第119話 さくら、さくら

 ホテルに足を踏み入れると、爆発から逃げてくる人々の波に混じって、黒スーツを着た男たちの姿が見えた。


 普通の宿泊客ではない。


 奴らは、俺たち三人の侵入に気が付くと、足もとに置いてあるブリーフケースを開き、中からサブマシンガンを取り出した。


 明らかに俺たちに向けられている敵意。


「あいつら、SKAか、三元教か、どっちだと思う?」


 俺はイザベラに尋ねる。


「服装のセンスが、SKAだと思うわ」

「ルクスの趣味も、相当ダサいな」

「悪者は黒服って相場ね――ありきたりだけど、自分たちの立場をよく理解しているじゃない。その意味では、悪くないわよ」

「ああ、そうだな。実に素晴らしい」


 黒スーツのマッチョな白人が、サブマシンガンを乱射してきた。逃げ惑う宿泊客を巻き添えにしながら、銃弾が俺たちを襲ってくる。


「散れ!」


 倉瀬刑事の号令とともに、俺たちは左右に分かれ、遮蔽物に身を隠した。


 俺と倉瀬刑事は、隣り合った柱の陰に隠れた。イザベラだけは、ロビーの噴水近くにある石像の台座に隠れている。


 宿泊客たちはほとんどが退避し、逃げ遅れた人々はガラス張りの談話室などに避難して、怯えた眼差しで様子を見守っている。


 銃弾が、柱を削った。


 吹き抜けになっている二階から、他の黒スーツたちが狙ってくる。イザベラはちょうどよい場所に隠れているが、俺と倉瀬刑事は、敵に二階のテラスを移動されたら丸見えになってしまう場所にいる。長居は出来ない。


「倉瀬さん、俺が囮になる。あんたはその隙に、移動しろ」


 隣の柱にいる倉瀬刑事に、俺は指示を出す。倉瀬刑事は頷いた。


 俺は柱の陰から飛び出す。銃弾が耐火服に食い込んでくる。痛いことは痛いが、傷さえ負わなければ、どうとでもなる。その間に、倉瀬刑事は一階の奥にあるエレベーターホールへ向かって、ロビーを駆け抜けてゆく。俺自身は、このまま一気にロビーの階段を上って、二階にいる黒スーツたちを一掃しようと試みたが、敵の一人が取り出した武器を見て、階段の裏へ向かって急いで駆けてゆく。


 ロケットランチャーが、俺を狙っている。


 爆発音。ロケット弾が、煙を噴きながら、俺に向かって飛んでくる。走っているだけでは、逃げ切れない。跳躍するか? 駄目だ、それでもかわせない。


「かぁっ!」


 エレベーターホールに向かっていたはずの倉瀬刑事が、俺の前に飛び出す。危ない、と思った瞬間には、倉瀬刑事は激突しそうになったロケット弾を屈んでかわし、下から弾頭を蹴り上げた。すさまじい脚力だ。弾かれたロケット弾は、遥か頭上にまで吹き飛んで、爆発した。


 俺は倉瀬刑事の上に覆いかぶさり、耐火服で爆風を防いだ。


 爆発で削られた天井の破片が、パラパラと体の上に落ちてくる。俺は倉瀬刑事から離れると、再び階段へ向かおうとした。


 他の黒スーツが、ロケットランチャーを構えている。連続で撃とうとしている。


 このままでは、俺も倉瀬刑事もロケット弾で吹き飛ばされてしまう。次もまた倉瀬刑事が弾を弾けるとは限らない。


 その時、ロビーの電灯が切れ、屋内は暗闇で包まれた。



 ※ ※ ※ 



 ユキの背後からファティマが迫ってきた。


 スピードが違いすぎる。あっという間に追いつかれ、もう少しで乾坤圏の攻撃範囲に入りそうになる。


(だめ――逃げ切れない!)


