第20話:ホームシック

 昼休みを目一杯使って浅桜にマッサージを行ったせいで昼飯を食べそびれた俺は、空腹と激しい戦いを繰り広げながらなんとか午後の授業を乗り切った。

 これもひとえに浅桜の身体がガチガチに硬かったせいだ。アスリートにとって身体の柔軟性は欠かせないのに爺ちゃんより酷かった。

 ただ裏を返せばここを改善すればさらに記録が伸びる可能性がある。まさに可能性の塊、さすが日本女子陸上界の期待の星と言ったところか。


「ねぇ、五木。少しいいかな?」


 終礼が終わった放課後の教室。クラスメイト達が帰宅するなり部活に向かうなりと動き出す中、話題の陸上部のエース様が声をかけてきた。

 ちなみにこの場に環奈の姿はもうない。簾田先生の話が終わるなり足早に教室から出て行った。その直後に届いたメッセージには、


『陣平君、ごめんなさい! 今日は仕事があるので帰りが遅くなるので先に夕飯を食べていてください!』


 と書かれていた。日を追うごとに俺の家を自分の家だと思い込むようになっているのが気になるところではあるが、とりあえず俺は手短に返事を送った。


『わかった。仕事頑張って来いよ』

『それはそうと。今日の昼休みは誰とどこで何をしていたんですか? その辺りのことは帰ったら聞かせてもらうのでそのつもりで!』


 恋人の浮気を疑うかのような内容に頭を抱えた。どこで何をしようと俺の自由なはずなのにどうして環奈に説明しなければならないのか。とはいえ昼休みに浅桜にしたことを素直に話したら炎上するのは想像がつく。


「ぼぉーとしているけど大丈夫? 私の声、聞こえてる?」


 そんなことを考えて黙っていたら心配した浅桜が俺の顔を覗き込んできた。突然の急接近に椅子から転げ落ちそうになる。意外と睫毛が長いとか、柑橘系の爽やかないい香りがしたとか知らなかった情報の処理に脳がシャットダウンしかける。


