西館くん

 西館君は、サービスで出るハーブティーのカップと小皿に乗ったクッキーを置くと、僕を見て優しい笑顔で言った。

「ご注文はよろしいでしょうか」

「あ・・・マロン風味の紅茶を」

そう言った後、出来るだけ上品に見えるように、両手を膝の上で重ねるとゆっくり頭を下げる。

「かしこまりました」

彼も優しい口調で答え、同じく静かに頭を下げると、キッチンへ戻っていった。

会話、と言うにはあまりにもささやかな時間。

それでも嬉しかった。

彼は僕のことを・・・女の子として、異性として見ている。

それだけでたまらなく胸が暖かくなる。

それに・・・もしかしたら内心では、僕を見てドキドキしてくれているかも知れない。

そんな空想をしているだけで、満たされた心地になりホッとため息をつく。


初めて西館君のことを知ったのは、中学校の頃だった。

3年で受験を控えてピリピリしていた僕は、図書室で勉強していたが煮詰まっているのか中々思考がまとまらなかった。

そんな状態に苛ついてしまい、ため息をついて図書室を出た僕は何気なく校庭に向かった。

特に意味は無く、何となく足が向いたのだ。

そこは時間も遅かったせいか生徒もいなかった・・・と思ったら1人居た。

その彼は、ユニフォームを着て誰も居ない薄暗いグラウンドをひたすら走っていた。

どうやら野球部らしい。

飽きること無く走る彼を僕も同じく飽きること無く見ていた。

走るのが苦手な僕からすると、信じられないような苦行だったが彼は黙々と続けた。

やがて、走り終わった彼はグラウンドの端に向かうと、置いてある水筒を開けて飲み始めた。もう帰らなきゃ。

そう思いながらも彼から目を離せなかった。

何かを継続することが苦手な僕。

空手もイヤイヤやっていて、高校受験を口実に辞めてしまった自分。

そんな半端な自分に無いものを見ていたのかも知れない。


彼はやがて僕に気付いて軽く頭を下げた。

礼儀正しい人だな、と思いながら僕も頭を下げる。

「何か用?」

彼の声は中学生にしては心地よく響く深く低い声で、僕の耳にくすぐったいような気持ちよいような不思議さで染み込んだ。

「あ、いや・・・頑張ってるなって」

なぜだかたまらなく恥ずかしくなってしまい、俯きながらポツリポツリと小声で返答する僕に、彼は笑いながら言った。

「頑張ってないよ。やらないと不安だからやってるだけ。気が小さいだけだよ」

努力する、と言うことをそんな風に言う人は初めてだった。

変わった人だな・・・でも。

なぜか彼の言葉からたまらなく大人の響きを感じた。

それが彼・・・西館君との出会いだった。


それから気がつくと彼の姿を探すようになっていた。

放課後もワザと残っては彼1人になるタイミングを見て、さりげなく帰るふりをしては彼の姿を見た。

嫌なことや不安なことがあっても、西館君の姿を見ると安心し、彼と言葉を交わせたときは気分良く帰る事が出来た。

それをある日佐和子さんに話すと、興味なさそうにポツリと「変わった子だね」と言うのみだった。

それから中学校を卒業し、高校に入学した僕は思わぬ形で西館君を見ることになる。

それが僕が学校に通えなくなった一件だった。

西館君が苦しんでいる姿を見たとき、後先を忘れてしまい気がついたら上級生が倒れていた。大変なことをしたと言う後悔もあったけど、それ以上に彼を守れた満足感が大きかった。

その後、僕は家に籠もるようになったけど、前から興味があったカフェ巡りは続けたかったので、少ないお小遣いの中からやりくりしてカフェ代を捻出して、近所を中心に何カ所か通うことにした。


夕方頃に入ったそのお店で西館君を見たときは心臓が止まるかと思った。

そして、逃げるように注文もせずにお店を出た。

彼にだけはこんな自分を見られたくない。

でも、どうにかして彼と話がしたかった。

彼は野球部にいるはず。

なのに、何であんな時間にカフェでバイトしてるんだろう?

それをどうしても知りたいと思うと共に、もう一つの考えも浮かんだ。

西館君と話がしたい。

それはまるで夏の日の夕立のように、突然前触れも無く心を覆った感情だった。

一旦思うと止まらない。

でもどうすれば・・・

その時、佐和子さんの顔が浮かんだ。

そして・・・

そう。僕にはあれがあった。 

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