第17話:記録、狙うつもり?

「おっしゃぁあ!! やってやるぜぇ!!」


 和田が雄叫びを上げながら先陣を切って走り出す。トラックを半周した辺りでチラッと視線を俺に向けたのは挑戦状のつもりだろうか。ニヤリと笑っているところを含めると挑発も兼ねているな。


「あの野郎……いいぜ、やってやろうじゃないか」


 別に俺は少年漫画の熱血系主人公というわけではないが売れた喧嘩は買わねば無作法というもの。加えて和田はここまでの全ての種目で俺に完敗しているので、残りの力をすべて出してでも勝ちにくるだろう。まだ体育館での測定があるのに大丈夫だろうか。


「へぇ……笹月さん、意外とは速いんだな。環奈は……まぁ、頑張れ」


 意外なことに残り500mを切っても笹月は女子の先頭集団の中にいた。その足取りは軽く、表情にもまだまだ余裕があるように見える。女優の仕事は体力勝負な面もあるから日頃から鍛えているのだろうか。

 対する環奈は周回遅れにこそなっていないもののすでに這う這うの体。こちらは日頃のデスクワークが祟っていることが一目でわかる。健康のためにも少しは運動させた方がいいかもな。


「ふぅ……ふぅ……」


 あと少しだよ、頑張れ、などの声援が飛び交う中、相方のタイムを測りながら身体を動かしている生徒がいた。それは他でもない浅桜奈央。足を曲げて円を描くように回したり、前屈したり身体を冷やさないようにしている。

 ごく普通のストレッチをしているはずなのに妙に表情が艶めかしい上に、たゆんと揺れる果実とか鼠径部の際どいラインなどが目に悪すぎる。


「よっしゃぁあぁ!!! 俺がナンバーワンだぁ!!」


 俺の淀んだ思考を吹き飛ばすように和田の咆哮がグラウンドに響き渡る。40分間コートを走り続けるバスケ部だけあってその記録は4分半と非常に速い。


「ハァ、ハァ、ハァ……ど、どうだ、五木! これなら……さすがのお前でも……ハァ、ハァ……勝てないだろう!」

「喋る前に息を整えろって。あと俺はまだ環奈と笹月のタイムを測っているから邪魔しないでくれ」

「な……!? おおおお前、今なんて言った!?」


 荒れた息もそのままに俺の肩をガシッと掴んでガクガクと揺らしてくる和田。もう少しで二人がゴールするからやめてほしい。


「授業中に俺達の笹月美佳と親しくなかったのか!? お前の身体からは特攻フェロモンでも出ているのか!?」

「落ち着け、和田。発言がどんどん馬鹿になっているぞ」

「うるせぇ! これが落ち着いていられる状況かよ! 花園環奈に飽き足らず笹月美佳まで手懐けるとは……許せるわけがねぇだろう!」


 俺の説得も虚しく、耳元でギャァギャァと騒ぐ和田。いつから笹月がお前達のモノになったのかを尋ねたいところだが、それはキャンプファイヤーに一斗缶を投げ込むようなものなのでグッと堪える。


「なぁ、親友。教えてくれないか。俺とお前の差ってどこにあると思う?」

「和田のそういう愉快なところ、俺は好きだよ」

「五木……お前っていい奴だな……ってそれ褒めてないよなぁ!? むしろそこはかとなく馬鹿にしているよなぁ!?」


 喚き散らす和田を無視して俺は視線をグラウンドに戻す。女子の先頭グループが着々と走り終える中、少し遅れて笹月がゴールした。そこから遅れることおよそ一分が経過したところでようやく環奈も戻ってきた。


「お疲れ様、二人とも。タイムはあとで教えるからゆっくり休んでくれ」


 今にも地べたに倒れ込みそうになっている二人に労いの言葉をかけつつ、心の中でまだ授業は終わってないぞと付け足す。


「うん……お言葉に甘えさせてもらう」

「じ、陣平君……さ、酸素を……酸素を持ってきてくれませんか?」


 ゾンビのようにふらふらと近づき、手を伸ばして縋り付いてくる環奈の背中を軽くさすってあげる。荒い息遣い、走ったことで火照った身体。頬を伝って流れる汗が言葉に出来ない色気を感じつつ、疲労で弱々しくなっている姿に庇護欲もそそられる。