「本当に大丈夫? 私から話しかけておいて言うのもなんだけど日を改めた方がよかったりする?」

「だ、大丈夫。ちょっと考え事をしていただけだから。それより俺に何か用か?」


 動揺していることを悟られないように、一度咳払いをしてから浅桜に尋ねた。それにしても環奈といい浅桜といい、もう少し距離感について考えてほしいものだ。


「五木、陸上部に入らない? 選手としてじゃなくてマネージャーとして」

「……はい?」


 俺の口から呆けた声が漏れる。選手として誘うならわからないでもないが、よりにもよってどうしてマネージャーなんだ。


「お爺ちゃんと中学校の担任の先生から部活には絶対に入るなって言われたのはさっき聞いたけど、それって選手としてだよね?」

「確かにそうだけど、俺に裏方の仕事は務まらないぞ?」

「フフッ。そこの心配はしなくても大丈夫。マネージャーと言ってもそう難しく考える必要はないよ。やってもらうのは主に私のお世話だから」


 教室に残っていた生徒達の視線が一斉に俺と浅桜に向けられる。そこに当然のように憎悪の感情が込められているのは勘弁願いたい。


「お世話って……どういう意味だ? 俺を飼い主にでもするつもりか?」

「アハハハッ! それじゃ私は陣平の飼い犬ってところかな? ご主人様って呼んだ方がいいかな?」


 くぅんと甘えた声を出す浅桜。背筋に悪寒が走る。このままここにいたら命の危機だと俺の本能が訴えてくる。


「なぁ、浅桜。今すぐ帰っていいか? いいよな? さては俺を社会的に殺そうと企んでいるわけじゃないよな?」

「私なりの小粋なジョークのつもりだったんだけど……まぁ冗談はこれくらいにして、五木にお願いしたいのは練習後の私のケアだよ」


「なるほど……そういうことか」

「他の子のタイムを測ったり、練習器具を準備したり、陸上部の全般の裏方仕事はしなくていいから。あくまで私の専属マネージャーとして入部してくれないかな?」


 浅桜が懇願するかのように口にした瞬間、教室から音が消えて静まり返る。いずれ日本女子陸上界の歴史を塗り替えるであろう逸材からの申し出は光栄以外の何物でもない。


「午後の授業中に色々考えたんだけど、やっぱり自分でやるより五木にお願いした方がいいかなって結論に至ったんだよね!」

「余計なことを考えてないで授業に集中した方がいいと思うぞ?」


 ついでに言わせてもらうならそんな結論は今すぐ廃棄処理してほしい。俺のやったことは見様見真似、専門家ではないので何かあっても責任は取れない。


「そういうわけだから五木、私の専属マネージャーになってくれないかな? キミがいれば私の記録はまだまだ伸びると思う。ううん、絶対に伸びるって確信してる!」


 バンッ、と俺の机を叩きながら訴えてくる浅桜。目と鼻の先で二つの果実がたゆんと揺れるのを観覧するのは精神衛生上よろしくない。とはいえ俺の答えは考えるまでもなく決まっている。


「ごめん、浅桜。ありがたい話であるけど俺には荷が重すぎる。悪いけど他をあたってくれる」

「へぇ……即答で断るんだ」


 意外と、浅桜は心の底からそう思っている顔をして呟く。体育の授業終わりに唐突に声をかけるくらいだから一も二もなく首を縦に振るとでも思っていたのだろうか。


「私の身体を隅々までじっくりと嘗め回すように見ることができて、好きなように好きなだけ触れるんだよ? それを断るつもり?」


 信じられない、と呆れたと言わんばかりに肩を竦める浅桜。静寂だった教室に喧噪が蘇り、さらに怒りと憎しみが肥大化した視線を向けられて、俺のSAN値がゴリゴリと削られていく。


「誤解を招くような言い方をするな。俺は悪徳マッサージ師じゃない。というかそういう言い方をするなら専属マネージャーの件はなおさらお断りだ」

「アハハ、さすがに悪ノリが過ぎちゃったね。謝るから拗ねないで?」

「拗ねてないし怒ってない。だからこの話はここで終わり!」


 強引に話を終わらせて俺は席から立ち上がる。これ以上話しても埒が明かないし、このまま話していたらなし崩し的に彼女の専属マネージャーにされそうで怖い。


「むぅ……わかった。今日のところは引き下がるとするよ。でも五木、私は簡単には諦めないからね」


 覚悟してね、と不敵な笑みを残して浅桜は颯爽と教室から走り去っていった。その背中を見送りながら俺は深いため息を吐く。人の振り見てなんとやら、反面教師、これからは考えなしに行動するのは控えよう。

 そう固い決意をしながら学園を後にした俺は、その足で近所のスーパーへと向かった。

 環奈の帰りが何時になるかわからないとはいえ二人分の夕飯は作っておくに越したことはない。そう自然に考えるようになっていることに我ながら戦慄する。これでは一緒に暮らしているようなものだ。


「はぁ……爺ちゃんと山に入りたいなぁ」


 まだまだ慣れない都会での一人暮らし。環奈が入り浸るようになって日に日に彼女の私物が増えているのは頭の痛い問題だがおかげで寂しさは軽減されている。

 とはいえホームシックになっているのは否めない。無心になれる大自然が身近にないのがここまで辛いとは。


「ゴールデンウイーク、下手すれば夏休みまで我慢しないといけないのか……」


 ため息とともに独り言ちるが、弱気になってはダメだし爺ちゃんに怒られるので頭を振って無理やり思考を切り替える。


「はぁ……お腹空いたなぁ……」

「あそこにいるのは……笹月か?」


 スーパーの入り口付近で天橋立学園の制服を着た一人の女の子がぼぉーと空を眺めていた。クラスメイト何故か常に気配が薄い、絶賛休業中の日本国民の孫として愛されている若き天才女優、笹月美香その人だった。


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【あとがき】

読んでいただき、ありがとうございます。


話が面白い!奈央ちゃんエロ可愛い!次は美佳は?等と思って頂けましたら、

モチベーションにもなりますので、

作品フォローや評価(下にある☆☆☆)、いいねをして頂けると泣いて喜びます。

引き続き本作をよろしくお願いいたします。

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