第5話 午前の部
酒保しゃんぜりぜ
アラームが鳴る。
俺は重ったるい瞼を開けて、カーテンの隙間から入りやがる朝日を睨みつけた。
朝だ。学校だ。
そそくさと着替えて、支度をする。
○
電車通学で1番の悩みは、個人的には『忘れ物を取りに帰れないこと』だ。
ここ静岡は、大して都会な街ではない。なので、電車が縫い目のように連続発車されるこもはない。
一度取りに帰ったら、確実に遅刻する。
まぁそんなことはどうでもいいのだ。そもそも忘れ物なんてしなけりゃいいからな。
忘れ物をしなければ。
俺は家から歩いて、最寄りの新静岡駅に向かった。
この時間帯の新静岡駅は、それなりに混む。スーツ姿の人、制服姿の人、たまに見かけるメイド服の人。色々だ。
「おはよう」
駅のホームで電車を待っていると、声をかけてきた奴がいた。
クラスメイトの、『
短い黒い髪を頭に生やした、バレー部のエース。でも頭は悪い。
「おはよ」
彼は身長が高いので、俺は若干見上げて挨拶をした。
「本日1発目、頼む」
彰人は俺の横に立って懇願した。
「いや、そんなすぐに思いつかない」
俺は目線を合わせず拒否をする。
「頼むよ。お前のそれがないといい朝迎えられねぇ」
「そんなこと言われたってなぁ…」
「わかった。お題は『今日の数学の小テスト』な」
俺は少し考える。小テスト…小テスト…数学…数学…
「はい、調いました」
「はい」
「今回のお前のテスト用紙と掛けまして、健康なご老体と解きます」
「その心は?」
「どちらも、『しき(式・死期)』がないでしょう」
「……ふははは!!ははは!!!」
狂ったように彼は笑う。これが果たしていい朝なのだろか。
よく見ると、俺の周りにいる人々もクスクスと笑っていた。これは微笑ましい図と感じるべきか、それとも恥ずかしい図なのか。
「ありがとう零二。今日も強烈だった……ッッ」
語尾に笑いを引きずらせながら、彰人は俺の肩を叩く。入学初日にこの芸をやってから、既に2ヶ月ほどこの行事は行われている。
そんなこんなで、電車が来た。
車内はそれなりに窮屈だ。ここは始発駅なので、頑張れば座席に座ることもできるが……まぁ若者がそんなことをするのは見苦しい。
俺と彰人は、ドアの近くで吊り革に掴まった。
電車はゆっくりと進み、磁励音を轟かせて東へ向かう。
「そういえばさっきな———」と、彰人は切り出す。
「そういえばさっきな、お前俺のテスト用紙が、式が無いって言ってただろ」
「おん」
「あれ間違いだから。俺今回勉強しまくったから」
「本当かよ」
彰人が毎回再テストを受けていることを、俺は知っている。
「では、一つ問題を」
「おうよ」
「…2023、お茶の収穫量日本一は?」
「鹿児島県!」
「こりゃ再教育が必要だな…」
「再テストじゃなくて!?」
ちなみに鹿児島県で正解です。
○
学校に来てやらなければならないことが、俺にはある。
ズバリ、校則の確認だ。
うちの学校は基本ゆるゆる校則ではあるが、流石に店長の扱いについては、校則に明記されていない。
高校生が一店舗の店長になることは、法律上何ら問題はないはずである。(ググってすらないが)
が、しかし校則的に許されるのか。そこが問題である。なので、そこは先生に聞くしかない。
彰人と共に電車を降りて、そこから徒歩で学校へ向かい、教室に入った。相変わらずうちのクラスは真面目な奴が多く、クラス内は静寂に包まれていた。
朝のホームルームまでかなり時間が余っていたので、俺はそそくさと職員室へ向かう。
1年生の教室が連なる2階から、1階の職員室へ。
時計を確認すると、現在の時刻は7時55分を回っていた。朝のホームルームは8時20分から。まだ時間はあるが……ちょっと急ぐか。
階段を駆け足で降りて、道ゆく上級生の波を切り裂く。これは学校あるあるだが、基本2年生に1番遅刻する奴らが多い。何故かは知らん。
そうして1階に降り、角を曲がって職員室に入ろうとした時、
「うぎやぁ!!」
パンを咥えた少女とぶつかった。
バサリと、彼女が持っていたプリント類が床に散乱する。
俺は尻餅をついて、尾骨に響く痛みを堪能していた。
「イチチ……」彼女も同じく、へこたれていた。
俺ははっと我に帰って、自分のしでかした事の重大さを知った。パンが……パンが床に落ちている!
