美人の娘さんは……

「つまりここで展開をすると――」


 数学の授業。

 教壇に立っているのは、このクラスの担任である冷酷な魔女だ。


 彼女が授業をやる時、クラスメイトはいつもより集中して臨む。


 他の授業ではもっと賑やかだったり、少し話している人がいたりするのだが、冷酷な魔女の授業でそれをしたら何をされるか分かったもんじゃない。


 成績を下げられるのはもちろんのこと、噂では魔女が巣窟としている旧視聴覚室で拷問を受けるとか……。


 いやいやどんな噂だよ。

 絶対高校で流れるもんじゃないだろ。


「それじゃあこの問題を、椎名君」

「えっ?」


 突然名前を呼ばれて小さく声が漏れる。


「何その反応は。授業を聞いて無かったというの?」

「あ、そういうわけではなくて……」


 しまった! 完全に油断していた!

 それもこれも、魔女は生徒を指名して問題を答えさせることを殆どしないからだ。


 まさか今日が指名する日だとは……。しかも俺という。

 

 もしかして今日厄日なのかな……。


「なら早く答えなさい」

「えっと……」


 有無を言わせないような声色に、俺は立って黒板を見つめる。

 そこには三角関数の問題が書かれているが、正直に言ってちんぷんかんぷんだ。


 なぜなら俺は数学が大の苦手だから!


「えっと……えっと……」


 小さく声を出しながら必死に考える。

 背中は緊張と焦りで出た汗でびっしょりだ。ちなみにダジャレではない。


「もういいわ。減点1ね」


 痺れを切らした魔女は、呆れたように息を吐いて何かをメモする。

 

 ああ……。1学期の数学終わったな。

 

 夏休みの補習を覚悟した瞬間であった。


 ◆◆◆


「おっ、ちゃんと帰ってきたな」

「……めちゃくちゃ逃げ出したかったけど」


 帰宅するとまさかの父親が先に帰っていた。

 いつもは俺の方が早いのに。


「ちなみに何時くらいに来るって?」

「17時って言ってたぞ」

「あと15分か……」


 掃除でもしようかと思ったが、リビングはごみ一つ落ちていないほど綺麗だった。

 いつもは馬鹿みたいに汚すのに……。


 さすがにこういう時はちゃんと気を遣えるのか。


「栄一、覚悟はできてるか?」

「何の覚悟だよ」

「そ、そりゃあもちろん! お相手の方が家に来る覚悟だよ!」

「あんたの方ができてねぇじゃねえか! めちゃくちゃ手震えてるぞ!」


 俺の肩に置いて来た父親の手が、スマホのバイブ並に揺れている。

 

 その時、家のインターフォンが鳴り響いた。


「ほら父さん。来たんじゃないの?」

「そそそそそそそそ、そうだな……! でででででで、出迎えに行かないと……!」


 マジでめちゃくちゃ緊張してるじゃん。

 足と手、同じのが出ちゃってるじゃん。


 そんな父親の後ろをついていきながら、俺も玄関へと向かった。


「博文さん、お待たせしました」

「いやいやいやいや花子さん! 全然待ってませんよ!」


 玄関を開けて立っていたのは、『淑やか』が似合いそうな女性だった。


「……栄一君?」


 俺のことに気づいた花子さんは、距離感を計るように声をかけてきた。


「よ、よろしくお願いします……!」


 俺はどこか照れくさく、小さく挨拶を返すのが精一杯だった。

 視線を迷子にしていると、俺はあることに気が付く。


「あれ、娘さんがいるって……」


 事前にそう言われていたのだが、今は花子さんの姿しか見えない。


「冷華は急に仕事が入っちゃったみたいで、少し遅れるみたいなのよ……」

「冷華……?」


 恐らく娘さんの名前だろうが、聞き覚えのあるものだったので思わず反応してしまった。


 そう、『冷華』というのは俺のクラスの担任。


 『冷酷な魔女』と言われる教師の名前は、水城冷華というのだ。


 でもまさかそんな偶然はないだろう――


「すみません! 遅くなりました!」


 その時、一人の女性が息を切らしながら走ってやってきた。

 見慣れた黒髪、そして見慣れたスーツを着て。


「私とついさっき来たところよ。あ、栄一君。これが私の娘の冷華よ」


 知ってる。だって、殆ど毎日のように会ってるから。


 向こうも俺のことに気が付いたらしく、大きく目を開けながら見ている。

 

「冷華……先生?」

「椎名……君?」


 この日、冷酷な魔女と言われている担任の先生は、俺の義姉になった。

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