第122話 人間め!

 清澄は、確かにルクスの額を撃ち抜いたはずだった。


 それなのに、ルクスは生きていた。瞳が動き、清澄と目線を合わせると、楽しげに微笑んだ。


「なぜ、死なない」


 さらに引き金を引く。清澄の拳銃から放たれた弾丸が、ルクスの顔面へと向かっていく。だが次の時には、ルクスは横へ大きく移動していた。


「驚くことはないよ。死なないのは、僕が不死身だからさ」

「改造したのか」

「肉体は所詮は“器”。最終的に、僕の記憶と人格さえ生きていれば、どうとでもなる」


 言うやいなや、ルクスは清澄の懐に飛び込んできて、ボディブローを撃ってきた。腹部を強打された清澄は、くの字に折れ曲がり、「グッ」と呻き声を上げる。そのままルクスが拳を振り抜いたため、清澄は吹き飛ばされ、ラウンジの椅子や机を巻き込みながら、書棚へと叩きつけられた。話題の新刊などが並んでいる書棚が清澄の体ごと倒れる。書棚が床に激突する際、棚板が清澄の背中をしたたかに打った。


 痛みをこらえ、清澄はすぐに立ち上がる。


 ルクスはすでに接近している。清澄の首筋目がけて回し蹴りを放ってきた。清澄はガードしようと手を上げたが、間に合わない。またも、清澄は吹き飛ばされた。


「母親を蘇らせ、僕を殺して――それが何になるの?」


 よろめきながら腰を上げた清澄に、飛びかかったルクスは、肘打ちを当ててきた。心臓部に激痛を感じた清澄は、一瞬だけ呼吸困難に陥り、膝をつく。


 清澄の顔面をルクスは蹴り飛ばした。吹き飛んだ清澄は、ラウンジのガラステーブルの上に墜落する。


「生物は死ぬ。人間も死ぬ。あの世なんて人間の作り出した哀しい妄想に過ぎない。いつかは全ての努力が無駄になる日が来る。死ねば全部終わりさ。それでも、微かな幸せにすがって生きようだなんて、本当に愚かで哀れで間抜けな――」


 ルクスは、天井すれすれまで跳躍する。


「だからこそ僕は死を統べる!」


 跳び上がったルクスは、縦に回転して、ガラステーブルの上の清澄に、浴びせ蹴りを打ち込む。ガラステーブルは衝撃に耐えられず、粉々に砕け散り、清澄は床に打ちつけられた。


(生きる、意味……)


 ぼんやりと、清澄は母を思い返した。



 ※ ※ ※ 



 清澄は、8歳の時、どうしても死のことが恐ろしくなり、ご飯も食べられないほど悩んだことがあった。歳の割には難しいことを考える、早熟な子だった。


「お母さん、怖いよ。死んだらどうなるの? どこへ行っちゃうの? 怖いよ、お母さん、怖いよぉ」


 夜、母の布団に潜り込んで、その身に抱きつきながら、清澄はひたすら泣きじゃくった。母に思う存分甘える、この幸せも、母が死ねば無くなってしまう。自分が死ねば、幸せを感じることすらなくなる。


「お母さん、お母さぁん」


 何度も、母のことを呼んだ。呼んで呼んで呼び続けた。


 母は黙っていた。幼い息子にかける言葉を思案していたのか。しばらくしてから、母はゆっくりと清澄のほうへと体を向けて、にっこりと微笑んだ。


「私が、先に行って待ってるわ。ずっとずっと待っててあげる。私がいるなら、怖くないでしょ?」

「ほんと、ほんとに? ほんとに天国ってあるの? お母さん、待っててくれるの?」

「そうよ。本当にあるの」

「でも、学校の子は、そんなの無いって言ってたよ」

「清澄は、本物のオーロラを見たことがある?」

「ううん」

「中国の大きな河が逆流するところは?」

「知らないよう」

「生きている世界のことを、多くの人々は知らない――知らない風景があり、知らない文化があり、そして自分たちの想像の及ばない考え方をする人間がいることを、ほとんどの人々は知らない。みんな、知らないことだらけなの。それなのに、どうして天国がないと言い切れるの?」

