第124話 道は天より生ず
「Kane wins!」
殴り飛ばされた倉瀬が、水槽に激突した後動かなくなったのを見て、ケインは諸手を上げて歓喜の声を放った。
互いに攻撃を繰り出す瞬間、ケインの脳裏に嫌なイメージが浮かんでいた。
自分が敗北してしまうイメージ。
そんなネガティブな想像を振り払って、ケインは拳を振った。倉瀬の蹴りが自分に届くか届かないか、のギリギリの線で、ケインの拳がヒットした。それから先は、見ての通りの結果となった。
(俺は誰にも負けない)
殺し続ける。自分の身が滅ぶその日まで、ひたすら人を殺し続ける。王の拳は万物の生命をも支配する。
それがキングナックル・ケインという存在だ。
「フン、フフン、フーン♪」
鼻歌を歌いながら、ケインは倒れている倉瀬に近付く。
生きているのか、死んでいるのか。爪先で蹴飛ばすと、倉瀬の体はゴロリと力なく回転した。仰向けになった倉瀬は、目を閉じている。微かに胸は上下しているから、生きているようだ。
「シブトイ、オジイサンデスネー」
ケインは腰を目一杯捻って、腕を上げた。一気に振り下ろして、倉瀬の顔面を叩き潰してやろうとした。
そのとき、倉瀬がカッと目を見開いた。
「道は天より生じ人の共による所とするものなり――」
「What?」
ケインは、急に呪文のようなものを唱え始めた倉瀬に、懐疑の目を向ける。
「その道を
「ナニヲキュウニイイダシテルンデスカー?」
ケインは苦笑した。
「故に道は
「ウルサイ! ダマレ!」
ついケインは怒鳴った。
意味不明な言葉を口走る倉瀬に苛立ったケインは、振り上げた拳を改めて叩き下ろそうと、上体に力を込めた。
が。
「お前の負けだ」
倉瀬の死の宣告が聞こえた瞬間。
ケインは、自分の心臓が激しく脈打つのを感じ、全身の血液が逆流して、頭部へと集中してくるのを感じた。
(か⁉ あ⁉ なんだ、これは――!)
ボコボコと沸騰した血液が、首を通って、どんどん頭の中に溜まっていくのを感じる。許容量を超えた量の熱い血流が充満してゆき、脳味噌が圧迫されてくる。
(あぶ、あ、うばあ――!)
思考が崩れてくる。
頭蓋骨が砕けそうな激痛。そのまま頭部の皮膚が破裂するのではないかと思われるほどの、激しい脈動。
「バ、ブバ、ワバアアアアアアアア!」
もはや言語になっていない絶叫を上げ、ケインは頭を抱えた。
ドバッ、と顔面のあらゆる穴――眼窩、鼻孔、耳穴――から血が噴き出す。
『経絡秘孔に精通する敵と出会ったならば、注意しろ』
かつて師から教わった言葉を、ケインはぼんやりと思い出した。
『白人であるお前は、秘孔の大きさが東洋人よりも遥かに大きい。体の構造が大雑把なのだ。そのため、東洋人は効きにくい秘孔を突かれても、お前の場合簡単に効果が出てしまう場合もある』
『経絡とは人間の体内における気や血液の流れのことだ。秘孔を突かれれば、その流れを狂わされてしまう。達人の技を喰らえば、一撃で脳へ向かう血流を寸断され、昏倒し、そのままあの世逝きとなる』
『極めた人間は、全身の血液を一箇所へ集め、爆発させることで、より残酷に人を殺すことも出来る。これを我々は“爆心”と呼んでいる』
『くれぐれも、己の持って生まれし破壊力に思い上がることなく、常に最悪の敵を想定して戦うのだ』
血液の爆発。
ケインの顔から噴き出る血は止まらない。
ケインは気が付いていなかった。その攻撃はあまりにも素早く、目で追えるものではなかった。倉瀬は蹴りを放っていた。だが、ケインが目視出来た蹴りよりも前に、すでにもう一発蹴りを放っていたのだ。