 そんな頭の悪いことを考えているうちに前半組が全員走り終えたようなので、俺はスタートラインへと向かう。


「頑張ってきてくださいね、陣平君。ちなみに高校一年生の1500mの記録は3分44秒です」

「俺は全国トップレベルの陸上選手じゃないぞ?」

「さらに言うなら、高校男子の1500mの記録は3分37秒18です。陣平君、頑張ってください!」

「俺は超人じゃないからな?」


 キラキラと期待の眼差しを向けてくる環奈に俺は苦笑いを返しつつ、やれるところまではやってみるかと秘かに誓う。挑戦状も叩きつけられていることだしな。


「ねぇ、もしかして記録狙うつもり?」


 偶然隣にいた浅桜がどこか棘のある声で尋ねてきた。表情は険しく、仇敵を睨みつけるかのような視線を向けてくる。


「もちろん。目指すのは自由だろう? 浅桜はどうなんだ? 女子の記録は知らないけど狙わないのか?」

「いきなり呼び捨て……まぁ別にいいか。私の専門は短距離だからね。持久走は守備範囲外なの。無理して怪我はしたくないしね。とはいえ負ける気はないよ」


 ニヤリと笑う浅桜。その微笑みは可憐とは真逆に位置する、獲物を見つけた獰猛な肉食獣のようなそれ。何事にも貪欲に勝ちを掴みに行く姿勢はトップアスリートならではといったところだろう。そうじゃなきゃ世界と戦うのは夢のまた夢。


「へぇ……いきなりいい顔になったね。もしかして焚きつけちゃったかな?」

「おかげさまで。俄然やる気が湧いてきたよ」


 弱火だった闘志が一気に燃え上がる。我ながら感化されやすい性格だと自嘲するが、いずれ世界の強豪たちと鎬を削るであろう人の炎の片鱗を見せられたらやる気が漲るというものだ。


「微力ながら応援してるよ。良いタイムが出たら陸上部にスカウトしてもいいかな?」

「悪いな、中学の恩師と爺ちゃんから部活には入るなって釘を刺されているんだ。今のうちにお断りさせてもらうよ」


 それは残念、と全く残念に思っていない顔で浅桜は言ったところで会話は終わり。いよいよ俺達のスタートの時が近づく。


「後半組のみんな、準備はいいかな? 無事是名馬って言葉のように怪我無く走り切ることが一番大事ってことを忘れずに。それじゃいくよ。よ―い、スタート!」


 パンッと簾田先生が手を叩くのと同時に俺は一歩を踏み出した。

 1500mを3分半で走り切るためには100mを最低でも15秒以内で走らなければならず、全力疾走に近い速度を維持する必要がある。

 無駄のないフォーム呼吸法、専門的な知識もなく練習もしたことない以上、ペース配分やガス欠のことなど考えず、思考すら体力に変換して最初から行けるところまで全力で走る。これしか俺に選択肢はない。


『いくらなんでも飛ばしすぎじゃないか?』

『クラスに一人は絶対にいるよな。目立つために最初から全力出す馬鹿』

『和田ですらもう少し自嘲したっていうのに……体力もたないだろ』


 外野から嘲笑が聞こえてくるが気にしない。歯を食いしばって一歩でも前へ。一秒でも速くゴールへ。限界を超えた先にある景色を求めてひた走るのみ。


「っく……足さえ万全だったら私だって……!」


 背中から聞こえてくる浅桜の呟きにわずかに速度が鈍る。チラリと振り返ってみるとスピードは落ちてはいないが上げることも出来ず、表情もどことなく苦しそうにしていて額には大粒の汗が滲んでいた。


「浅桜、やっぱり……」

「何をしているの! 私のことは構わず走れ! 記録狙えなくなってもいいの!?」


 逡巡を見抜いたのか、それとも手を抜かれたと勘違いしたのか定かではないが、浅桜の𠮟責が飛んでくる。


「……わかった。あまり無理するなよ!」

「フンッ。誰に向かって……!」


 口角を釣り上げた好戦的な笑みを浮かべる浅桜。負けん気が強いのはアスリートとして大事な資質だが俺が言っているのはそういうことではないのだが、それを伝えられるほどの余裕はない。

 落としたスピードを無理やり上げたせいでリズムが崩れて疲労が足に一気に溜まる。だが子供の頃から山の中を走り回って鍛えた持久力でラストスパートを仕掛ける。

 だが悲しいかな。ゴール直前で失速してしまいタイムは4分を切るのが精いっぱいだった。


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