「そんなの……むずかしくて、わかんないよぅ」

「いい? 清澄。よく聞きなさい」


 母は、清澄の顔を優しく両手で包み込み、正面から暖かい眼差しを送ってきた。恥ずかしくなった清澄は、母の手からすり抜けて、その胸に顔を埋めた。布団の中で温まった母の体は、ポカポカしていて、なんだか心地良かった。


「天には天の、大地には大地の――人には人の、進むべき道があるわ。人の道とは、天を信じ、大地を信じ、人間そのものを信じること。迷ったときは、信じなさい、清澄。信じて待ちなさい。天地人の三元を信じられなくなったら、人は死を選ぶか、あるいは人を殺すしかなくなる……だから、信じることを諦めては駄目。どんなときでも、人の道を進むのよ、清澄。それが人間の生きる意味なのだから」

「……うん、お母さん」


 母の言葉の半分も理解出来ていなかったが、清澄は母をガッカリさせたくなかったので、相槌を打った。意味はわからなかったが、それでも気持ちは伝わってきた。母の言葉は、体の内奥を春の陽光で照らしたように、心を温かくしてくれる。


 清澄はその後徐々に立ち直っていった。


 が、母の言葉の意味は、結局わからずじまいだった。



 ※ ※ ※



 横たわる清澄を見下ろし、ルクスは冷たく笑っている。清澄は、なんとか体を動かそうとするが、そのたびに背中に激痛が走り、呼吸が苦しくなってしまう。


「哀れな望みを生きる“よすが”とするあんたに、とってもいいことを教えてあげるよ」


 ルクスの口調が変わった。


 清澄は睨みつけた。体が思うように動かない現状では、睨むことくらいしか出来ない。


「あんたの娘――いまは眠る、双子の片割れ――その肉体は、僕らSKAが回収した」


 大して驚きもせず、清澄は冷静にその言葉を聞いていた。ルクスならそれくらいのことはやるだろうと、予測していた。


「周りの人間にその存在をひた隠しにして、切り札にしていたつもりだろうけど、残念だったね。今後、彼女の肉体は有効利用させてもらうよ。誰かの記憶を刷り込むのも悪くないかもしれない。いずれにせよ、清澄、あんたの目論見は全て失敗に終わる、ってわけ」


 得意げに語るルクス。その様子を見ていた清澄は、急におかしくなり、忍び笑いを洩らした。


 ルクスは端正な顔をしかめ、眉をひそめた。


「何を笑ってるんだ」

「いや…あれから三十年も経つというのに、私は何もわかっていなかったのだな、と悟ってな」


 かあさまの伝えたかったこと。


「私と、お前」


 清澄は自分を指さした後、ルクスに対して指を突きつけた。


「哀れなのはどちらも同じ――我々は、お互いに人の道を外れて生きている。人として生きるべき道を、だ」

「何を言い出すかと思えば……人の生き方なんて無限にあるでしょ。道、なんてものはない。混沌こそが真実。生きる道は、人の数だけ存在している」

「いいや、違うな。超えてはならない一線があるんだ。それを我々は超えてしまった。わかるか? 外れてしまったんだよ――人間としての道を」

「よくわかんないな。急に何を悟ったの?」

「ルクス、お前の得意満面の顔を見ていたら、馬鹿馬鹿しくなってきた。我々は互いの思想、大義名分のもと、多くの人間を殺めてきた。暴力による支配が有効であると信じて。確かに、非力な一般人を制することはごく簡単なことだった。だが、考えてみろ。我々がここ金沢の高層ホテルで殺し合いをしている間、無関係な場所にいる人間たちは何をしている? モンゴルにいる遊牧民は? アマゾンの奥地に住む人間たちは? 日々を生きることだけを考え、真摯に自らの生命と向き合っている。戦えば戦うほど傷口が開き、その傷口を埋めるためにまた終わりなき戦いに身を投じる我々は、いつまで経っても救いなど来ない。一方で、日々をただ生きているだけの彼らはどうだ? 救いが来る、来ないの問題ではない。彼らは生きながらにして、救われている――すでに、我々は負けているのだよ、彼らに」

