第9話:烏の行水はダメ絶対

 俺が住んでいる部屋は学園から徒歩10分という好立地な場所にある。五階建てのマンションで築年数こそ四半世紀が経過しているが、部屋はフルリノベーションされているので新築のように綺麗だ。間取りは男子高校生が一人で暮らす分には十分すぎる1K。

 近くにスーパーもあるので自炊するにも困らないし、駅まで歩けば複合型のショッピングモールもあるので休日の暇つぶしも出来る。まさに至れり尽くせりな物件である。


「すごい。こんなお家よく借りられましたね」


 家の前で環奈が驚くのも当然だ。ここで暮らし始めて数日経つ俺でさえここが我が家という実感が湧いていない。


「もしかして事故物件だったりしませんか? 陣平君、騙されていませんか?」

「失礼なことを言うんじゃありません。そもそもここは中学の担任の先生の持ち物件なんだよ。それを特別に貸してくれたんだ」

「いやいや。その情報のおかげで驚きが増しましたよ?」

「詳しく聞いたわけじゃないけど不動産投資の一環とかなんとか言ってたかな?」


 話半分に聞いていたから覚えていないけど、と付け足しながらエントラスを通ってマンションの中へ。部屋は四階なのでエレベーターに乗り込む。


「薄給で有名な教職業でありながら物件を所有していて不動産投資もしているって……その先生、何者ですか?」

「薄給かどうかは置いておくとして、わかっていることは担任だった葛城先生は天橋立学園の卒業生ってことかな」

「葛城? OGの? あれ、どこかで聞いたことがあるようないような……?」


 顎に手を当てて何かを思い出そうとする環奈。もしかして葛城先生って有名人だったりするのだろうか。ただ俺としては今更どうこう言われても、ただの変人って認識は変わりないんだけど。


「中学生の陣平君がどんな感じだったか気になるなぁ。そうだ、卒アル見せてください!」

「別に構わないけど大して面白くないぞ? それより着いたぞ」


 他愛のない話をしているといつの間にか部屋の前に着いていた。鞄から鍵を取り出して中へと入る。


「おじゃまします! それじゃ早速アルバムを拝見! いや、その前に宝探しにしましょうか?」

「待て待て。その前に風呂だろう。いい加減濡れたままだと風邪ひくからな。着替えは用意しておくから浴室に行くぞ」

「アハハ……そうでしたね。楽しみは後に残しておきますね!」


 笑顔の環奈を見て連れてきたのは早計だったかと若干後悔しつつ風呂場へ案内する。お湯はりを行い、棚から未使用のタオルを準備する。あわせてドライヤーとコンセントの場所を説明する。


「それじゃ俺は一旦戻るからゆっくり身体を温めてくれ。その間に制服を乾かすのと着替えの用意をしておくから」

「うん。何から何までありがとうございます、陣平君」


 一転して申し訳なさそうにする環奈。気にするな、とだけ言い残して俺は制服を乾かしている間の服を探しにリビングに戻る。とはいえ女の子が着るような服なんて持っていないからどうしたものか。


「一時間もあれば乾くだろし、大きめのシャツに適当なズボンでいいか」

 この家の洗濯機はファミリー向けの最新のドラム式洗濯機が置かれている。ちなみに用意したのは葛城先生。こんな立派な物はいらないと言ったのだが、


『いいかい、五木。洗濯は面倒くさい家事ランキングのトップ3に入るんだ。QOLを上げるには文明の利器を借りるのが一番。つまりドラム式洗濯機は最強というわけだよ』


 と妙な迫力と共に力説されて押し切られてしまったのだ。一人暮らし向けの家に馬鹿みたいにデカいから搬入も大変だった。やっぱり変人だな、葛城先生あの人は。

 なんてことを考えながらタンスから適当に見繕った服を取り出して風呂場へと戻る。その頃には環奈はすでに浴室の中に入っており、シャワーの音と一緒に鼻歌も聞こえてきた。


「環奈、着替えは洗濯機の上に置いておくからな。制服が乾くまで少し我慢してくれ」

「ありがとねございます、陣平君。そんなに気を遣わないでいいですからね?」

「俺がしたいからやっているんだよ。それじゃごゆっくり」

「いやいや! 待たせるのは申し訳ないので烏の行水します!」


 シャワーの音が止み、バタバタと慌ただしい音がする。まさかと思ったのと風呂場の扉が開こうとしたのはほぼ同時。俺は咄嗟に扉の前に立って出口を塞ぐ。


「どいてください、陣平君! これじゃ外に出られません!」


 ガンガンと扉を叩く環奈。この状況だけ切り取るとまるでホラー映画のワンシーンだ。ちなみに俺が怨霊に狩られる側で環奈が狩る側だ。


「出てこなくていいんだよ! のんびり湯船に浸かってこいって言っているんだ!」

「それじゃ私の気が晴れません! そうだ、陣平君も一緒に入りましょう! それなら完璧です!?」

「完璧じゃねぇよ!? むしろ悪化してるからな!」


 勘弁してくれ。子供の頃ならいざ知らず、年頃の男女が一緒にお風呂に入るのは色々まずいことになるって気付いていないのか。


「俺のことはいいからしっかり温まってこい! それじゃ!」


 環奈が扉を開けるより早く、俺は瞬間移動よろしくリビングへと戻る。こういうことをするために家に連れてきたわけじゃない。


「ホント、勘弁してくれ……」


 まだ見慣れない天井を見上げながら独り言ちる。だがこの後すぐに再び浴室からシャワーの音が聞こえてきたので俺はそっと胸を音で降ろす。

 ドライヤーの音も止み、環奈が風呂場から出てきたのはそれから数十分後のことだった。




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