第1話:進学予定の高校が廃校になった件

 寒さが和らぎ、山の雪もようやく解けてきた三月初旬。

 俺、五木陣平いつきじんぺいは祖父のイノシシ狩りの手伝いをして帰宅したら、15歳にして人生の岐路に立たされてしまった。

 その原因は中学の担任からの一本の着信。留守番電話に残されたメッセージを聞いた俺は着のみ着のままで急いで学校へと向かった。


「俺が進学するはずだった高校が廃校になったってマジですか、先生!?」

「おや、五木じゃないか。これはこれ随分と早いお着きだね」


 息を切らして俺が駆け込んできたのを見てわずかに驚きつつも呑気にコーヒーを飲みながら尋ねてくる妙齢の女性。この人が俺の担任の葛城夏海かつらぎなつみ先生。

 長閑な土地と言えば聞こえはいいが、その実態は超とドが同時に頭に付く田舎町。若者よりもお年寄りの方が圧倒的に多く、生徒の数も両手で数えきれてしまうような場所に突如赴任してきた変わり者の美人教師である。


「てっきり来るのは日が落ちてからだと思っていたんだけどね。もしかして今日の狩りは上手くいかなかったのかい?」

「しっかり一頭仕留めましたよ! うちの爺ちゃんを舐めないでください───って今はそんな話をしている場合じゃありません!」

「元気があるのはいいことだ。ノリツッコミも上手くて大変よろしい」

「よろしいことなんてありませんよ! 高校が廃校になったら俺の進路はどうなるんですか!?」


 自分の生徒が将来について不安と焦りを感じているのに能天気すぎないか。降ってわいた事態とはいえ、頼みの綱なんだからしっかりしてくれないと困る。


「焦ってもいいことはないよ。泰然自若。静かなること林の如く。こういう時こそ心を落ち着かせることが大切だ」

「確かに焦りは最大のトラップって言いますけど、今は疾きこと風の如くじゃないと手遅れになりませんか?」

「ハッハッハッ! 何を言っているんだい、五木。もう手遅れに決まっているじゃないか。普通の高校はどこもとうの昔に入試は終わっているよ」

「血も涙もないなぁ!? あんたそれでも俺の担任かよ!」


 やれやれと呆れた様子で肩を竦める葛城先生。薄々わかっていたことではあるがこうもはっきり宣告されるとは思わなかった。俺の心はボロボロだ。


「五木にしては珍しくせっかちだな。私が〝普通の高校〟はって言ったのを聞き逃したのかな?」

「……それじゃまさか?」

「まだこの時期でも入試をやっている高校はあるんだよ。まぁちょっと変わった学校ではあるんだけど」


 どこか得意気な顔で言いながら、葛城先生は机の引き出しから一枚のパンフレットを取り出した。


「私の母校、天橋立あまのはしだて学園。進学するはずだった高校より偏差値はちょっとばかし高くなるけど、ここならまだ試験はやっているし、五木なら合格できる。OGで担任の私が保証する」


 珍しく真剣な表情で話す葛城先生。パンフレットを受け取り、パラパラとページを捲る。中学生の頃に起業して年商数億の売り上げを叩き出す社長や日本女子短距離の歴史を変えることになる逸材などが在校生にいるらしい。すごい学校だな。


「天橋立学園は通常の入試とは別に盆暮れ正月を除いた一年間、入学を希望する学生のための試験を実施しているんだよ。いつでも転入、編入できる通信制の高校みたいなイメージかな?」

「でもそれって転校生や編入生を受け入れる時の話ですよね? 俺の場合は新入学なので状況が少し違うんじゃないですか?」

「そこもこの学校が変わっているところでね。様々な事情で試験を受けることが叶わなかった受験生に対して救済措置を設けているんだよ。その試験がちょうど明後日にある」

「その試験に受かれば浪人しなくて済むってことなんですね?」


 どん底で頭を抱えているところに垂れてきた一筋の糸。これを掴まないという選択肢があろうか。いや、ない。けれどそうは問屋が卸さないとばかりに葛城先生の表情がわずかに曇る。


「ただいくつか問題もあってね。最たるものだと、入学するってなったら上京しなくちゃいけなくなる」

「……え?」


 間抜けな声が漏れる。こんな形で生まれ育ったこの場所を離れる決断を迫られることになるとは思ってもみなかった。


「受験する気があるなら必要な手続きとか諸々は私の方で全部引き受けよう。試験まで時間はないけどご家族とよく話し合うんだよ?」


 葛城先生の提案はどん底から這い上がるためにもたらされた一筋の糸。これを掴んで合格することが出来れば高校浪人せずに済む。だが問題はその後。都会の高校に行くとなると当然ここから───爺ちゃんのもとから離れることを意味する。

 海外で仕事をしている両親にかわって俺をここまで育ててくれた爺ちゃんを残して離れるのは心が引ける。


「五木が悩む気持ちはよくわかる。簡単に踏ん切りがつかないのもね。その背中を押すきっかけになるかはわからないが……この学園にはお前の幼馴染の女の子が通っているよ」

「……ん? 幼馴染? それってもしかして環奈のことですか?」


 幼馴染と言われて思いつくのは一人しかいない。近所に住んでいた同い年の女の子でよく遊んでいたけど、ご両親の仕事の都合で引っ越してしまった。もう十年以上近く会っていないけれど顔もしっかり覚えている。


