第13話:幼馴染が寝かせてくれない
「これから一日が始まるって言うのに大丈夫かよ、五木」
入学してまもなく一週間。教室に着くなり机に突っ伏す俺を見た和田が心配と呆れを足して二で割ったような声で話しかけてきた。脳みそが寝不足だから休めとシュプレヒコールを上げる中、俺は渋々顔を上げて質問に答える。
「あぁ……多分? 少し寝れば一日くらい保つかな?」
「残念ながらそんな時間はもうないんだけどな。というかそんなに一人暮らしは大変なのか?」
「……その件についてはノーコメントだ」
俺の回答になんじゃそりゃと苦笑を零す和田。これ以上話す気はないと言外に主張するべく俺は再び机に突っ伏した。
口が裂けても、天地がひっくり返ったとしても言えるはずがない。俺の家に環奈が入り浸るようになっているなんて。
そうなったきっかけは環奈が学校を休んだ日の夜。その時のやりとりを俺は深いため息を零しながら思い出す。
回想始め
久しぶりに再会してから二日連続で幼馴染を家に上げることになるとは思わなかったが、昨日と違うのは環奈が大荷物を持っている点である。
「相変わらず陣平君は私には甘々ですよね」
「……それはどういう意味かな」
「だって〝回れ右して今すぐ帰れ!〟って怒ったくせにちゃんと中に入れてくれるし、お茶まで出してくれるじゃないですか。糖分過多で病気になっちゃいますよ」
笑みを零しながら話し、俺が淹れたお茶に口をつける環奈。何気ない所作なのに気品があって見惚れそうになるのを咳払いで誤魔化す。
「幼馴染のよしみで話くらいは聞いてあげようかなって思っただけだよ」
何かと物事を飛躍して考え、後先考えずに口にしたり行動に移してしまうのが環奈の悪い癖。いつものように間のことを諸々すっ飛ばした結果が玄関先での言葉なのだろう。
ただ噴水の時とは違い、さすがの俺にも今回ばかりは彼女の真意が全く見えなかったので甚だ不本意ではあるがこうして膝を突き合わせることにしたわけだ。
「それで。こんな時間にスーツケースを持って家に来た本当の理由はなんだ?」
「ん? 本当の理由?」
何を言っているかわからないと言わんばかりにコテッと小首をかしげる環奈。可愛いけどそれで許すほど俺は優しくない。
「……まさか本気で一緒に暮らすつもりじゃないだろうな?」
「あぁ、そのことですか! 陣平君の家って学園から近いじゃないですか? 仕事とかで夜遅くなることもあるので、そういう時に泊めてもらえたら登校も楽になるかなって思ったんです!」
「俺の家を仮眠室扱いするな」
言いながら俺はジト目を向けるが、社長になった幼馴染はこの程度で怯むようなことなく話を続ける。
「それだけじゃありませんよ! 仕事とか取材とかで学校を休むことがあるからノートを写させてもらえたらと思って!」
「俺を便利屋扱いするな。というかノートならコピーして渡すよ。それならわざわざ家に来ることはないよな?」
「いやいや! そんなことで陣平君の手を煩わせるわけにはいきませんよ!」
コピーするにお金もかかって勿体ないし、と環奈は続ける。塵も積もればというけれど、そのくらいで俺の財布事情が圧迫されることはない。というか俺の精神的には家に来られる方が困る。
だが社長になった幼馴染は渋る俺にさらにプレゼンを続ける。
「私がここに来て作業すれば済む話ですから! 時間もそんなにかからないと思いますし、陣平君は私に気にせずくつろいでくれていいですから!」
だからお願いします、と両手を合わせて環奈が懇願してくる。
いくら幼馴染といえども一人暮らしをしている健全な高校男児の家に頻繁に足を運ぶのはあまりよろしいことではない。頭では理解しているが心が傾く。そんな俺の思考を読んだのか、環奈はさらに畳みかけてくる。
「それにずっと一人でいるのって寂しいと思うんですよね! 話し相手がいた方がいいと思うんですよね!?」
ずっと身を乗り出して顔を近づけてくる環奈。その主張には一理あるどころか心当たりしかない。俺が環奈の考えていることがわかるように、どうやらこの十数年の間に環奈も俺の考えていることがわかるようになったようだ。
「それにほら! 私を入り浸らせてくれれば、離れ離れになっていた時間を埋めることもできると思うんですよね! これって妙案だと思うんですよね!」
「わかった! わかったからこれ以上近づくな! 環奈の好きにしていいから一旦離れてくれ!」
子供の頃とは違うんだぞ、と心の中で叫ぶ。顔が近いだけならまだしも、甘い香りとかテーブルの上でプルンと跳ねる果実とか。触れたら柔らかそうな肌とか唇とか。五感全てが危険信号を発している。
