絶望の五日間が待っていると思うと夜も眠れねぇよ」

「さすが名門バスケ部だな。頑張れよ」


 俺は唐揚げを頬張りながら期待の一年生エース殿にささやかなエールを送る。何だかんだと文句を言っているが、この男のことだからケロッとした顔で乗り切ることだろう。むしろヘロヘロになっている先輩たちを煽りそうだ。


「この野郎! 他人事だからって呑気に言いやがって……ってかそういう五木はどうなんだよ? この休み中に実家に帰ったりしないのか?」

「そうしたいのは山々なんだけ帰らないよ。というか帰って来るなって爺ちゃんに言われた」


 現役バリバリのマタギとはいえ八十歳を過ぎている爺ちゃんを一人にするのは心配なので、この間顔を見に帰ると連絡したら〝年寄扱いするな!〟と怒鳴れ、


『儂のことは気にするな。環奈ちゃんや友達とたくさん遊んで思い出を作りなさい。その話を今度聞かせてくれたらいい』


 と優しい声で言われてしまったら〝うん、わかった〟と答えるしかなかった。とはいえさすがに夏休みには帰るつもりなので、その時は何も言わずにサプライズ帰郷にしよう。


「なるほど。つまり帰宅部の五木は一人寂しい灰色なゴールデンウイークを過ごすってわけか」

「……あぁ、そうだな」


 俺の事情を知って和田は元気を取り戻す。人の不幸を笑うのはよくないぞ、と言いたいところではあるがグッと堪えて俺は愛想笑いを返した。

 口が裂けても言えない。実は俺の家が環奈を始めとした学園きっての美女達のたまり場になっているなんて。

 しかも一度や二度どころではない。偶然にも環奈、浅桜、笹月が一堂に会し、謎の話し合いをしてからというもの毎日のように彼女達は我が家にやって来て、一緒に夕飯を食べて、泊まりこそしないが遅くまで居座る。

 そんな傍から見たら不健全極まりない状態になっていることが知られたら俺の命はその瞬間にお終いだ。


「あんまりぐーたらしすぎるんじゃないぞ? たまには身体を動かさないとあっという間にぶくぶく太るからな」

「そうだな。適度にランニングでもして身体を動かすようにするよ」

「そういうことなら陸上部に入るのはどうかな? 適度な運動と緊張感を味わえるから五木にピッタリだと思うよ」


 突如男二人の会話にハスキーな透き通った声が割って入ってきた。それが誰なのか確認するまでもない。


「部活には入らないって何度も言っているだろう。いい加減諦めてくれ、浅桜」

「私は諦めが悪いって何度も言っているよね? いい加減首を縦に振ってくれると嬉しいんだけどなぁ」


 そう言いながら口元に嫋やか笑みを浮かべる浅桜。その微笑みに教室がにわかにざわつくが、俺からすれば目の前にいる美女は甘い香りで誘惑して手を取った瞬間に底なし沼へ誘うサキュバスのそれだ。鼻の下を伸ばして間抜けな顔を晒している和田とは違うのだ。


「たとえ大金を積まれたって俺の答えは変わらない。というか素人の俺が全国レベルの選手がわんさかいる陸上部に入るのは邪魔にしかならないだろう。この話をするも一度や二度じゃないよな?」

「さぁ、私は走り出したら三歩で忘れるひよこだからわからないかな? それにこれは私たちの挨拶みたいなものじゃないか。とやかく言わないでよ。泣くよ?」

「そうだったな。そこまで含めて挨拶だったな」


 終わったなら早く立ち去れと言外に込めて俺はしっしっと手を振る。

 そもそも面倒なことになるから学園の中ではあまり話しかけないようにしようってみんなで決めたのに、堂々と破るのはやめてほしい。あの環奈ですら守っているんだから。


「相変わらず五木はつれないね。でもそのツンな態度もいつかデレに変わる時が来るよね?」

「残念ながらそんな日は来ない。俺は漫画に出てくるチョロインじゃないんでね」

「フフッ。その意思がいつまで貫けるか楽しみにしているよ」


 それじゃね、とアイドル顔負けの様になったウィンクを飛ばしながら浅桜は教室から出て行った。何をしに来たんだと心の中で呟きつつ重たいため息を零してから俺は弁当箱に残っているおかずに箸をつける。