「あぁ申し訳ない!大丈夫!?」
俺はすぐさま彼女に駆け寄った。小麦色の髪を持つツインテールの
「うぅ…私の自慢のお尻が……って!あぁ!私の高級食パンがぁぁぁぁ!!」
「高級……」
「一枚千円もするのに…」
「嘘ォ!ごめん!本当にごめん!大丈夫!?」
「わざわざ駅に行って買ってきたのにぃぃぃぃぃぃあああああああ!!!!」
無惨にも亡骸となった食パンに、彼女はただただ嘆いた。
「あ、あの…ほんと、すみません」
たじろぐ事しかできていない俺に、彼女の琥珀色の鋭い眼光が差し向けられる。
「き〜さ〜まァ〜!このパン幾らしたと思ってるのよ!」
「一枚千円と…」
「そうだよ!あとこれ、駅前限定だからッ!」
「あ、はい」
「あ〜持ってたプリントも……」
罪滅ぼしか、俺は反射的にプリントを拾って、彼女に渡した。『バイトの求人』とそこには書いてあった。床に落ちたパンは……後で処分しておこう。
周りの学生の視線を感じつつ、俺はハンカチでそのパンを摘んだ。
「いや、本当に申し訳なかった。機会があれば、こっちからまた買うから」
「え?ちょっと待って、そのパンどうするつもり?」
「捨てるつもりだけど……」
「えぇ!勿体無い!あむッ!」
「あぁ!」
彼女は、白い歯で俺の持つパンにかぶりついた。一度床に落ちたというのに、だ。
衛生観念んん…と、ドン引きしている俺に見向きもせず、彼女は凄まじい勢いでパンを胃に落とし込んだ。
嚥下した後、彼女はまじまじと俺の顔を覗いて、「そういえば、どっかで見た顔…」とつぶやく。
「同じクラスの、桜橋零二だよ。『二見真帆』《ふたみまほ》さん」
そう俺が言うと、
「えっ!?あぁ、同じクラス!?ごめーん、気づかなかった!」
すぅーーーー。
「私あんまり人の顔覚えられなくてさ、ごめんね…?」
申し訳なさそうに、彼女もとい真帆は言う。しかし、2ヶ月も存在を認知されていなかったというショックは、計り知れない。
「……いや、いいんだ。いいんだよ。それより、俺は職員室に……」
「零二くんも職員室に用があるの?なら私と一緒だ」
「あぁ、そのバイトの紙か?」
「そう。先生にちょっとアドバイス欲しくて」
「なるほどな」
「って、早く行かなきゃ朝のホームルームに遅れるよ!ほれほれ!」
真帆は俺の背中をバンバンと叩いた。なんというか、テンションが高くてついていけない。
真帆と共に、職員室に入る。俺は数学の教師に目を付け、話しかけた。
「先生、校則的に生徒が店長になる事って可能なんですか?」
挨拶もせず、俺は先生に問う。
「桜橋くんか、なんだ突然」
「校則の確認をしたくって。で、生徒が店長になれるんですか?」
「はぁ?そんなもん好きにやってくれりゃあいいさ。勉強に支障が出ない程度にな」
「そうですか。ありがとうございます」
「おう」
「それと、今日の宿題忘れました」
「それ先言えやぼけ」
という訳で、無事校則の確認は取れたとさ。
どうやら真帆は先に教室に戻ったようで、職員室に姿は見せていなかった。
時刻は8時5分。そろそろ、教室に戻るか。
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