第125話 求めていたものは

 激闘と緊張の中で、誰もが忘れていた。


 雪が降っている。


 近年では、金沢でも珍しくなってきている雪が、天から舞い落ちてきている。降雪量は多く、すでにヘリポートは白銀に染まりつつある。


 屋上からは、白い雪を被った家々の屋根が見える。


「私たちには、切り札があります」


 ファティマは勝ち誇った表情で、雪の付着した黒髪を掻き上げながら、玲たちを冷ややかに見つめた。


「切り札、ね」


 イザベラは二丁拳銃を構えつつ、ふっ、と嘲笑する。


「この期に及んで、切り札も何もないと思うわ。私と玲くんであなたを倒せば、あとはユキちゃんを確保するだけ。ユキちゃんだって戦おうと思えば戦える。三対一の圧倒的不利な状況で、あなたの言う切り札とは、切り札たりうるものかしら?」

「何も知らないのですね。可哀想に」


 哀れみのこもった目で、ファティマはイザベラを見下した。


 実際に、何も知らないイザベラは、小首を傾げてファティマの言葉の真意を掴みかねていた。


「風間ユキは、一人っ子ではありません。実は、もう一人双子の姉がいるのです」


 ファティマの言葉に、イザベラは口に手を当てて息を呑み、玲もまた身を硬直させた。


「だからここで風間ユキが死のうと、問題はありません。これまでに得た経験は全てバックアップ可能です。死亡後の脳に刻まれた情報の摘出は、それこそSKAの得意とするところ。清澄さまならびにリウ大人もその恩恵に預かり、技術はコピーしております。脳さえ損傷がなければ、大丈夫……」

「死んでも、もう一人双子の姉がいるから、そちらに記憶を移植する――だから、ここにいるユキは死んでも構わないと、そういうことか」

「大事なのは、風間鏡子復活に際して、彼女が持っていた膨大な力……魔力、と呼ぶのがふさわしいでしょうか、それに耐えうるだけの肉体と知識を持っているか、ということでした。肉体については、高校生となり成長した体であれば、十分。あとは、暴走しかねない魔力をコントロールするだけの知識を身につける必要がありました」

「いまさら説明は要らない。だからマンハントの中にユキを放り込んだのだろ?」

「ああ、清澄さまはそこまで説明していたのですね。ならば、多くを語るのは無用……」


 ファティマはサーベルを回転させながら振り回し、五回ほど回した後で、ピタリと止めて戦闘体勢に移った。


「決着をつけましょうか」


 雪積もる高層ホテルの屋上で、ファティマと、玲・イザベラは向かい合って構えている。


 誰かが動けば、開戦の火蓋は切って落とされる。


 その張り詰めた緊張感の中――


 ヘリポートの上に、ユキが現れた。


 ちょうどファティマの背後、一段高いところから、見下ろすように、ユキは立っている。


「だめだ、離れるんだ! 逃げろ!」


 玲の呼びかけには応えず、ユキはファティマを見つめている。


 ファティマは振り返って、ユキに微笑みかけた。


「自ら命を捧げに来ましたか。殊勝な心掛けですね」

「私は殺されない」


 ユキは確かな口調で呟いた後、力強く頷き、今度は張り上げるように大声で宣言した。


「私は、死なない!」


 気圧されたファティマが、一歩下がる。


「何を、戯言を」


 それでも気丈にファティマはユキを揶揄するが、ユキの目には一点の曇りもなかった。自らの“生き延びる道”を知っているユキだからこその、強気の姿勢。


 ユキは、自分がファティマに殺されないことを知っている。


「不愉快な――ならば、その確信をも支配してくれる!」


 吼え猛るファティマはサーベルを振り上げ、ユキに跳びかかる。


 が、素早く間に割り込んできたイザベラが、二丁の拳銃を交差させて、ファティマの斬撃を正面から受け止めた。


「邪魔だ、どけ!」

「いやよ。あなたこそ、そろそろ退場すべきじゃないかしら」

「この――裏切り者め!」

「あら、あなたに言われたくないわね。清澄との肉体関係に溺れてSKAに逆らっているあなたには」


 イザベラのデザートイーグルが轟音とともに火を噴く。ファティマは体を斜めに傾け、紙一重で銃弾をかわした。頬が弾丸で切り裂かれ、血が滲む。ファティマの双眸に怒りの炎が宿った。


