第8話:もう落とすんじゃないぞ
噴水に入る前、環奈は手にしていたスマホをスカートのポケットにしまっていた。それが無くなっているということは───
「───派手に転んだ時に落としたとか?」
青ざめた顔で噴水を見つめる環奈。ミイラ取りがミイラになるとはまさにこのこと。しかもあのスマホにはストラップが付いている。
「と、取りに行かないと! あれには陣平君がくれた大事なストラップが!」
「落ち着け。俺が探してくるから環奈はここで大人しくしていろ」
あえて語気を強めに言いながら俺は革靴と靴下を脱ぎ、ズボンの裾をたくし上げてから噴水の中へと足を踏み入れる。身体の温度が急激に下がっていくのがわかる。急いだほうがよさそうだ。
立て続けに起きる奇怪な行動を目の当たりにした本格的にドン引きしたのか、やじ馬たちはコソコソと話をしながら三々五々に離れていった。
「ちょ、陣平君!?」
そんな中、戸惑いの声を上げる環奈。つい先ほど自分がしたことをもう忘れてしまったのだろうか。
「大丈夫。環奈が転んだだいたいの位置は覚えてる。すぐに取ってくるから大人しくそこで待ってろ」
「……それは盛大なフラグというやつでは?」
「ハッハッハッ。一緒にするんじゃない。俺は誰かさんみたいに最後まで気を抜いたりしないからな」
「もう! 陣平君のバカ! 意地悪なこと言わないでください!」
プンスカと怒っている幼馴染の声を後ろに聞きながら目標地点に到達する。幸いなことに水は透き通っていて綺麗なのでスマホはすぐに見つけることが出来た。水深も膝下までしかないので回収も簡単だ。
俺は安堵のため息を吐きながらスマホを掴み上げる。そして環奈と同じ轍を踏まないように細心の注意を払ってゆっくりと戻る。
「ほら、スマホ。水没したせいで電源が入らなくなっているから修理に出すか新しいのを買うしかないな。バックアップは取ってあるか?」
縁に腰かけながら足を拭き、持ち主と同様にずぶ濡れになったスマホを返した。
「……ありがとうございます。スマホは壊れちゃっていますが大丈夫ですね。ストラップさえ無事ならそれでいいです」
「そっか。ならもう落とすんじゃないぞ?」
「はい……気を付けます」
そう言って環奈は微笑むがその肩は沈んでいる。俺はガシガシッと頭を搔いてから靴を履いて幼馴染の手を取って歩き出す。
「じ、陣平君!? どどど、どこに行くんですか? 帰るんじゃなかったんですか!?」
突然俺に手を握られて軽いパニックに陥る環奈。教室では自分から握ってきたんだからそこまで驚くことはないだろうに。
「濡れたまま家に帰るわけにはいかないだろう? うちに寄って行けよ」
「じじじ、陣平君!? それはどういう意味で言ってるのかな!? 物事には順序というものが存在していると思いますよ!?」
俺の提案にジタバタと暴れ出す環奈。耳まで赤くしているが、まさか俺がよからぬことを企んでいると考えているわけではあるまいな。
「そのままの意味だよ。俺の住んでいる家はここから近いんだ。制服を乾かして、シャワー浴びて湯船に浸かって冷えた身体を温めたらいいんじゃないって話」
再会したその日に自宅に連れ込むのは気が引けるがこのまま帰すわけにもいかない。それに喫茶店でしようと思っていた昔話もできる。
「あっ、なるほど……そういうことでしたか。なら先に言ってくれればいいのに」
「まぁ環奈が嫌だって言うなら無理強いはしないけどな。一人暮らしの男の家に来るのは流石に怖いよな?」
「そこは心配していないから大丈夫です。ごめんなさい、陣平君。私、早とちりしちゃったみたいです。そういうことならお言葉に甘えさせてもらいますね!」
「……耳年増め。何を考えた?」
「そ、それは内緒! とてもじゃないけどこの場で口に出せることじゃ……って何を言わせるんですか!?」
俺は何も言っていない。環奈が勝手に自爆しただけだ。なんて口にしたらまたぐるぐるパンチを浴びせられるだけなので俺は口を噤む。
「冗談はこれくらいにして。陣平君は私が嫌がることは絶対にしないって昔から信じているし知っていますから。家に行くことは全く怖くありませんよ」
「……そいつはどうも」
真剣な眼差しで言われたら逆に恥ずかしくなるからやめてほしい。
「さて、それじゃ上京して一人暮らしを始めた陣平君の自宅がどうなっているかチェックにしに行くとしましょうか!」
「俺の家で何を探すつもりだ?」
「それはもちろんエッな本です。陣平君の性癖が歪んでいないか確認するのは幼馴染の義務ですからね!」
そんなことをさせるつもりは毛頭ないし、そもそもその手の類の本は一切ないので探すだけ無駄である。
「……万が一歪んでいたらどうするんだ?」
「その場合はもちろん私が責任をもって矯正───ってだから何を言わせるんですか!?」
「だから俺は何も言ってないって……」
「グダグダ言ってないで早く行きますよ!」
レッツゴーと拳を掲げて元気よく言う環奈。けれどそれが空元気であることに気付かないわけもなく。どうしたものかと悩みながら俺は環奈と並んで帰路へとつくのだった。
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