第2話:今日から高校生
時間はあっという間に流れて桜が咲き誇る四月。迎えた入学式。
俺は今、これから三年間通うことになる天橋立学園の校門の前に立って感慨に耽っていた。
「ホント、葛城先生には感謝しかないな」
進学予定の高校が廃校になったと聞いた時は目の前が真っ暗になったが、頼れる担任のおかげで無事に高校生になることが出来た。
「こっちでの生活のこととか色々手伝ってくれたのもありがたかったな。裏がありそうでちょっと怖いけど」
入学手続きから引っ越しの準備だけでも十分なのに、新生活に必要な家具や家電を〝合格祝い〟だと言って買ってくれた。特に男子高校生の一人暮らしには勿体なさすぎる高級モデルの洗濯機には目が飛び出るかと思った。
さすがにただの中学の担任にそこまでしてもらうわけにはいかないと爺ちゃんと断ろうとしたのだが、
『気にしないでください。五木君のおかげで臨時収入が入ったんです。これくらいのことはさせてください』
無駄にキラキラとした笑顔で言われてしまい、あれよあれよとしているうちに会計まで済まされてしまった。俺のおかげという臨時収入の正体が気にはなったが、何故か恐怖を覚えて聞けなかった。
「おかげで不自由はしなくて済みそうだけど……いつかちゃんと恩返ししないとな」
時間はかかるかもしれないが絶対にしよう。そう心に誓いながら俺は校門をくぐって学園の中へと足を踏み入れる。
その瞬間、空気が変わった。そんな気がした。息が苦しくなるというか密度が濃いというか、これまであまり経験したことがない感覚。強いて例えなら爺ちゃんと山で熊を狩った時か。一歩間違えればこちらが狩られる、この感じに近い。
「ふぅ……雰囲気に飲まれるな、俺。大丈夫、ここでもやっていけるさ。多分、きっと、maybe……!」
深呼吸をしながら逸る心臓を落ち着かせる。入学式も始まってすらいないのにこの調子では三年間乗り切るなんて不可能だ。それにこんな情けない姿を幼馴染に見せるわけにもいかない。
「環奈か……一体どんな風になっているんだろうな。会うのが楽しみだ」
十数年前を最後に一度も会っていない幼馴染。お互い友達がいなかったことと家族ぐるみで仲が良かったこともあって毎日のように遊んだ女の子。子供ながらにこの先もずっと、それこそ死ぬまで一緒だと思っていたのだがまさか離れ離れになるなんて。
当時から精緻な人形のように可愛くて、母も〝環奈ちゃんは将来間違いなく美人になるわ。陣平、逃したらダメよ?〟と鼻息を荒くして言うくらいだった。
「引っ越しの時は大変だったよなぁ。前日の夜から大泣きして止まらないし、寝る時も抱き着いて話してくれないし。当日も当日で───」
『嫌だぁ! 陣平君と離れ離れになるなんて絶対に嫌! こんなの
両親に泣きながら抗議をしていた姿は鮮明に覚えているし、思い出すだけで自然と笑みが零れてくる。小学校入学前の子供が難解な四字熟語を使って駄々を捏ねるのは冷静に考えると不気味ではある。
それはさておき。再会に際して当然ながら不安もある。いつか会おうと約束しておきながら電話や手紙など一切連絡をしてこなかったのだ。
「忘れていられたらどうしよう……ショックで立ち直れないかも」
その可能性を考えるくらいには時間が経っている。当然だが子供の頃から成長もしているのでそもそも気付かれないかもしれない。声をかけたらゴミを見るような目をされたら心が折れる自信がある。
「まぁその時はその時だ。またゼロから関係値を築いていけばいいさ」
自分に言い聞かせながら歩く。向かう先は式が行われる体育館。無駄に広い敷地に校舎に講堂、グラウンドなど色々な施設があるので、事前に届いた案内状を見ながらじゃないと間違いなく迷子になっていた。
「小学校から大学まであるとはいえ広すぎる。これが都会の学校か。恐ろしいな」