「そうそう、その子。確かフルネームは花園環奈はなぞのかんなだったかな? 彼女もこの学園に通っているんだよ。どう、嬉しい?」

「嬉しいかどうかで言えば嬉しい方ですけど、向こうが覚えているかどうか……」


 なにせ彼女のが引っ越してから一度も連絡を取っていないのだ。まだ子供だったからスマホなんて上等なものは持っていなかったから連絡先は知らないし、手紙も送ろうとしてはやめてを繰り返して今に至っている。そんな薄情な幼馴染のことを覚えているとは思えないが、会いたい気持ちがあるのもまた事実。


「その辺はキミの努力次第じゃないかな? 五木、頑張るんだぞ☆」

「……色々台無しだよ」


 高校進学。幼馴染との再会。もしも爺ちゃんにこのことを話したらなんて言うだろうか考える。


「五木のお爺さんとは何度か会ったことがあるから最低限の人となりは知っているつもりだ。だからきっとこう言うんじゃないかな───」


〝儂のことは気にせず都会の空気を吸いに行け〟


「───さすが先生。爺ちゃんのことをよくわかってる」


 葛城先生が口にしたことを、俺は常日頃から一緒に暮らしている爺ちゃんから耳にタコができるくらい言われていた。

 一人にする不安がないと言えばウソになる。でもそれを言うと〝年寄扱いするな! 儂はまだ現役だ!〟と怒られる。元気が有り余っているのはいいことだけど、もうすぐ八十になるんだから身体には気を付けてほしい。


「ありがとう、先生。俺、その学校の試験受けることにするよ。爺ちゃんもきっと笑って許してくれるはずだから。それより問題なのは住む場所をどうするかだよ」


 お金の面の不安もあるが、何よりまずは生活拠点を確保しないことには始まらない。高校三年間を公園で過ごすわけにはいかないからな。


「そのことなら問題ないよ。私がニコニコ現金一括払いで購入したアパートに空きがあるからそこに住むといい。学園に歩いて行ける上に築浅の、学生の一人暮らしには贅沢な物件だよ」

「……先生って一体何者なんですか?」

「フッフッフッ。女は秘密を着飾って綺麗になるものなんだよ」


 どこぞの金髪ハリウッド女優の決め台詞をドヤ顔で口にする葛城先生。様になっているのが悔しい。

 俺はため息を吐きながらパンフレットを机の上にぽいっと投げる。真面目な話をした後は必ずふざけないと死んでしまう病気にも罹っているのだろうか。感謝の気持ちもこれでは台無しだ。


「でも先生。チャンスをくれてありがとう。俺、精一杯頑張るよ」

「気負うことはない。普段通りの力を出せば五木なら余裕で合格できるはずさ。キミはこれまで私が出会ってきた人間の中でも飛びぬけて優秀なんだからね」

「お世辞でも嬉しいですよ、先生」

「お世辞じゃないんだけど……まぁいい。一応過去問を渡しておくから目を通しておきなさい。試験当日は学園まで私が車で送ろう。詳しいことはまた後で連絡するよ」

「何から何までありがとうございます。それじゃ俺はそろそろ帰ります。爺ちゃんにも一応説明しないといけないですから」


 ついでに海外にいる両親にも報告しないと。時差を考えたら電話をするのは明日の朝かな。なんてことを考えながら踵を返して俺は職員室を後にする。



 *****



 職員室から出て行った出来が良すぎる教え子の背中を見送った私───葛城夏海───は、肩を竦めながらため息を吐いた。


「ハァ……今日の五木はやっぱりせっかちだな。私の話はまだ終わっていないのに帰りやがって」


 五木が進学するはずだった高校が廃校になったと報告を受けたのは今朝のこと。突然の事態に担任の私だけでなく、その時職員室にいた教師全員が面食らったのは言うまでもない。


「だが私にとっては好都合だったな……フフッ、そんなこと言ったら五木に怒られるかもしれないけど」


 五木が机の上に置いて行った天橋立学園の学校案内を手に取る。


「パンフレットも見ていたみたいだけど、肝心なところを見落としているし。まぁさすがのあいつも動揺していただろうから無理もないか」


 パラパラとめくっていたようだが、1ページ目に書かれている文言こそが彼に伝えそびれた一番大事なことである。


「〝天才達よ、集え〟か。母校のことを悪く言いたくはないけど、よくもまぁ恥ずかしげもなく書けるものだ」


 こういった煽り文句を学校紹介の冊子に載せないでもらいたい。共感性羞恥が爆発してしまう。

 だがこの言葉に嘘はない。天橋立学園は小中高大のエスカレーター式の学校で日本でもトップクラスの名門校だ。卒業生の中には政治家や世界的に有名な研究者やアスリート等がたくさんいる。

 それ故にごく一部の限られた者にしか受験することすら許されないので、不運な形で陥った高校浪人の危機からを救うためとはいえ普通ならまず薦めない。


「まぁ五木なら問題ないか。あいつのことだ、下手をすれば最高得点をたたき出して特待入学するかもな」


 生粋の田舎生まれの田舎育ちだが五木陣平は普通ではない。平凡だと思っているのは本人だけ。そもそも私は最初からあいつに天橋立学園を受験させるつもりで進路相談の時に他の学校に混ぜてパンフレットを渡していたのだ。まぁ見向きもされなかったが。


「クフフッ。外部からの受験生が、それも救済措置の試験を受けて特待生になったらパニックになるだろうな」


 教師陣が十数年ぶりの快挙に沸き立つのか困惑するのか。どんな反応をするのか直接拝めないのは非常に残念だ。


「さて、私も準備を進めるとするかな。まずはクソ恩師に電話をして───」


 そして数日後。

 私の予想した通り、五木陣平は日本中の才ある者達が集まる学園の試験において歴代最高得点をたたき出して見事に合格した。いくら何でも学園の歴史に名を刻むような点数を取るのはやりすぎだぞ、馬鹿者が。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る