網膜に映らないほどの速さで繰り出された蹴りは、ケインの生中線にある全身の血流の根幹となる場所――心臓に近い秘孔、
並の人間では為し得ない、究極の秘孔術。
少林寺拳法における奥義「圧法」の、恐るべき最終形態。人間を死に至らしめる封じられた技。伝承すべきではない殺人術。
図らずも、倉瀬は決死の戦いの中で、鬼神の域へと到達してしまった。
「No...No、Noooooo!」
ゴバゴバと血を吐きながら、それでも負けを認めず、倉瀬に向かってゆくケイン。
この上は、相討ちになってでも、倉瀬を殺してやろうと考えているようだった。
血で真っ赤に染まった顔を鬼の形相に歪めて、ゾンビの如く両手を突き出し、よろよろと覚束ない足取りで進んでゆく。
ふう、と倉瀬は溜め息をつく。
立ち上がり、冷静にケインの動きを観察すると、腰を落として臨戦体勢に入った。
「終わりにしよう。道を外れたこのような戦い――もう、十分だ」
言葉には冷たい響きがある。
長きに渡る戦いに倦み疲れた男の、ようやく終わりを迎えられるという安堵感。そして、一年もの間、虚しい殺し合いに身を投じていたことに対するやるせなさ。
喜びなどない。ただ、疲れただけ。
でも、それでいい。疲れようと、なんであろうと、自分は生きている。この戦いを生き延びている。それだけで十分だ。
帰ろう。
東京に帰ったら、静江の美味しいご飯を思う存分堪能しよう。
亡くなった藤署長の孫娘を養子に迎えるのもいいかもしれない。藤さんの親戚に相談してみようか。
その前に、リビングドールの正体である女の子とも会ってみたい。可愛い声で自分の身を案じてくれていた彼女に、「勝ったぞ」と凱旋するのも楽しみだ。
生きている。自分は生きている。
天寿を迎えるまで幸せに平和に生きられる権利が、間もなく自分に訪れようとしている。ああ、素晴らしい。なんて素晴らしいことなんだろう。
「ヨソミシテルンジャネエエエエエエ!!」
幸福な未来を夢見る倉瀬に、怒声を上げながら、ケインが襲いかかってきた。
倉瀬は、跳んだ。
「おおおおおおおおおおおおおうらああああああ!」
頭頂部から脚部まで、ケインの全身に展開している、ありとあらゆる経絡秘孔を蹴り貫いてゆく。
正面から、天倒、両毛、霞、耳孔、眼聖、晴雲、前尺沢、烏兎、顔下、準頭、人中、下昆、横下昆、下顎、三日月、松風、村雨、秘中、膻中、小方、水月、脇陰、鴈下、電光、月影、稲妻、明星、釣鐘、夜光、伏兎、膝抵、向骨、内黒節、甲利、草隠。
さらに背面へ回り込んで、天道、独鈷、頚中、開握、手甲、後尺沢、腕馴、肘詰、早打、活殺、脊椎電光、癪活電光、背面電光、尾胝、後稲妻、門下、後詰、草ヒ、外黒節。
左右二本の脚による華麗な乱舞がケインの体に怒涛の如き連打を浴びせかける。ケインは直立したまま、なす術もなく、倉瀬の蹴撃をひたすらに喰らい続けていた。
やがて、攻撃は終わり。
乱舞の嵐が過ぎ去った後――ケインは白目を剥いて、立ったまま息絶えていた。
それでもなお、倉瀬は脚を振った。
「最後は――藤さんの分だ!」
ゴキリ、と音がする。
首の折れ曲がったケインの骸は、ぐらりとバランスを崩して、床に倒れた。
倉瀬は壁にもたれかかって、あばらを押さえて、溜め息をついた。ケインは死んだ。やっと自分の戦いは終わった。
あとは、他の連中がケリをつけるのを待つのみだった。
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