独り言ちながら俺は見かけたベンチに腰掛ける。幸いなことに入学式までまだ時間はある。入り口付近は新入生とその親達でごった返している。少し休憩していくか。中に入るのは人込みが落ち着いてからでいいだろう。
「結局父さんと母さんは仕事で来られなかったか……」
寂しいという感情が湧かないと言ったらウソになるが、同時に今更期待しても仕方のないことだとも思っている。小学校の卒業式。中学校の入学式とその卒業式。三者面談や授業参観、全部来てくれたのは爺ちゃんだった。
「爺ちゃんには来てほしかったけど、さすがにこっちまで来るのは大変だよなぁ」
今も狩猟シーズンになると山に入っては鹿やイノシシ、時には熊さえも仕留めてしまう現役のマタギだがさすがに年齢には勝てない。こんなことを言うと年寄扱いするなと怒られるが、入学式のためだけに長距離移動を強いるのは心が痛い。
「うじうじしてしょうがない。晴れ舞台はこの先まだあるし、元気出していこう」
そう自分に言い聞かせながら、俺は顔を上げて親に見送られながら会場に入っていく同級生たちに視線を向けると、みな不思議と自信に満ちた顔をしていた。そこに不安や焦燥といった類の感情は一切ない。
「……みんなすごいな」
いけない。胸の奥に片づけたはずの弱気がまた這い出てきた。俺だって試験に合格してこの場にいるんだ。つまり立っている土俵は同じ。なら臆することは何もない。上京する前日に葛城先生からも、
『雰囲気に飲まれるかもしれないがビビることはない。五木ならあの学園でもやっていけるさ。常に最強の自分をイメージするんだよ』
とよくわからない激励の言葉と共に背中をバシッと叩かれたじゃないか。田舎の模試とはいえ一位になったこともあるんだし、きっと大丈夫。
「よしっ……そろそろ行くか。さっさと環奈を見つけて驚かせてやろう」
重たい腰を気合いで持ち上げて俺は体育館へと足を向ける。地元では見たことないくらい大勢の人の中から今の顔を知らない一人の人間を探し出すのは、某絵本の赤白の服を着たひょうきん物を探す遊びより困難かもしれない。
けれど頭では難しいとわかっていても男にはやらなければいけない時がある。今がまさにその時だと見定めて心の中で思い切り鞭を打つ。
「まぁ同じクラスみたいだから今無理に探さなくても別にいいんだけど」
式が終われば教室に移動してオリエンテーションがあるので勝ちは確定しているようなもの。気楽に探そう。
なんて気の抜けた考えでは優に百を超える新入生の中から幼馴染を見つけることなどできるはずもなく、開始の時間を迎えたのだが───
「……マジかよ」
思わず俺の口から驚きの声が漏れる。
無駄に長いだけで身にならない校長先生のお話や来賓の挨拶、さらに現生徒会長から入学おめでとうの言葉を貰った後にそれは起きた。
『新入生答辞───花園環奈さん』
「───はい」
静寂な体育館に凛とした声が響き渡る。
立ち上がり、壇上に向かって歩き出す一人の女子生徒にその場にいる全ての者の視線が集中する。
手入れの行き届いたウェーブのかかった亜麻色の髪が照明を浴びて光沢を帯びている様は、さながら夜空を埋め尽くす星々のよう。透き通るような乳白色の肌は穢れを知らない天使のそれだ。整った鼻梁に長い睫毛、可愛らしさと意志の強さを内包した大きな瞳。神様がこの世の美を集結させて創造したと言っても過言ではない美女がそこにいた。
「あの子が本当に俺の幼馴染の花園環奈、なのか?」
かつて俺の背中からくっついて離れようとしなかった泣き虫な女の子の面影はなく、名画から飛び出して来た女神様へと変貌を遂げていた。
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