第118話 最後の戦いが始まる

 八田を救急車に乗せた後、倉瀬は救急隊員の忠告を断り、駅に残っていた。


 そこへ、見たこともない番号から電話がかかってきた。痺れてほとんど動かない左手を懸命に持ち上げ、電話に出る。


『お爺ちゃん、大丈夫?』


 女の声だった。若い。


「誰だ」

『リビングドール』


 倉瀬は息を呑む。まさか、本当に女だったとは。しかもかなり若い。


「名前を言え」


 聞き覚えのある声だった。しかし、どこで聞いた声なのか、はっきりとは思い出せない。もどかしい。


『ごめん。全て終わってから、教える』


 その時には生きていないかもしれないのにな――倉瀬は肩をすくめた。が、リビングドール本体の予想外に落ち着いた声音を聞いていると、あまり無理強いする気も起きなかった。ネット上でチャットする時とは別人のように、リビングドールは淡々と喋ってくる。


『用件だけ言う。いますぐ、スカイホテルに行って。駅前の、やたら高いホテル』

「あの、高層ビルのようなホテルか――?」


 倉瀬が、指定されたホテルのほうを見上げた時。


 ホテルの中心部で、爆発が起きた。


 夜の金沢市内に轟音が響く。今度こそ、本当に最後の戦いが幕開いたのだと、倉瀬は感じていた。ホテルから湧き立つ煙が、まるで開戦の狼煙のようだった。


「何が起きている!」

『風間ユキがあの中にいる。敵の内輪揉めも始まってる。とにかく、早く助けに行って。時間がない!』

「わかった。マッドバーナーにも連絡してくれ」

『……ごめん、マッドバーナーは、ちょっと』

「なぜだ」

『声、聞かれたら、正体バレちゃうから』


 そのセリフから、倉瀬はようやく、リビングドールの正体が誰なのか悟った。けれども、いまはそんなこと気にしている時ではない。


「わかった。私から連絡しよう」

『ありがと』


 電話を切った後、倉瀬はすぐにマッドバーナーに電話をかけた。




 十分後、マッドバーナーとイザベラが車で金沢駅に駆けつけてきた。乗ってきたカローラをどこで調達したのか、倉瀬はあえて聞かなかった。いまは非常事態だ。


「あの中に、ユキが……」


 マッドバーナーは、煙の上がるスカイホテルに顔を向けて、呟く。


「戦えるか」

「まだ、大丈夫だ。節々は痛むが」

「なら、問題はない。私なんか、腕はもう使い物にならない」


 三人は、すぐに駆け出した。


 スカイホテルにいる風間ユキを救出するため。


 そして、シリアル・キラー・アライアンス、風間清澄との戦いに決着をつけるため。


 最後の死闘が始まる。



 ※ ※ ※



 ユキは爆発と同時に逃げ出していた。


 同席していた黒スーツを着たSKAの男を殴り倒して、展望ラウンジから飛び出した。


(この隙に逃げないと!)


 ルクスの部下が現れ、大人しく従わなければ、金沢中の人間を殺すと脅しをかけられた。SKAが、そんな無茶なことを本当にしでかすとは思えなかったが、準ずることはしかねないので、仕方なく言うことに従った。


 だけど、ここで自分が死んでしまったら、玲たちが命を懸けて戦ってくれていることを、全て無意味なものにしてしまう。


 だから逃げた。


 幸い、事態は自分の生死を離れて、ルクスと清澄の戦いへとシフトしているようである。何をラウンジで話していたのか知らないが、あの険悪な雰囲気から察するに、穏やかな内容でないことは確かである。


(とにかく、急いで下に――)


 エレベーターのボタンを押したユキは、下の階から上がってくるのを待っている間、今後の行動について考えを巡らせていた。


 下へ着いたら、まずどう動くべきか。


 一番無難なのは、警察に連絡して、このホテルを包囲してもらうことである。ルクスと清澄、両方を一網打尽に出来れば、それが理想的だ。


 問題は、警察にどれだけの成果を期待出来るか、という点だ。


 ユキは警察の能力を信用していない。警察が無能、ということではなく、敵の力があまりにも強大だからだ。並の犯罪者しか相手していない警察組織が、奴らを倒すことが出来るだろうか?


(――ん⁉)


 ぞくり、と背筋に悪寒が走る。


 エレベーターのドアの向こうから、何かが迫ってくる。命を危険に晒す、何か恐ろしいものが。


 ユキは横に跳んだ。


 同時に、エレベーターが到着し、ドアが開き――中から、刃渡り30cmの投剣が回転しながら飛び出してきた。投剣はエレベーターホールの壁に突き刺さる。あのままエレベーターの前に立っていたなら、剣が刺さっていたのは自分だった。


「さすがですね。私の攻撃を読んでいましたか」


 聞き覚えのある声。


 父清澄の愛人であり、シリアルキラー・アライアンスに登録している殺人鬼でもある女戦士。


 エレベーターホールに、ファティマが降り立つ。


 彼女は、左手にぶら下げた大きな革ケースを開けた。ケースの中には、大小様々、種々雑多な剣が収められている。その内の一つ、円形の剣、乾坤圏を取り出した。


「でも、あなたはここで死ぬ――死んでもらいます」


 ユキとの距離を詰め、体を回転させて、ファティマは乾坤圏を振るう。ユキは身を引き、円形刃による斬撃を避けた。が、完全にはかわしきれず、服を切り裂かれる。


 間合いを離し、平常心を取り戻そうと呼吸を整えたユキは、ある奇妙な矛盾に気が付いて、目を丸くした。


「どうして……」


 どうしてファティマは自分を殺そうとしているのか。


 清澄の忠実なる部下のファティマは、清澄の計画のために動かなければならないはずである。それなのに、自分を殺してしまったら、何もかも台無しではないか。


「あなた“は”、死んでもいいんですよ」

「えっ……?」


 ファティマの言わんとしていることがわからず、ユキは動揺する。


「真実を知る必要はありません。……さあ、覚悟はよろしいですか」


 最後まで聞かずに、ユキは駆け出した。


 敵の真意が何であれ、みすみす殺されるわけにはいかない。とにかく生き延びることが大事だった。


 玲たちが、自分を助けに来てくれることを信じて。

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