第7話:すってんころりん
暖かくなってきているとはいえまだ四月。プール開きは当分先で、噴水に張られている水も冷たいはず。
加えてハンカチが揺蕩っているのはその中心。オブジェクトからベールのように水が流れている中を突っ切らなければならない。
「ややや、やめてください、花園さん! 今すぐ噴水から上がってください! 風邪ひいちゃいますよぉ!」
子犬系な女子生徒が泣きそうな声で叫ぶが、環奈は一切気にすることなく噴水の中を突き進む。
「やっぱりこうなったかぁ……」
このままいけばずぶ濡れになることは間違いない。俺は肩を竦めながらポケットにハンカチが入っていることを確認する。焼け石に水だがないよりはましだな。喫茶店もキャンセルして帰宅するしかない。
『花園さん、どうして噴水の中に入っているんだ?』
『頭はいいかもしれないけど何考えているかホントわからないよね』
『正直ちょっと不気味だよねぇ』
なんてことをぼんやり考えていたらいつの間にか噴水の周りには人だかりが出来ていた。何が起きているのか、環奈が何をしているのか理解できずにいるのが大半だ。
だが環奈はそんな周囲の雑音を一切気にせず、頭から水を被りながらもハンカチの元へとたどり着いた。
「よし、無事取れました! 今から戻るのでもう少しだけ待っていてください!」
「気を付けて戻ってくるんだぞ! 転んだりしないようにな!」
ハンカチを掲げながら手を振る環奈。完全にやり遂げた顔をしているので注意するよう声をかけるのだが、
「もう、いつまでも私を子ども扱いしないでください! 子供じゃないんだからすってんころりなんてするわけないじゃないですか!」
そう言って環奈は不服そうに頬を膨らませるが、あいにくとフラグにしか聞こえない。遠足は帰るまでが遠足という言葉の意味を思い出してほしい。
「さくっと帰るので待っていてくださいね、陣平君! このあとは喫茶店で優雅にお茶を───って、あふっ!?」
バッシャンとド派手な水しぶきを上げながら前のめりに倒れる環奈。
悲鳴を上げる者。あっけにとられる者。やじ馬たちの反応はそれぞれだが、みなドン引きしているという点については共通している。
「……言わんこっちゃない」
俺は頭を抱えて天を仰ぐ。よりにもよって10満点の綺麗な転倒を披露するとは。俺の幼馴染は天才だな。
「うぅ……やっちゃっいましたぁ」
しょんぼりと肩を落としながら環奈が戻ってきた。頭の上にトホホと吹き出しが見えるくらいには落ち込んでいる。水も滴るイイ女と褒めても慰めにはならないな。とはいえ目当てのハンカチはちゃんと回収してきている辺りは流石だ。
「はいはい、お疲れ様。まずは顔を拭いて。俺のブレザーを貸すから自分のはいったん脱いで。そのままだと風邪ひくぞ」
「あっ……ありがとうございます、陣平君───くしゅんっ」
ぶるっと身体を震わせながらくしゃみをする環奈。全身びしょ濡れのまま放置するわけにはいかないし、何より衆人環視に晒し続けていい格好じゃない。
顔を逸らして、なるべく環奈の身体を見ないようにしてブレザーを羽織らせてボタンを締めていく。それはもうしっかりと前が隠れるように完璧に。
「どうしたんですか、陣平君? どうして顔を逸らすんですか? 心なしか頬が赤くなっているのは気のせいですか?」
俺の行動にキョトンとした表情をする環奈。無防備すぎて心配を通り越して怒りすら湧いてくる。
「……自分が今どんな状態か気付いてくれ」
「? それってどういう意味…………はぅっ!!??」
視線を下げ、制服がしっかり濡れていることを確認したところで、ようやくブラウスが透けてエメラルドグリーンの下着が見えていることに気付いたらしい。
湯気が出そうなくらい真っ赤な顔で睨んでくる。そして唇を尖らせながら一言。
「……陣平君のエッチ」
「はいはい、もうエッチでもスケッチでも何でもいいから早く帰るぞ。このままだと本当に風邪をひくぞ?」
「むぅ……わかりました。今日は大人しく帰ります。でもその前に───」
環奈は噴水の中から取ってきたハンカチを持ち主である子犬系な女子生徒に差し出す。
「大切な物なんですよね? もう風に飛ばされないように気を付けてくださいね?」
「えっと、その……あ、ありがとうございます……」
顔を引きつらせながら恐る恐るハンカチを受け取る女子生徒。その顔に浮かぶのは感謝というより困惑。しかも声をかけた時より色濃くなっており、手元に戻ってきて嬉しいというより環奈の行動に恐怖すら覚えている風にすら見えた。
けれど環奈はその様子に気付いていない。それどころか満足そうに微笑んですらいるのでより一層不気味に感じるのかもしれない。
「そ、それじゃ私達はこの辺で。ほら、行くよ!」
「う、うん……」
飼い主系女子の友人が手を引いて足早に立ち去っていく二人。その背中に手を振って見送る環奈。ハプニングはあったけどこれで無事一件落着だな。
「俺達もそろそろ行こうか。早く家に帰って身体を温めないとな」
「そうですね。さすがに噴水に入って転んで風邪ひきましたは笑い話にもなりませんよね。残念だけど喫茶店はまた今度にしましょうか」
「そういうこと。それじゃ帰るぞ」
「あっ、その前に連絡先を交換しませんか? その方がこの先何かと───あれ? スマホがない?」
バタバタとポケットを叩く環奈。ビスケットじゃあるまいしそこになければいくら探しても出てくるはずがない。徐々に顔から血の気が引いていく。
一難去ってまた一難。どうやらまだ帰れないらしい。
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