幸せと動揺

え・・・映画!?

自分の耳に飛び込んできた言葉を理解するのに、数秒かかってしまった・・・

私のポカンとした表情をみて誤解したのだろう。

西館君は(しまった)と言うようなバツの悪い表情になり、顔をそらした。

「あ、ごめんなさい!さっきのは忘れて!・・・ください。マジですいません」

何度も頭を下げると、慌ててキッチンに戻ろうとしていたので、今度は私が慌てて声をかける。

「え?あ・・・待って!」

しまった。焦りすぎて素の声が出ちゃった。

動揺しながら両手で口を押さえたけど、彼は気付いていない様子で振り向いた。

「あの、あの・・・よ、よろしくお願いします。あの・・・えっと・・・ぜひ」

その途端、彼は泣きそうな表情で微笑んだ。

「マジか・・・こっちこそよろしくお願いします。あの、これ俺のラインのID。また連絡します。えっと、俺の名前は西館淳と言います。清開高校の一年です」

うん、それは充分すぎるほど知ってる・・・

さらに彼は続けた。

「良かったら名前を・・・」

名前!しまった、考えてなかった。

「あの・・・その・・・瀬川佳子(せがわ よしこ)って言います」

なんてひねりの無い。

もっと可愛い名前が良かったのに・・・

内心身もだえしていると、西館君は嬉しそうに言った。

「瀬川さんか。いい名前ですね、あなたに似合ってます。えっと、好きな映画とか・・・あ、すいませんお客さんだ。じゃあまた後で連絡します」

嬉しさを抑えきれない、と言う感じで彼は入り口へ歩いて行った。

最も、私の方だってそれは負けてない。

映画って・・・

ああ、ニヤつきが抑えきれない。

心臓が心地よく鳴り響く。

その鼓動に身を任せながらマロンティーを飲む。


マロンティーとクッキーを頂き、ホッと一息つくと我に返ったせいか今度は不安が押し寄せてきた。

どうしよう・・・

今まではカフェという限定された場面で、人の目も少ない場所。しかも挨拶程度しかやり取りもない。

いささか物足りなさはあるものの、だからこそまだこんな大胆なことが出来た。

でも、映画は・・・完全にデート。

誘ってもらう事は天にも昇る心地だし紛れもなく自分を異性、しかも相応に良い感情を持ってくれている異性であることの証拠ではあるけど・・・

ごまかしきれるのかな。

ボロが出て、もし正体がバレたらご免なさいじゃすまない。

それにどんな会話をしよう。

嬉しさと不安で混乱しきってしまった私は、マロンティーを一気に飲み干すとむせ込みながらお店を出た。

た、高い声、高い声・・・

彼からもらったラインIDのメモを宝物のように財布に入れて、携帯を取り出した。

こういうときは佐和子さんに相談しよう。


「いいんじゃない?普通にしてれば」

迎えに来た佐和子さんと入ったファミレスで、ハニーパンケーキを食べながら佐和子さんは素っ気なく言った。

「え?普通って・・・」

その「普通」が分からないから相談してるのに。

私の不安げな表情に気付いたのか、軽くため息をつきながら言った。

「普通は普通。下手に取り繕ったってそれこそバレるよ。そんな想定問答集用意してる訳じゃじゃないんだから」

「じゃあ今から作って・・・」

「やだ。そんな大変なこと。そもそも時間ないでしょ」

「お願い!佐和子さんしか頼れる人がいないの」

佐和子さんは目を見開いて私の顔をじっと見た。

「やだ・・・口調まで変わってるじゃない」

あ・・・

そうだ。

言われてみれば。

この格好でずっといると、何というか・・・感覚が微妙に変わってくる。

でも、それは決して悪くない。むしろある種の心地よさを感じるものだった。

それに2時間後に迫る西館君との待ち合わせ時間への気負いもあるんだろう。

「・・・じゃあ、一つ条件がある」

「何!何でも言って」

「明日って暇?一日私に付き合って欲しいの。その格好で。オッケーなら作ってあげる。想定問答集」

「付き合うって、どこに?」

「それは着いてのお楽しみ。明日は私講義は無くてバイトも休みだから、午前中から迎えに来るよ。そしたらまずは私のアパートに行こ」

もう時間が無い。内容を深く詮索する事もなくコクコクと頷いた。

佐和子さんは満足そうに微笑むと言った。

「オッケー、契約成立。じゃあ始めようか」

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