「なぁ、五木。俺とお前は親友だよな?」

「……なんだよ、藪から棒に。親友かはともかく大事な友達だとは思っているけど?」

「そうだよなぁ。それなら教えてくれ。お前はいつから浅桜奈央と気さくに話すような関係になったんだ!? 花園環奈に飽き足らず浅桜まで懐柔したのか!? いったいどんな手を使ったんだ!?」


 ガシッと肩を掴みながら血の涙を流していそうな切実な顔で和田が尋ねてくる。まるで俺が女たらしみたいな言い方をしているが完全に誤解だ。


「特別何かしたってことはないかな。ただ気付いたら話すようになっていたんだよ。友達になるってそういうものだろう?」


 強いていえば見様見真似で足のケアマッサージをしたくらいか。それを気に入ってもらったからこそ今があるが、一歩間違えていたら俺はこの席に座っていない。まぁこの話をしたところで火に油を注ぐだけだから絶対に言わないが。


「その通りだ。友達になるのはそう難しいことじゃない。でもそれは相手が花園環奈や浅桜奈央じゃなかった時の話だ! というか女子と簡単に友達になれたらクリスマスもバレンタインデーも惨めな思いをしてねぇよ!?」


 こんな風に嘆いているが、この友人は決して見た目が悪いわけではない。むしろその逆。精悍な顔立ちに日々バスケ部のハードな練習で鍛えられたガッチリとした肉体なので、田舎者の俺と違って恋人の一人や二人くらいすぐにできるはずだ。


「……まずはそういう言動から直した方がいいと思うぞ?」


 これらの加点要素を補って余りあるマイナスポイント。この愉快な性格のせいで敬遠されていると思うので指摘したが、俺としては和田には変わらずこのままでいてほしい。何故なら楽しいから。


「ハァ……まぁいいさ。明けない冬はない。今が猛吹雪でもいつかは春がきて桜も咲くよな!」

「和田のそういう前向きなところ、俺は好きだよ」

「───もしかして五木×和田が始まるの?」


 くだらない会話をしているところに再び乱入者が現れる。静かな声で誤解しか生まない発言をしないでもらいたい。あと俺は常に気配をしているわけではないので不意打ちには対応できない。

「安心してくれ。そんな新連載は天地がひっくり返っても始まらない」

「なるほど。つまり和田×五木って……こと?」

「よし、まずは路線から離れような? というか何か用か、笹月」


 何故か拗ねてむぅと頬を膨らませている笹月に俺は肩を竦めながら尋ねる。正面に座っている和田はいきなり笹月が現れたことに驚いてフリーズしているが気にしないことにしよう。


「? 特に用事はないよ。それとも五木は友達に話しかけるためには理由がないとダメなタイプ?」


 一転して寂しそうな顔で尋ねてくる笹月に俺の口から思わずうめき声が漏れる。確かに友達なら話しかけるのに理由なんてものはいらないが、今の笹月は構えと訴えてくる子犬のようだ。ふつふつとこみあげてくる頭を撫でたくなる衝動をなけなしの理性で抑えつける。


「どうしたの、五木? 歯を食いしばっているけどお腹でも痛いの?」

「……大丈夫だ、問題ない」

「フフフ。ネタがかなり古いことはスルーしてあげる。そして五木の一番の友達は私ってことでおK?」

「それについてはノーコメントとさせてもらおう」


 この問いに答えたら間違いなく争いが起きる。それも血で血を洗う、バッドエンドが約束されている類の戦いである。三十六計逃げるに如かず。


「むぅ……やはり現時点の最強は花園環奈か。でも負けないから」

「一体何と戦っているんだ?」


 宣戦布告ともとれる物騒な言葉を残しながら笹月はすぅと気配を消して教室から出て行った。それにしても浅桜といい笹月といい、どうして約束を守れないんだ。まさか本気で俺の平穏な高校生活を壊そうと企んでいるわけじゃあるまいな。

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