第5話:幼馴染が何を考えているかわからない

 鬼門だった自己紹介を無難にこなし、簾田先生から明日以降のスケジュールの説明を聞かされたところで、入学式から始まった長い一日がようやく終了した。とはいえ俺にとってはここからが本番だ。


「なぁ五木。もしよかったらどっかで飯でも食べて帰らないか?」

「悪いな、和田。この後は野暮用があるんだ。また誘ってくれ」


 嬉しい申し出だが丁重に断る。たまたま前の席に座ったのが和田でよかった。見た目こそ刈り上げた短髪に大柄で筋肉質な身体つきで厳ついが、それに反してかなり面倒見のいい性格をしている。

 中学校の頃に天橋立学園に入学し、バスケ部に所属。昨年はチームを全国大会優勝に導いた天才で、高校でも活躍を期待しているよと和田が自己紹介を終えた後に簾田先生が付け足すほど。

 ただこのクラスには部活どころかいずれ日本中の期待を背負う才能を持つ女子生徒がいるわけだが。冷静に考えるとそういう奴が多い。自分の井の中の蛙ぶりを実感する。


「そうだよな。俺なんかより久しぶりに再会した幼馴染と話したいよな」

「そんなところだ。気を遣ってくれてありがとな」


 上京してきて学園のことを右も左もわからない俺を気遣って声をかけてくれたんだろう。無下にするのは気が引けるが、それ以上に俺は環奈の周りに人がいないことの方が気になった。

 聞けば環奈は小学生の頃から天橋立学園に入学していたそうで、その頃から一人でいることが多かったらしい。その理由が十数年前と同じものなのか。もしそうだとしたら今日までどんな思いで過ごしてきたのか心配で仕方なかった。


「環奈、一緒に帰らないか?」


 だから俺は帰り支度をしている環奈に声をかけた。その瞬間、教室に緊張が走る。ただ話しかけるだけで驚かれるっておかしな話だ。


「あっ、陣平君。もちろんオッケーですよ! ちょうど私も誘いに行こうとしたところだったから先を越されちゃいました」


 えへへと笑顔で言いながら環奈は立ち上がった。昔のように腕を組んできそうな勢いだったが、直前で両手を後ろに組んで思いとどまる。よかった、そのままくっつかれたら空気が凍りついたに違いない。俺は心の中で安堵のため息を零す。


「どうしました? ぼぉーとしていますが大丈夫ですか?」

「環奈と違って俺はまだこっちの空気に慣れていないからな。ちょっと疲れただけだよ」

「フフッ。さすがの陣平君も都会の空気にやられちゃったみたいですね」


 すっかり都会の色に染まっているが自分も俺と同じド田舎出身だってことを忘れたわけじゃないよな。なんてことを考えながらジト目で幼馴染を睨む。


「そういうことだったらゆっくりできる場所に移動しましょうか。いいお店が近くにあるんです。案内しますね!」


 完全に無視された。しかも俺をおいてすでに扉の方へと歩き出している。なんて薄情な幼馴染なんだ。涙が出る。


「……そいつは助かる。積もる話もたくさんあるしな」

「私も陣平君に話したいことがたくさんあるます。でもその前に。この場で一言だけ言わせてもらってもいいですか?」


 足を止め、振り返る環奈。心のなしか声のトーンは下がっており、浮かべている笑顔からはプレッシャーを感じる。嫌な予感しかしない。


「……お手柔らかにお願いします」


 ごくりと生唾を呑み込みながら言葉を待つ。たっぷり一拍の間を置いてから、環奈は俺に詰め寄るとネクタイをぐっと掴んでこう言った。


「手紙の一通や二通くらい、送ってくれてもよかったと思うんだけど!? 思うんですけど!?」


 大事なことだから二回言いました、と付け足す環奈。

 長い睫毛、ぷっくら柔らかそうな桜色の唇。髪からふわり甘い香りが鼻腔に届いて心臓がドクンと高鳴る───ってそうじゃない。

 書かなかったわけじゃない。書こうとしたことは一度や二度じゃない。ただそのたび筆が止まってしまっただけのこと。なにせ環奈がいなくなってからは代わり映えのない退屈な日々だったから。


「いやいや! それを言うなら環奈だって一度も手紙をくれなかったじゃないか。こっちでの生活とか、俺より書けることはたくさんあると思うけど?」

「そ、それは……陣平君から着たら返事をしようと思っていたですぅ!」


 誤魔化すようにあっかんべぇをする環奈。自分のことを棚に上げて文句を言うとはなんて卑怯な奴だ。


「はい! この話は終わりです! さくさく移動しますよ! 遅れずについてきてくださいね!」

「環奈から話を振ってきたのにそれは卑怯───ってちょ、いきなり走るな! まだ土地勘ないんだから置いて行かないでくれ!」


 慌てて環奈の後を追いながら、しかし過去とは立場がまるで逆になっていることが何故か面白くて嬉しくて。自然と笑みが零れる。


「陣平君、何を笑っているんですか?」

「いや、随分立派になったなって思ってさ」

「……それはどこを見て言っているんですか?」


 そう言って恥ずかしそうに己の身体をさっと両手で隠す環奈。まるで俺がいやらしい目をしているかのような言い方は誤解を招くだけだからやめてほしい。というか胸の前で手をクロスさせているせいでたわわな果実が逆に強調させる結果になっているからやめた方がいいと思う。


「……陣平君のエッチ」

「俺は何も言っていないんだけど!?」


 理不尽が過ぎる。ただ頬をわずかに赤らめつつ唇を尖らせている環奈の可愛さは幼馴染補正を抜きにしても可愛かった。俺じゃなかったら惚れていたな。

蔵頭露尾ぞうとうろびな陣平君も悪くありませんが、TPOは大事だと思いますよ? そういうのは二人きりの時にしてください」

「頭も尻もちゃんと隠しているからな! そもそも幼馴染をそういう目で見るわけないだろうが……」

「むぅ……馬耳東風な陣平君は嫌いです」 


 何故か拗ねたようにぷいっとそっぽを向いて再び歩き出す環奈。困ったぞ、幼馴染の感情がまったく読めない。もしかして思っていた以上に俺と環奈の間には深い溝があるのかもしれない。


「……まぁこれから埋めていけばいいだけの話だよな」

「もう! 何をしているの、陣平君! 早く来ないと本当に置いていっちゃいますよ! 迷子になっても知りませんからね!」


 ぷんすかしている幼馴染をこれ以上怒らせないために、俺は駆け足で彼女の隣へと向かうのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る