第6話:大事な御守り
天橋立学園はとにかく広い。
初等部から高等部までの校舎を一つの敷地内に収めているため敷地は広大。そのため自分がどこにいるかわからなくって年に数人が遭難するとか。みんなも気を付けるようにねと簾田先生は笑いながら話していたが、山の中を歩くわけじゃないので学校の敷地内で遭難なんてありえないだろう。
「まぁ昔から山が友達な陣平君なら仮に遭難してもケロッとした顔で登校してきそうですね」
「言葉に悪意を感じるのは俺の気のせいか?」
環奈は優雅に微笑みながら俺の言葉をスルーする。確かに爺ちゃんから山での心構えとか万が一遭難した場合の対処法とか散々叩き込まれているから問題はない。
「まぁ広いのはいいとして、なんで学校の中に噴水があるんだよ。それもどこかの王室にありそうな無駄に立派なものが。驚きを通り越して戸惑うわ」
靴を履き替えながら俺は外に目を向ける。
校舎を出てすぐのところにあるのは設置されている大理石で造られた巨大な噴水。ライトアップしてショーすらできそうな豪奢なものがどうして学校の中にあるのか理解できない。
「当初の予定だと本家顔負けのマーライオンも設置する予定だったらしいですよ。しかも三体。まぁそれはさすがにやりすだって止められたみたいですが」
「そりゃ止められるに決まっているって。というか噴水自体作るのは止めなかったのかよ。何を考えているのかさっぱりわからない」
「馬鹿と天才は紙一重って言いますからね。学園長はそういう人なんです。ただ毎年冬になるとやるライトアップショーはとても綺麗で有名なんですよ!」
今度一緒に観ようね、と笑顔で言う環奈。まさか本当にショーをやっているとは。俺が生まれ育った田舎では考えられないな。
「ありゃ、ちょっとのんびりしすぎちゃいましたね。少し急がないと!」
この時間はお店が混むんですよね、とスマホで時間を確認しながら環奈は言った。行先は最寄り駅近くの路地裏にひっそりと佇む隠れ家的喫茶店。卵がふわとろなオムライスが絶品でオススメとのことらしいが、俺の意識はそんな話より環奈のスマホに付けられているストラップに集中していた。
「まだ持っていてくれたんだな、そのストラップ」
それは環奈が引っ越す際に俺がプレゼントした手作りストラップ。山で拾った綺麗な石を祖父に手伝ってもらって研磨し、穴をあけてひもを通しただけの武骨な物。紐こそ変わっているが、幼い俺が〝御守り〟と称して彼女に渡した物に間違いなかった。
「捨てるはずないじゃないですか。だってこれは私にとって、とても大切な宝物なんですから」
言いながらどこか愛おしそうな表情で宝石を撫でる環奈。てっきりとうの昔に捨てていると思っていたのでそこまで大事にしてくれているのは意外だった。
「陣平君の元を離れてこっちに引っ越してきましたが、私の話し方が少し変なせいなのか友達と呼べるような人は中々できなくて……」
少しじゃないけどな、という野暮なツッコミを俺は飲み込む。和田も話していたように、時折混ざる難解な言葉はこちらでも気味悪がられていたのか。
「そのせいで一人でいることが多かったんですが、陣平君がくれたこの御守りのおかげで頑張ることが出来たんです」
「そう言えば環奈、今社長やっているんだってな。すごいじゃないか」
「えへへ、ありがとうございます。とはいえまだ周りから何を言っているかわからない、何を考えているかもわからないってよく言われるんですけどね」
そう言ってあははと笑う環奈の顔が悲しそうに見えたのは気のせいではないだろう。十数年という長い間、どれほど大変だったのだろうか。
「なんだそりゃ。くだらないな。何を言っているかわからないなら調べるなり勉強するなりすればいいだけじゃないか。自分の体たらくを棚に上げるなって話だな」
「陣平君、昔と比べて背も大きくなりましたが中身は全然変わっていないですね。安心しました」
「それは褒めてるのか? それとも貶しているのか?」
「フフッ。さぁ、どっちでしょう?」
楽しそうに微笑む環奈。そこはかとなく馬鹿にされているような気がするが、こうしたやり取りは新鮮で俺の口元もつられて緩くなる。
そんな他愛のないやり取りをしながら並んで歩いて校門へと向かっていると、突如時期外れの春一番が吹いた。〝きゃっ〟と可愛い悲鳴が隣から聞こえたのでそちらに視線を向けると、ひらりと舞い上がっているのが目に入る。
「……見ましたか?」
顔を真っ赤にした環奈がスカートの裾を抑えながら俺にじとっとした目を向けてくる。一瞬だけだったが瞼にくっきりと焼き付いたそれはエメラルドグリーンの生地に花柄の刺繍があしらわれたものだった。
「……すごく可愛いと思います」
「どうして
ちゃんと質問に答えたのに何故か地団駄を踏む環奈。
「チラッととはいえ見えたのは事実だから嘘をついても仕方ないだろう?」
「わかった。
「不可抗力なのに理不尽な話だけど、お詫びとお礼を兼ねて全額お支払いせていただきますよ」
「お礼って何ですかぁ!?」
叫びながらポカポカと肩を叩いてくる環奈。地味に痛いからやめてほしい。というか周囲から向けられる視線もそろそろ痛くなってきた。このままでは入学初日から心身に甚大なダメージを負いそうだ。誰か助けてくれ。
「どうしよう、私のハンカチが……」
「どうしようも何も報告するしかないっしょ」
俺の心の叫びが天に届いたのか、二つの女子生徒の声が聞こえてきた。何かあったのだろう。一人は噴水の淵に手をかけた状態で座り込んでおり、もう一人はその姿を見て肩を竦めている。俺と環奈は様子を確認するために彼女たちの元へ向かうことにした。
「何かあったみたいだけど大丈夫ですか?」
噴水の前で逡巡している二人───子犬とその飼い主のような組み合わせ───に迷わず声をかける環奈。
「えっ……花園さん? いえ、別に大したことじゃないんですけど……」
環奈の登場に座り込んでいた子犬系女子がますます困惑する。環奈とリボンの色が同じところを見るに隣でため息をついている生徒も含めて同級生のようだ。
「この子のハンカチがさっきの風に煽られて噴水の中に落ちちゃったんですよ。ホント、どんくさいんだから」
呆れた口調で飼い主系女子が言いながら指差す先には白地に桜のアップリケがあしらわれた上品なハンカチが噴水の中で揺蕩っているのが見えた。
「……なるほど。そういうことでしたか……」
顎に手を当てながら話を聞いていた環奈は何かを悟ったのか顔付きが変わる。嫌な予感しかしない。
「そういうわけだから私達のことは放っておいてくれていいよ。先生か用務員さんに取ってもらうようお願いすれば済む話だし───ってちょっとあんた、何してるの?」
「ほへぇ? 花園さん、どうして靴を脱いでいるんですか?」
先ほど履き替えたばかりの革靴だけでなく靴下も脱ぎだす環奈。突然の行動に二人組が困惑するのも無理もない。俺の予感は的中したらしい。
「先生や用務員さんを呼んでくる必要はありません。私に任せてください!」
「ちょ、花園さん――――!?」
制止を無視して、環奈は噴水の淵に足をかけると躊躇うことなく噴水の中へと飛び込んだ。
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