第22話:田舎で爺ちゃんに教えてもらったんだ

「ところで一つ聞きたいことがあるんだけど……笹月って料理は出来るのか?」

「……それはどういう意味? さては私のことを馬鹿にしてるの?」


 俺の問いに新鮮な野菜を吟味していた笹月がむっと頬を膨らませる。怖いというより子供が精いっぱい怒っているような微笑ましさがあって思わず笑みが零れそうになるのをすんでのところで堪える。


「私はこう見えても女優。いつどんな役のオファーが来てもいいように母から色々仕込まれている。ケガをしたらダメだから普段は父と母から禁止されているけど」

「えっと……つまりどういうことだ?」

「花嫁修業はバッチリ、ってこと」


 そう言いながらえっへんとドヤ顔をする笹月。さすが日本国民の孫と言われるだけのことはある。いちいち仕草が小型犬のように愛らしい。


「そういうことなら安心だな。料理はからっきしな幼馴染も見習ってほしいもんだよ」


 俺の家に入り浸るようになった環奈が一度だけ台所に立ったことがあるのだが、その時の光景といったら筆舌に尽くしがたいものだった。惨劇。惨状。血のバレンタイン。俺の目の黒いうちは彼女を一人で台所に立たせるつもりはない。


「なんか意外。完全無欠の花園環奈にも弱点があったなんて」

「そうか? 確かに環奈は社長ですごいけど、俺からしたらちょっと変わった至って普通の女の子だよ」

「素面でそんな恥ずかしい台詞をサラッと言える五木は役者の才能があるかも。今度マネージャー紹介するね」

「……真顔で言うのはやめてくれ。冗談かどうか判断できなくなる」


 部活はおろか浅桜の専属マネージャーの件も断っているのだから芸能事務所ともなればなおさらだ。そもそも俺に演技の才能なんて大層な物はない。


「それはさておき。五木、私からも一つ質問してもいい?」

「さておかないでほしいところだけど……なんだ?」

「どうして五木は私を見つけることが出来たの?」


 笹月曰く、気配を消す力を身に付けてからというもの存在に気付ける者は身内を除けば担当マネージャーくらいだという。


「体育の授業が始まる前に目が合ったけど、もしかして五木は最初か私の存在に気付いていたよね?」

「最初っていうのがいつのことを指すのかにもよるけど、俺が初めて笹月を見たのは入学式が終わって教室に移動した後だよ」

「やっぱり……何となくそんな気はしてた。五木はどこでそんな超能力を身に付けたの?」

「超能力って大袈裟なもんじゃないよ。気配が薄いなぁとは思っていたけど、普通に気付いていたよ」


 言葉が通じていないのか、キョトンとした顔で首をかしげる笹月。おかしい、俺は別に変なことを言ったつもりはないのだが伝わらなかったのか。


「俺の爺ちゃんは猟師でさ。子供の頃から一緒に山に入って狩りの手伝いをしていたんだ。そこで獲物の気配の察知の仕方とか逆に自分の気配の消し方とか仕込まれたんだ」


 山に入って狩りをする。言葉にすれば簡単だが、命のやり取りはそんな生易しいものではない。武器を持っていようが一歩間違えれば死ぬ。それが猟師という仕事だと爺ちゃんは口癖のように言っていた。


「獲物が残したわずかな痕跡を辿りながら気配を探って見つけて、こちらの気配を気取らないように細心の注意を払いつつ一撃で仕留める。失敗すれば逃げられるし、場合によっては反撃してくることもある。だから山に入る時は絶対に気を抜くなって」


 特に山に棲息する動物の中で最も獰猛かつ恐怖の象徴たる熊を相手にする場合は気配を察知する、あるいは身を隠すスキルは必須というわけである。


「なるほど。つまり五木にとって私は動物ってこと?」

「誰もそんな風に言っていないと思うが?」

「もしくは五木はハワイで親父に色々教えてもらった高校生探偵ってことだね」


 顎に手を当てて瞳をキラリと輝かせる笹月。名推理を披露したつもりになっているところ申し訳ないが掠りもしていない。眠らされる前のポンコツ親父だ。


「……うん。違うけどそういうことでいいや」

「ねぇ、五木。もしかして今も気配薄くしたりしてる? ヴァニシングしてる?」


 環奈が四字熟語なら笹月は英語なのか、と心の中でツッコミを入れながら俺は苦笑交じりにこくりと頷く。


「今は笹月に合わせて気配を消してる。そうじゃないと一人で喋っているやばい奴になるだろう?」

「それは確かに。ならつまりこの世界に私達は存在していないって……ことぉ?」

「むしろこの世界には俺達しかいないとも言えるな」

「……五木って意外とロマンチストだね」


 そう言って笹月はすたこらさっさとカートを押して野菜コーナーからお肉コーナーへと駆けて行った。店の中を走ったら危ないぞと声をかけながら俺も後を追う。


「そういえば大事なことを聞いてなかった。夕飯は何を作る予定なんだ?」

「うむっ。よくぞ聞いてくれた。今晩のディナーは麻婆豆腐だよ!」


 言いながら笹月は豚ひき肉のパックを手にニヤリと口角を釣り上げる。ここまでで彼女がカゴに入れた食材は生姜、にんにく、ネギ、木綿豆腐。最初からそのつもりだったということか。


「あとは調味料を買えば完璧」

「随分と凝るんだな。市販の素を買えば簡単に済むだろうに」

「そこは気分の問題。久しぶりの手料理だし麻婆豆腐は大好きだから気合い入れて作ろうかと。それに普段は食べさせてくれないから」


 笹月曰く、激辛料理が大好きなのだが、両親に刺激物は喉によくなく、さらにキャラクター的にもNGとのことで止められていると悲しそうに話してくれた。


「そっか……大変なんだな、女優も」

「そう。すごく大変。だからたまにはストレス解消をしないと───」

「まぁ可愛らしい外見とは裏腹に激辛好きはギャップがあって俺はいいと思うぞ」

「……人誑し」


 何故か顔を真っ赤にしながらか細い声で言うと、笹月は俺のすねに一発蹴りを入れてから再びそそくさと歩き出してしまった。しかも今度はカートを放置して。


「ちょっと待て、笹月! 荷物をほったからしにして行くな!」

「今から五木は私の雑用係。早くこっちに来て」


 理不尽なことを口にしながら店内を進む笹月を見失わないように、俺は慌ててカートを押してその後を追う。


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