「勝ち負けの問題じゃない」

「そういう問題だ。人として、負けている……ならば、我々の戦いは全て無意味、ということになる。人間は、普通に生きることが一番難しい。普通に生きることを目指して、我々は時に戦いを挑むのではないか? それなのに、私もお前も、戦うために戦っている。お前のシリアル・キラー・アライアンスなんて、愚の骨頂だ。人を殺すために存在する集団。実に、馬鹿馬鹿しい」

「……御託は、それだけ?」


 ルクスは膝を上げた。倒れている清澄を踏み潰すつもりだ。


「そろそろ、死んでもらう。あんたはこれで……ゲームオーバーだ」

「どうかな」


 清澄の目に、挑発的な色が宿った。


 ラウンジのカーペットを踏みしめる音が、聞こえてきた。


「ん?」


 ルクスは音のした方を向いた。


 倒れたままでいる清澄は、そんなルクスをさらに蔑んだ眼差しで見つめた。


「お前にはわからないだろうな。人間と人間の繋がりを軽んじる“超越者”たるお前には……」


 清澄の言葉を聞きながら、さらにラウンジに入ってきた人物の顔を見て、ルクスは口元に笑みを浮かべた。


 ラウンジに現れたのは、リウ大人だった。


 遠野玲より回収した一○五式火炎放射器を携えて、ルクスに敵意の目を向けながら、わざと緩慢な動きで近寄ってくる。


「アラストル――いつ動くかと思っていたよ」

「口調に余裕がないな、ルクス。負けそうなのか」

「まさか。あんたがここへ来ようと、結果は変わらない。たとえ僕の器がここで滅びても、僕のバックアップさえ残っていれば」

「全部壊してきた」

「……なに?」

「壊してきた。機械的にバックアップを取っていた物、すでに記憶を刷り込んでいた人体、お前のバックアップ全てを破壊してきた」

「出来るはずがない。バックアップの場所は、僕しか知らない」

「残念だが、そのお前自身の記憶を、お前のバックアップは持っているんだぞ。各地に点在するバックアップのうち、ひとつだけでもコンタクトが取れれば、時間さえかければ情報の抽出は容易に出来る」

「それだけの手間ひまかけて、僕の復活の可能性を阻止したと?」

「苦労に見合っただけの成果はあった」


 ルクスは肩をすくめた。嘲笑を浮かべている。自らの分身を全部抹殺されたと聞いても、なお表面的な余裕は崩さない。その根幹にあるものを、清澄はわかっている。ルクスは人間なら誰しも一度は人生のうちに感じる“虚無”――それを常に心に抱いている。何もかもが虚しい。生きることに意義を見出せずにいる。だから、自分が生きようが死のうが、どうでもいいのかもしれない。


 清澄は、ルクスを哀れんだ。“虚無”を理解し、“虚無”を支配することで、その恐怖から逃れようとした人間の成れの果てが――世界中に、「死こそが正道」といった考えを蔓延させるために、殺人鬼集団を立ち上げさせた――このルクスなのだ。


「近寄れば、清澄の体を踏み潰す」

「やってみるがいい」


 脚を上げるルクスと、火炎放射器を構えるリウ大人。睨み合う両者。


 清澄は気取られないよう、片手で印を結んでいる。小声で呪文も呟く。長年の修行の末に、使いこなせるようになった術。


 時の流れとは、縦軸でも横軸でも表現出来るものではなく、あくまでも定点における変化の寄せ集めに過ぎない。そのことに気が付いた清澄は、自らの「時を操る能力」は、実は「変化を操る能力」ではないかと感じ始めていた。


 変化。すなわち、天候を操ることも、自らの肉体を強化することも自由自在に出来る能力。タオを極めること。空を悟ること。古代の賢人たちが到達しようとして到達しえなかった、世界の真理へと触れること。


 清澄は、万物の根源たる根本原理を悟り――あらゆる奇跡を起こすことが可能となっていた。


「九、天、応、元、雷、声、普、化、天、尊」


 呪文の内容自体に意味はない。ただ、それを唱えることで、イメージは湧いてくる。清澄の頭の中には、雷鳴とともに訪れる神将の姿が浮かんでいる。雷が見える。見えてくる。


 全ては、イメージ次第。


「何をしてる?」


 ルクスは、ようやく清澄の異変に気が付いていた。だが、もう遅い。


 ラウンジの空間に、黒雲が現れた。ビリビリと電撃を纏い、徐々に大きく膨らんでゆく。爆発寸前だと感じさせる、驚異的な圧迫感を伴い、膨らんだ黒い塊はルクスの鼻先に迫ってきた。