 諦めてはならない、と思いつつも、心が折れそうになる。


 その瞬間、ホテル内の全ての灯りが消えた。



 ※ ※ ※ 



 ルクスと対峙していた清澄は、天井を見上げた。


 あらゆる電灯が切れ、空調も落ちている。

 

「何が起きた⁉」


 ルクスもまた、周囲を見渡して、不審の声を上げた。


 ……さーくらー、さーくらー……♪ 


 ホテルの館内放送で、可憐な少女の声で、「さくらさくら」の歌が流れてくる。やがて、その歌声が、変容した。


 ……ざぁくらぁぁぁぁ……ざぁくらぁぁぁぁ……♪


 ノイズのかかった呪われそうな声音で、少女は怨めしそうに歌い続けている。清澄は眉をひそめた。得体の知れない存在が、自分たちに干渉している。だが、何者だ? 何者が、このような悪戯を起こしている?


 その時、ピンポンパンポンと音が鳴った。


『緊急放送、緊急放送。ただ今よりこのスカイホテルの全電力は、このボク、リビングドールの支配下に置かれました。悪しからず』


 ヘリウムガスを飲んだような変な音声。


 リビングドールによる宣言がなされた途端、ルクスが吼えた。


「たかがハッカー風情が――僕の楽しみを邪魔するな!」


 スーツから拳銃を取り出し、スピーカーを撃ち抜く。ラウンジ中のスピーカーを破壊するも、それだけでは目に見えない場所に埋め込まれたスピーカーまで壊しきれるはずもなく、まだ「さくらさくら」の不気味なメロディは流れ続けている。


「生意気な奴らだ――」


 ルクスは、今度は銃口を清澄に向ける。


 清澄は肩をすくめた。


 銃声。放たれた弾丸が、清澄の顔面に向かって飛んでくる。だが、よけようとしない。よける必要がない。清澄は手をかざすと、能力を発動させた。飛んでくる弾丸は、時の流れを止められ、空中で制止した。


 清澄は横へ移動する。


 時は動き出し、弾丸は清澄の後方のガラスを貫いた。 


「ふん、その程度じゃ、まだ甘いな――風間清澄!」


 ルクスは飛び込み、至近距離から清澄の胸へ向かって発砲する。が、清澄は自分自身の時の流れを早くし、高速で動いて、銃弾をかわす。突きつけられた拳銃を掴み、もう一方の手で手刀を繰り出して、ルクスの手を打った。拳銃を握る手を強打されたルクスは、手を開いてしまう。すかさず、清澄は拳銃を奪い取った。


 今度は、清澄が銃口をルクスに向けた。


 ルクスは清澄の腕の下に潜り込み、ボディーブローを撃つ。水月を殴られた清澄は、くの字に体を折り曲げ、「ぐっ」と呻く。拳銃を落としてしまう。ルクスはそのまま清澄の両肩を押さえて、膝蹴りを放った。顔面を潰さんとばかり、膝が迫ってくる。清澄は両手を構えて、顔の前で膝を受け止めた。同時に、時を止める。ルクスの脚が動かなくなった。


「う⁉」


 自らの体に生じた異変に、ルクスは動転する。


 そして、清澄は床に落ちた拳銃を拾い、ルクスに向かって撃った。


 ルクスの額に、風穴が開いた。



 ※ ※ ※ 



 リビングドールによるホテル制圧と同時に、俺たちは動き出した。


 暗闇の中、イザベラの銃が火を噴く。何も見えないのに、正確に黒スーツたちを倒してゆく。


 俺と倉瀬刑事は、イザベラの援護射撃を受けながら、倉瀬刑事はエレベーターホールへ、俺は階段を駆け上がって、二階に残る黒スーツたちを掃討にかかる。


 俺の接近に気が付いた細身の黒スーツが、ショットガンを構えた。


 その相手の顔を、火炎放射器で殴る。何か叫んで、吹き飛ばされた敵は、テラスの手すりにもたれかかった。俺は火炎放射器の引き金を引いた。闇を引き裂く眩い炎が噴出され、敵の体を包んだ。


 絶叫とともに、黒スーツは燃え上がった。


 二人の黒スーツが突進してくる。一人は日本刀を持っており、もう一人は拳銃を構えている。日本刀を持った東洋人の黒スーツは、腰溜めの状態から抜刀するように、俺の首筋目がけて斬りかかってくる。俺は火炎放射器で日本刀を防ぐと、黒スーツの腹を蹴り飛ばした。すぐに、拳銃を持った黒スーツが、俺に攻撃を仕掛けようとする。だが、引き金を引く前に、俺は火炎を放った。30mを超える業火の射程に入っていた黒スーツは、全身を炎で覆われて、泣き叫びながら床を転げ回った。