 その隙に、ユキは身を退いた。




 屋上のドアが開けられる。


 風間清澄が姿を現す。




「最後の役者が、全員集合か――」


 玲は呟いた。




 清澄は、キリストのような聖人の顔を、艶やかに微笑ませた。



 ※ ※ ※



 私の娘雪希は植物状態のまま眠っている。


 真実は、私の胸の中にしまっている。今後も、誰かに明かすつもりはない。永遠に、秘密のままだ。


 双子の妹、沙希サキは健常ではあるが、それで私の心が救われるかと聞かれれば、「そんなことはない」と即座に答えるであろう。一人が問題ないから、一人は物言わぬ人形と化していても、苦にならないなど――あるわけがないだろう。


 私は、親なのだ。沙希の親であると同時に、雪希の親でもあるのだ。


 雪希が交通事故に遭って、このような状態になる前、私は6歳の雪希が見せた能力に驚き、また心躍らせた。


 “かあさま”の再来だ、と。


 時を操る自分の能力を使い、雪希に“かあさま”の意志を宿せないかと、私は考えるようになっていた。適当な人間を捕まえて、私の知っている死者の意志を宿す実験を行ってみたが、概ね成功だった。問題は、死んでいる人間の意志が宿された瞬間、宿主は拒絶反応を起こして死んでしまったことにある。その後、いくつか実験を重ねた結果、宿主は、宿される死者とほぼ同等の肉体的特性を備えていないと――すなわち、死者が生前馴染んでいた体と同じような肉体でなければ、魂は定着しないようだった。


 その点、雪希はかあさまの血を引いている。成長すれば、遺伝子の関係で同等の能力を有するはずだった。


 私は、雪希が成長するのを楽しみにしていた。


 ところが、雪希が7歳になる一ヶ月前。


 雪希は車に撥ねられた。


 横断歩道を渡っている最中、会社員の運転する社用車が突っ込んできたのだ。しかし、横断歩道の信号は、赤だった。対岸に小学校の友人がいたから、雪希は慌てて渡ろうとしたのだ。目撃していた友人によれば、左右に車の姿は見えなかったそうだ。ところが、横断歩道のすぐ横の曲がり角から、車が右折してきていた。そのため致命傷にはならなかったが、頭の打ち所が悪く、雪希の脳は深刻なダメージを受けてしまった。


 私の計画は頓挫しかけた。だが、私には策があった。


 実は沙希の存在は誰にも明かしていなかった。知っているのは妻と、分娩に立ち会った医者と看護士だけだ。その医者と看護士は我が三元教の信者であるから、情報を暴露する恐れもなかった。完全に私に心酔していたからだ。


 私は娘が一人しかいないように偽っていた。


 なぜか?


 来るべきSKAとの対決に備えて、そうすべきだと、私の“能力”が告げていたからだ。沙希はSKA掃討の切り札となると、予感していた。そして、雪希が植物状態となったとき、私は沙希を表舞台に立たせた。リウ大人の協力のもと、雪希の記憶を移植し、雪希として、ベッドに寝たきりの彼女と入れ替えさせた。


 そうして、今度は沙希に“かあさま”の魂を宿させることにした。


 ……つまり、私には切り札などなかった。


 沙希が死んでしまったら、その記憶を雪希に移植させたところで、肉体が死んでいるのだからどうにもならない。“かあさま”の魂を宿しても、肉体が合わず、すぐに命を落としてしまうだろう。


 私には沙希しかいなかった。


 沙希が死んでしまえば、“かあさま”の復活は果たせず、私の目的も成就しなくなってしまう。


 それなのに、なぜだろうか。


 沙希が私の弟と愛し合い、妊娠したと聞いても、私は不思議と落ち着いた心でその話を聞いていた。“かあさま”が、私の弟の子を孕んだまま復活するなど、あってはならないのに。雪希はもう器とはなりえないのに。


 なぜか私は平然としていた。


(娘が、子どもを……)


 感慨深いものを感じていた。


 私に、孫が出来る。もしも“かあさま”が生きていて、曾孫が生まれると知ったら、どんなことを言ってくれるだろう。それとも、叔父と交わったことを非難するのだろうか。いや、母は何も言わないだろう。


 母もまた、自分の兄と愛し合っていた――その結果生まれたのが、私と、弟の晃一なのだから。


 私は、自分が本当は何をしたいのか、どう生きたいのか、わからなくなっていた。日本に、SKAに、復讐をしたいという気持ちは、果たして本心なのだろうか?


 妻の円がいて、雪希がいて、沙希がいて――そんな、ごくありふれた家庭の中で穏やかに生きていられれば、それで、十分幸せだったのではないだろうか。そんな優しい生活を求めて、私は“かあさま”を蘇らせようとしていたのではないだろうか。


 では、どうして、こんな結末になってしまったのだろうか。


 なぜ私は殺人鬼たちを相手に血まみれの抗争を繰り広げなければならなかったのだろうか。なぜ沙希を苦境に追いやらなければならなかったのだろうか。


 私は……私は……。

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