第15話:声掛け難易度レベル99、ってなに?

 笹月美佳。ゆるふわなフェーブのかかったロングヘアに猫のようなぱっちりとした縦長の瞳。その色は世一万人に一人の割合でしか存在しないといわれているブラウンとブルーのオッドアイ。ビスクドールのような精巧な容姿と相まってミステリアスな空気を纏っている美女。

 彼女のことは娯楽の少ない田舎で育った俺でも名前だけは知っている有名人だ。

 3歳で子役として芸能界デビュー。8歳の時にドラマで主演を果たし、主題歌を担当。それが大ヒットとなり年末の歌番組に出演して最年少記録を樹立。

 その後も声優やハリウッド映画に出るなど〝日本国民の愛娘〟と呼ばれている人物だが、年明けに高校入学を機に全ての活動を一時休止すると発表して世間が涙を流したのは記憶に新しい。俺の爺ちゃんもファンだったりする。


「お腹空いたなぁ……早くお昼にならないかなぁ」


 自由気ままに生きる猫のように、ぼぉと流れる雲を眺めながら呟く笹月。小柄な体躯に似合わず大飯ぐらいなのか、それとも単に朝食を食べてなくて腹ペコなのか定かではないが、運動前に空腹なのはさぞきつかろう。


「平然とジュースを飲むとは……中々図太いな」


 己の存在感が希薄なのをいいことに好き勝手するのはお行儀がよろしくないが、それをわざわざ簾田先生に報告するほど俺は真面目ではない。別に犯罪というわけではないのでバレないようにやってくれればいい。


「…………」


 そんなことをぼんやりしながら考えていたせいだろう。どうやら俺は無意識のうちに笹月を凝視していたらしく、バッチリと視線が合ってしまった。ストローを咥えたまま、ゆっくりと小首を傾げる笹月。


「もしかして……見えてる?」

「幽霊じゃあるまいし、見えているに決まっているだろう」


 心の底から不思議そうな顔で尋ねてくる笹月に俺は肩を竦めながら答える。周囲の空気に溶け込んでいるとはいえ、簾田先生やクラスメイト達が彼女のことを認識できていない方がおかしい。


「し、信じられない……」


 笹月は珍獣を見つけたような驚愕を顔に浮かべながら呟くと、そそくさと輪の中へと逃げるように走って行ってしまった。狐に抓まれるとはこのことだな、と内心で自嘲しながら俺は簾田先生に怒られる前に彼女の背中を追った。


「みんな集まったね! それじゃサクサク測定を始めていくよ!」


 今日一日で全部やらないといけないからね、の言葉を合図に授業が始まる。

 測定するのは握力、上体起こし、長座体前屈、反復横跳び、持久走に50m走。立ち幅跳びにハンドボール投げと多種多様。この量を二時間でこなすのはあまりにもタイトスケジュールだ。


「それじゃ男子は50m走から! 女子は立ち幅跳びからいこうか! 持久走、ハンドボール投げが終わったら体育館のB組と入れ替わるように!」


 体育の授業は二クラス合同で行われているが、今日はすれ違うことはあっても合流することはないだろう。


「頑張ってくださいね、陣平君。英俊豪傑であることをみんなに示すまたとないこのチャンス、逃したらダメですよ?」


 ぞろぞろとみんなが移動を始めた隙を狙って環奈がポンと肩を叩きながら声をかけてきた。


「俺はそんな大それた人間じゃないよ。というか体力測定を何だと思っているんだ?」

「えっと……陣平君のお披露目会?」

「違う。体育の授業を歌舞伎の襲名披露興行と一緒にするな」


 披露することなんて何もないし、そもそも田舎育ちで山を走り回っていただけの俺が和田のような現役バリバリの運動部員と勝負して勝てるはずがない。


「フフッ。一時間後に同じことが言えたらいいですね。せいぜい頑張ってください」

「行方不明の情緒を探して来い」


 ニヤリと口元に笑みを浮かべながら小悪党が口にするような捨て台詞を残して、環奈は俺の元から走り去っていった。


「おいおい。随分と見せつけてくれるじゃねぇか、親友。覚悟の用意は出来ているか?」


 環奈と入れ替わるように俺の肩に手をかけながら和田がやってくる。力がこもり過ぎているのと般若のような怒りに顔が染まっているのは気のせいだろうか。


「裁判所に来てもらわないといけなくなるから物騒なことを言わないでくれ。あと見せつけるって何の話だ?」

「花園環奈とのコソコソ話に決まっているだろうが! 仲睦まじく肩を寄せ合って密談しやがって……! いくら幼馴染でも適切な距離を保てよな!?」


 和田の怒りの抗議に周りにいた男子達がそうだと言わんばかりに首を縦に振って同意を示す。


「話しかけない方がいいとか言っていたのはどこのどいつだ。お前の手のひらはドリルか?」

「それはそれ、これはこれだ。天橋立学園美女ランキング上位に入り、声掛け難易度レベル99の花園環奈と普通にコミュニケーション取れていることに嫉妬するのは当然だ!」


 なんだよ、声掛け難易度って。頭が悪すぎる。なんてことを考えているのが顔に出たのだろう、和田が聞いてもいないのに解説を始めた。


「ちなみに難易度は全5段階。評価項目は話しかけやすさ、会話の継続率、連絡先の入手率などで決まる。如何に花園環奈が雲の上の存在かこれでわかっただろう?」

「わかるわけないだろう。というか五段階評価でレベル99はバグを通り越して欠陥だろうが」

「それくらい難しいって表現だよ! 言わせるんじゃねぇ!」


 そうだそうだ、と激しくヘッドバンドをする男子達。愉快な光景だがツッコミ役が俺以外に存在しないのは如何なものか。あとそろそろやめないと簾田先生に怒られるぞ。


「こらぁ、男子達―――! 喋ってないでさっさと走る準備をする! それとも私が適当に記録書いちゃってもいいのかな!?」


 案の定、簾田先生が笑顔で脅迫してきたので俺達は急いで50m走のスタートラインへと移動する。

 測定は二人ずつ行われ、俺が一緒に走るのは偶然にも和田になった。


「悪いな、五木。この勝負、勝たせてもらうぜ」

「体力測定は勝負じゃないけど、そんな風に言われたら勝ちたくなるな。バスケ部エースのスプリント力、見せてもらおうじゃないか」


 断じて挑発に乗せられたわけではない。田舎生まれ田舎育ちの蛙の自分が大海を知るにはこれはいい機会だ。


『特待生の運動神経がどんなものか楽しみだな』

『どうせ勉強だけの頭でっかちだろう?』

『負けるなよ、和田! 五木に青春を独占させるなよ!』


 外野で騒いでいる声は全部無視して俺は腰を落として和田とともに合図を待つ。

 集中しろ。山で熊と遭遇した時のことを思い出せ。追いつかれたら死ぬ状況で必死に走って逃げたあの時の感覚を再現するんだ。


「よ―――い。スタート」


 気の抜けた合図を受けて俺と和田は同時に走り出した。

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