 日本刀を持った黒スーツは、体勢をなんとか整えると、跳躍した。振り上げた刀は、俺の頭頂部を狙っている。俺は火炎放射器を掲げ、上空から襲ってきた刀を正面から受け止める。火炎放射器を斜めに傾けて、刀を受け流しながら、相手の体を掴んで、投げ飛ばす。壁に叩きつけられた敵は、意識を失ったのか、ガクリとうなだれて動かなくなった。だけど、容赦はしない。俺は火炎放射器の引き金を引いた。意識を取り戻した黒スーツは、断末魔の叫びを上げた。


 一人が、ロケットランチャーを構えた。しかし、こめかみをイザベラの銃で撃ちぬかれ、絶命した。


 俺の背後から、サブマシンガンを乱射しながら、黒スーツが突っ込んでくる。背中に激痛が走る。耐火服の上からでも痛い。


 俺は振り返りざまに、炎を撃った。伸びてゆく炎が、背後の黒スーツを燃やす。悲鳴を上げた黒スーツは、テラスから吹き抜けに飛び出して、一階のロビーへと落ちていった。


 他の黒スーツたちは撤退してゆく。不利を悟ったのだろう。


 奴らが逃げるとしたら、ルクスのところ以外考えられない。奴の護衛を増やすわけにはいかない。俺は逃げてゆく黒スーツたちを追いかけ、次々と炎で焼き払っていく。


 イザベラも、二階に上がってきて、駆けながら二丁拳銃で敵を撃ち殺してゆく。


 数秒後、全ての黒スーツが物言わぬ骸と化していた。


 俺とイザベラは、互いに顔を見合わせて頷くと、二階のエレベーターホールに向かった。


『二名様、ご案内~』


 どこかでモニターしているのか、リビングドールの呑気な館内放送が流れ、エレベーターの扉が開いた。


 苦笑を浮かべて、俺とイザベラはエレベーターの中に乗り込んだ。


 全ての電気が切れている中、倉瀬がエレベーターホールに着くと、目の前のエレベーターの扉が開いた。


(リビングドールだな)


 少しも不思議に思わず、倉瀬は中に入る。


 ボタンを押すまでもなく、扉は閉まった。全部、リビングドールが遠隔操作しているのだろう。


 エレベーターが動き出すのと同時に、携帯電話が鳴った。震える左手は、ほとんど持ち上がらない。床に腰を下ろして、電話を握ると、上体を傾けてなんとか電話に出ることが出来た。


『お爺ちゃん、戦える?』


 心配そうな声で、リビングドールが尋ねてくる。


「問題ない。足が動けば、手が使えなくても、戦うことは可能だ」

『……実は、ね。言いたくないけど……』


 倉瀬は、リビングドールの言葉に耳を傾けていた。


 その顔が段々と険しくなってくる。またその名を聞くことになるとは思っていなかった、藤署長の名前。そして、その藤署長を殺した下手人の居所。それらの情報がリビングドールの口から語られる。


『29階、バー『ナイトフライ』に、“奴”はいる』


 ためらいがちに、リビングドールは教えてくる。


 倉瀬は目を閉じた。彼女が言うには、ユキの場所ヘはマッドバーナーとイザベラを向かわせているそうだ。だから、倉瀬は“奴”を倒すことに専念すればいい。“奴”を倒すことは、その分SKAの戦力を削ることにもなる。


 迷う必要はない。


 29階で、エレベーターの扉は開いた。


『死なないで――勝って!』


 可愛いことを言ってくれる。もしも倉瀬が子どもを、しかも娘を授かっていたとして、こんな可愛いエールを娘から送られていたら、何がなんでも勝つしかなくなってしまう。


「任せろ」


 倉瀬は電話を切り、ポケットにしまうと、立ち上がった。


 エレベーターから降りた。廊下の先に、バー『ナイトフライ』のガラス扉が見える。あの中に、“奴”はいる。


 全身から闘気を滲み出させながら、倉瀬は一歩を踏み出した。

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