「これは――⁉」


 さすがのルクスも驚いて、清澄のそばから退避した。


 直後、雷鳴とともに稲光が宙を走り、ルクスの体を貫いた。


「ごうぉ!」


 どこに心臓や脳といった重要な器官があるのかわからない、改造された肉体ではあるが、全身に電撃が流れてしまっては、体の構造などもはや関係ない。


 体を痙攣させながら、ルクスは床に崩れ落ちた。


「ま……さ……か……か……みな……り……を……」


 泡を噴くルクスは、それでも懸命に口を動かしている。


 そこへ、火炎放射器を構えたリウ大人が、歩み寄ってきた。


「お前の負けだな。ルクス。最期に何か言うことはあるか」

「一時……の……」

「うん?」

「一時……の……勝利……なんに……なる……人は……すべからく……死ぬ……死は……虚ろ……全て……虚無に……」

「死ねば終わりだと? ここで私がお前に勝とうとも、最後には無意味なことだと? そう言いたいのか」

「くく……SKA……人を……殺す……殺人……こそ……真理……死……こそ……永遠……正しき……姿……」

「生は有限。死は永遠。死こそが世界の主であり、殺人とは死をもたらす正当な行為であると? 人が人に殺意を抱くことは、自然の摂理であると? そう言いたいのだな」

「あ……あ……」


 ルクスは口の端を最大限に歪めた。これ以上ないくらいに、リウ大人を見下した表情で。


 最期に仕掛けた残酷なる命題。ルクスを殺すことは、ルクスの思想を肯定することになる。殺意は自然の摂理であるとする、ルクスの歪んだ考えを。だが、殺さない、という選択肢は清澄には残されておらず、もちろん(かつて父親をSKAに惨殺された)リウ大人にもあろうはずがない。


「清澄」


 リウ大人が伺いを立てる。


 清澄は腰を上げつつ、うなずいた。そして、ルクスに対して、ひと言ぶつけてやった。


「地獄は、永遠に続く苦痛だぞ――」


 胸に響く心地良い重低音。宗教家としての清澄による、言霊の力。効果のほどは、到底あの世の存在など信じていないようなルクスが、両目を見開いたことからもよくわかる。


 地獄は、永遠に続く苦痛。


 虚無を迎えるのであれば、どんなにか楽だろう。だが、清澄はルクスに安らかな死など与えなかった。言葉ひとつで、ルクスの心に地獄に対するイメージを植えつけ、絶大なる死の恐怖を与えた。それは、ただ自我がなくなると考えるよりも、遥かに恐ろしいイメージ。特に、イスラエルに生まれ育ち、本来は敬虔なる精神の持ち主であったはずのルクスには、強烈な衝撃を与えたに違いない。


 悪魔の手で、発狂することすら許されず、未来永劫責め苦を受け続ける未来。


 もしも虚無などなく、本当に地獄が存在するとしたら?


「ふ、ふふ……くふふふふ!」


 しかし、ルクスは笑った。


 恐怖から来る笑いか、見下していた人間が思わぬ反撃に出てきたことを面白がっていることからの笑いか、定かではない。


「ふふ……ふははは……あーははははははは!」


 目に狂気を宿し、大口を開けて、美しい容貌を台無しにしてまで、ルクスは哄笑を続ける。決して止めようとしない。


「人間……人間! 人間! 人間、め!」


 意味不明なことを口走るルクス。


 リウ大人はかぶりを振って、火炎放射器の引き金を引いた。炎が噴き出て、ルクスの全身を包む。


 断末魔の絶叫は聞こえない。


 笑い声だけが、ラウンジに響いている。


「はははははははははははは……!」


 刺激臭を放って、ルクスは燃え散った。


 シリアル・キラー・アライアンスを創始した男にして、現世の魔王は、炎の中で葬送されたのだった。


 深い闇を感じさせる言葉を遺して。

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