第121話 命の支配

 暗闇に乗じて、ユキはファティマに反撃を仕掛けた。


 勝算があったわけではない。しかし、逃げ回っていてもいつかは追いつかれてしまうし、灯りが消えたからといって、簡単にこの場を脱出出来るとは限らない。暗闇になった、まさにこの瞬間、動揺している敵の虚を突いて、反撃を仕掛けるしかない。そうすることしか、最良の道はない。


 ユキの能力による判断ではなかった。


 自分の感覚は、このまま逃げ続けることが大事だと告げている。だけど、それでは駄目だと、ユキは感じていた。


 ファティマは強い。ここで誰かが彼女と戦うことになったら、最悪の場合、犠牲者を出すことになってしまうかもしれない。


(私だけ生き延びればいい、なんて――そんなのは、もういや!)


 ユキは考えていた。全員が救われる道を。自分だけでなく、仲間たちも死なないで済む道を。


 拳を繰り出す。弱々しいパンチではあるが、やらないよりはマシだ。拳はファティマの顔面に当たる。そこでユキは力を入れ、思い切り拳を振り抜いた。


「ぐっ⁉」


 初めてのパンチは、予想以上の効果を上げた。まさか殴られると思っていなかったのか、ファティマは体をのけぞらせてよろめいた。


 その隙に、ユキは非常階段の扉を開け、上を目指して駆け上がっていった。


(下には行けない)


 ホテルから出て、街中へ逃げ込めば、敵を撒くことはたやすいだろう。その代わり、無関係な人々が巻き添えになる可能性も高くなる。


(私が戦わないと――私の命の問題なんだから!)


 恐怖を乗り越えての、ユキの決意。

 

 そんなユキの姿を、遠く離れた場所からモニタリングしている女がいた。



 ※ ※ ※



(あの子……⁉)


 リビングドールは画面を凝視している。屋上ヘリポートに設置された監視カメラに、風間ユキの姿が映った。


「どうして、自分から追い詰められるように――」


 ユキの考えが理解出来ないリビングドールは、三つ並んでいるモニターの右側モニターで監視カメラの映像に注意しつつ、真ん中のモニターに表示している電気系統の制御システムへとカーソルを合わせて、エレベーターの一基をコントロールする。そのエレベーターには、マッドバーナーたちが乗っている。


 先にルクスのいる場所へと誘導しようと思っていたリビングドールだが、ユキが屋上に逃げているのであれば、そちらの救援を優先したほうがいい。


 急いでキーボードを叩いて、最上階へとエレベーターを導く。


 けれども、これだけではマッドバーナーたちをヘリポートまで誘導することは出来ない。ヘリポートへ行くには、非常階段以外方法がない。


 リビングドールは携帯電話を取り出す。


 心臓の鼓動が早くなる。これでマッドバーナー、いや、遠野玲に電話をかけてしまったら、自分の正体が判明してしまう。携帯電話は、リビングドールとしての仕事用のものであり、プライベートとは違うから、番号から正体が明らかになることはない。でも、声を聞かれたら、絶対にわかってしまう。


 館内放送を使うわけにはいかない。みすみす、他の敵にユキの居場所を教えてしまうようなものだ。


(……しょうがない)


 リビングドールは観念した。


 マッドバーナーに電話をかける。5回のコールで、向こうは電話に出た。軽く挨拶をすると、相手は驚いていた。


『どうした?』


 こんな非常事態なのに、優しい声をかけてくる玲に、リビングドールは胸を締めつけられそうになる。


 やっぱり、正体を明かしたくなかった。


「リビングドールとして、話があります」


 電話の向こうで、息を呑む音が聞こえたような気がした。


「今すぐ、屋上のヘリポートに向かってください。そこに、風間ユキはいます――」



 ※ ※ ※



 ファティマこと、深川綾子は、風間ユキをなかなか仕留められないため、かなり苛立っていた。


(私の思い通りにならない奴なんて、許せない)


 財界における名門、深川家の女として生まれ、何不自由なく暮らしてきた綾子だったが、それゆえに自分の運命を他人の意志で左右されてしまうことが、非常に我慢ならなかった。


 女であるため、非力である。非力であるから、犯されようと殺されようと、男たちに抗うことは出来ない。


 不愉快だった。名家の出であるがゆえ、女であるがゆえ、非力なまま他者に蹂躙される人生など、綾子には堪え難かった。この世界は死と暴力に満ちている。それらの波に襲われたとき、果たして自分は抵抗することが出来るのだろうか。いや、このままでは駄目だ――そう考えた綾子は、むしろ自分から死と暴力を支配する立場に回ってやろうと考えた。


 すなわち、自由に他者を殺めることの出来る力を得ること。


 それが、綾子の望みであった。


 苦しみを胸に抱いて日々を送っていた綾子は、ある時、祖父に連れられてサウジアラビアに行った。


 が、現地に到着してから三日後。


 外出していた綾子は、イスラム系の過激派組織に誘拐されてしまった。身代金目的の誘拐だった。


 言葉の通じない犯人たちに囲まれて、綾子は何度も意志の疎通を図ったが、日本語が通じない以上、どうすることも出来なかった。


 そこへ現れたのが、SKAのリリィ・ミラーだった。


「あなたには素質があります」


 たまたま過激派組織の中にSKA会員がいて、その者と話をしに来ていたリリィは、助けを求める綾子に対して、そう告げた。


「素質?」

「人を殺す素質です」


 人殺しの才能。


 綾子にとって、リリィの言葉は天啓のようなものであった。


 幼い頃から綾子は“生命”に対して何の感慨も抱けずにいる。彼女以外の“生命”とは、支配するものであり、蹂躙するものであり、特別な感情を持つようなものではないのである。