「やったぁ! 陣平君ならそう言ってくれるって信じていました!」
えへへと微笑みながら環奈は今にも飛び跳ねそうな勢いで喜ぶ。人の気も知らないで呑気なものだ。心を読まれたのはたまたまだな。
「それじゃ早速今日の分を見せてくれますか!? あっ、でも今日は遅いから明日にした方がいいですかね?」
「そ、そうだな……明日も学校あるしそうした方がいいな。ここから家まで遠いのか? 送って行こうか?」
田舎と違って街灯がたくさんあるので夜道は明るいと言っても女の子が一人で歩くには少し危ない時間だ。
「ここからだと電車で二十分くらいでしょうか? そんなに遠くないから大丈夫ですよ。それにパパとママには帰りが遅くなることも伝えてありますし、終電逃したらタクシー使えば大丈夫です」
「いやいや。終電前には帰らせるからな?」
そもそも今日の授業は全て初回だったので写す内容なんてそんなにないからすぐに終わるはずだ。雑談に花を咲かせなければの話だが。
「まぁ万が一の場合に備えてスーツケースの中に部屋着と制服を入れてきたから大丈夫なんだですけどね!」
「泊まる気満々かよ!? ノート渡すからやっぱり今すぐ帰れ!」
回想終わり
この後ひと悶着あったものの、なんとかノートだけを渡して帰宅させることに成功したて事なきを得たが、この日を境に環奈は何かにつけて我が家に遊びに来るようになった。
ただ遊びに来ているだけなら許されるかもしれないが、不思議なことに徐々に私物が増えているのだ。
しかも恐ろしいのがいつ宿泊することになってもいいように布団一式が持ち込まれ、化粧品や歯ブラシ、シャンプーなども置かれ始めているのだ。一体俺はどうすればいいんだ。
「おいおい。朝からそんなグロッキー大丈夫か? 今日の体力測定でぶっ倒れたりするなよ?」
「……今日は体育の授業があるのか。それまで寝てていいかな?」
体育があるのは三限目と四限目。朝の二つの授業を体力回復に充てれば何とかなるだろう。ただその場合はノートが取れないので環奈に頼ることになり、結局寝不足が加速することになるのだが。世の中上手くできている。
「構わないぜ、と言いたいところだけど先生に怒られても責任はとらないからそのつもりでな」
「手厳しい友人を持てて俺は嬉しいよ」
和田との他愛のない会話が終わったところで俺は視線を環奈へと向ける。優雅に本を読んでいる姿は深窓の令嬢のようで、実に様になっているので是非とも口を開かずにいてもらいたい。そうすればポンな一面を露呈せずに済む。
我が家に入り浸るようになったとはいえ、環奈とは学園にいる間は可能な限り接触は控えることにしている。幼馴染相手に遠慮することはないのだが、環境がそれを許してくれない。
なにせ花園環奈は現役女子高生社長。対する俺は生まれも育ちもド田舎で何の取り柄もないただの男子高校生。一緒に登下校でもしようものなら即スキャンダルになること間違いなし。環奈の仕事にも多大な影響はあるだろうし、俺の高校生活もその瞬間にジ・エンドだ。
『入学式の日にびしょ濡れになった私を自宅に連れ込んでお風呂まで入らせたくせにどの口が言うんですか?』
そんな俺の先を見越した提案に対して環奈は唇を尖らせて何故か拗ねてしまった。いつの日かわが家への入り浸りもやめさせたいところだが、それを口にしたら巨大怪獣となって暴れる予感がしたので口にはしなかった。
なんてくだらないことを考えている間に簾田先生が元気に教室にやって来てホームルームを始める。体育教師ということもあってか今日は朝から一段とテンションが高い。
「みんなの実力を測るこの瞬間が一番の楽しみなんだよね」
少年漫画に出てくる強敵のようにクフフと微笑む簾田先生。学校の先生がしていい顔ではないが、誰もツッコミを入れないところから察するに気にしたら負けなのだろう。もしくはみんなもこの時を楽しみにしていた可能性かもある。考えたくはないが。
「部活見学が始まっているから気になるところがあれば体験入部してみてね。私からの連絡は以上! くれぐれも居眠り早弁はしないように! それじゃ体育の授業でまた会おう!」
俺の記憶の中で最も新しい担任と比べてこの人の活力は段違いだ。同世代に見えるのに都会と田舎ではこうも違うのかと本人が聞いたら怒りそうなことを考えながら、俺は一限目の準備に取り掛かるのだった。
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