 そんな感覚を正直に他人に打ち明ければ、嫌悪の目で見られることは必至である。だから綾子は隠し続けていたが、もはや抑えきれないところまで来ていた。そこへ、リリィが現れ、自分の人殺しとしての素質を見抜き、SKAについて教えてくれた。名家の娘として生きるしかなかった自分に、別の生き方が示されてきた。


(幸せ……)


 うっとりとした表情で、綾子は光ある未来を夢想した。


「では」


 リリィはサーベルを綾子に渡し、その背後に回ると、トンと軽く背中を押した。


「ここにいる過激派たちを皆殺しにしなさい」


 耳元で囁かれた綾子は、驚いてリリィの顔を見た。これまで人を殺したことのない自分に、しかも戦い方もわからないのに、戦闘に長けた過激派たちを殲滅など出来るわけがない。


「出来ます。あなたは、天才です」


 リリィの言葉に、綾子は勇気付けられ、サーベルを握り締めた。


 三時間に及ぶ激戦の末、綾子は過激派を一掃した。


 過激派のリーダーが、SKAの規約に違反したことが理由で、リリィは処分を望んでいたようだった。だが、綾子には、理由などどうでもよかった。


 思う存分動き回って、人間を殺せれば、それで十分だった。


(私が、他人の、命を支配している!)


 生きる喜び。歓喜に打ち震える肉体。並の人間を凌駕する肉体的イニシアチブを誇る綾子だったが、深窓の令嬢として暮らしていた頃には、そのような能力を発揮する機会などなく、自分が他者を武力で圧倒することが出来るなど夢にも思っていなかった。


 それが、イメージした通りに自在に跳び回り、敵を薙ぎ倒すことが出来る。神から与えられた奇跡の肉体。人を破壊するために存在するような特性。


 最後に袈裟斬りにした男は、綾子に向かって、次のような断末魔の言葉を残した。


「ファ……ファティマ」


 男は、綾子に聖女ファティマの姿を見たのだろうか。綾子の背後には屍が積み重なっている。地獄の中に佇む聖女。血塗られた美貌。


 その男が息絶えた瞬間、綾子の最初の仕事は終わった。


 以来、綾子は自らをファティマと名乗るようになった。


 見た目がアラブ系の女性のように見える自分には、ちょうどピッタリの名前だと思っていた。


 そして、SKAの会員になりながら、一方で規約違反の殺人鬼を粛清する仕事もこなしていく中で、風間清澄と出会った。


 清澄の人柄に触れ、惚れ込んだファティマは、いつしか彼のために殺人を遂行していくようになっていった。SKAに所属しながら、実質清澄の部下として動き回っていた。それが彼女の、新しい生き甲斐となっていた。


 ファティマは、風間ユキの命を狙っている。


 清澄からも、「手加減するな」と命じられていること、自分自身が本気で風間ユキを殺しにかかりたいこと、様々な要素が絡み合って、一切の躊躇も見せずに、ファティマはひたすらユキを追っていた。


(お前も、私が支配してみせる!)


 ファティマは心の中で吼えると、屋上のドアを蹴破り、外へ出た。


 階段があり、一段高くなっているところにヘリポートがある。風間ユキの姿はどこにも見えない。


「隠れても無駄ですよ。大人しく首を差し出しなさい。そうすれば、無駄に痛い思いをしなくて済むわ」


 ケースの中からサーベルを取り出す。


 初めて人を殺めた時の武器。重要な殺人の時は、験を担ぐため、必ずこのサーベルを使っている。「ズー・アル・フィカール(脊髄を引き抜くもの)」と名付けたこの剣は、呪われた力でもあるのか、何度人を斬っても刃こぼれせず、脂も付着しないので、切れ味が落ちることはない。優れた武器だった。


 サーベルを構えたまま、ファティマは足早に歩を進めていった。


 

 ※ ※ ※



 ユキは、ファティマとはヘリポートを挟んで反対側の階段の陰に隠れている。


(いつまでも隠れていられるわけじゃない)


 やがてファティマはここまでやって来る。そのとき、攻撃を仕掛けるタイミングが重要だ。判断を誤てしまえば、反撃を受けてしまう。


 武器はない。ルクスの使いに連れ出される時、拳銃を持ち出すだけの余裕がなかった。ファティマから逃げている最中に、武器になりそうなものを探し出すことも出来なかった。


(それでも――戦うしかないもの!)


 湧き上がる恐怖を抑え、ユキは唇を噛んで、自らを叱咤した。


 負けてはならない。絶対に。この戦いで負けることは、すなわち死。そうなったら、これまで命を懸けて戦ってきた玲たちに申し訳が立たない。


 ヘリポートに、ファティマが上ってきた。


 間もなく、こちらの階段までやって来る。


 緊張したユキは、唾を飲み込んだ。


 そのとき、ファティマの様子がおかしくなった。ユキのいる方向とは反対側を向くと、急に誰かに対して話し始めた。


(え、まさか)


 ユキは顔をヘリポートの上に出して、突然の招かれざる客がどんな人物であるか、観察しようとしたが、ファティマが相手の名前を呼んだので確認する必要もなくなった。


「来ましたね、マッドバーナー、イザベラ」


 ユキは驚いて口を押さえた。まさかこんなに早く救出に来てくれるなんて思ってもいなかった。


 そして、ヘリポートの向こう側にいるであろう玲の姿を想像して、胸が熱くなるものを感じていた。


(死なないで――玲さん)


 両手を合わせて、目を固くつむり、ユキは玲の無事を願う。


 もうすぐ、悪夢のようだった一年間が、終わりを迎えようとしている。


 これ以上誰一人、犠牲者など出てほしくなかった。

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